『愛してるの一言がほしくて ―幼なじみ新婚はすれ違いだらけ―』

第25章「届かないメッセージ」

 夕方になって、
 志穂はソファに座ったまま
 ずっとスマホを手にしていた。

 画面は、
 相変わらず静かだ。

(……わたしから送るべきなのかな)

 でも何を送ればいい?

 “帰りたい”
 と書いたら、迷惑かもしれない。

 “話したいです”
 と書いたら、重いと思われるかもしれない。

 指は何度も文字を打ち始めて、
 そのたびに消してしまう。

 その間に、
 真理は夕食の支度をしながら
 ときおり心配そうにこちらを見ていた。

「焦らなくていいわよ、志穂。
 あなたが自分の気持ちを整えてからで」

「……うん」

 志穂は空元気で返したが、
 胸の奥はずっとざわついていた。

(悠真くん……今なにしてるんだろう)

(ちゃんと、わたしのこと考えてくれてる?)

(あの噂……本当じゃないよね……?)



 一方その頃。

 悠真は仕事を早めに切り上げ、
 オフィスの自分の部屋で
 スマホを睨みつけていた。

 画面には“新規メッセージ”が開かれたまま。

『大丈夫か?』

 打っては消す。
 打っては消す。

『……話がしたい』

 また消す。

(違う……こんな言葉じゃ足りない)

 本当は言いたい。

“会いたい”
“好きだ”
“そばにいてくれ”

 でも、その言葉の重さに耐えられず
 結局誰にも届かない。

(どうして……
 どうして今日だけこんなに怖いんだ)

 志穂がいない家に帰ることも、
 彼女からの返信がないことも、
 全部怖かった。



 夜八時。

 志穂のスマホが振動した。

 メッセージ——ではなく、
 SNSの通知だった。

 志穂の心臓が跳ねる。

 開くと、
 マンションの住民と思われる匿名アカウントが
 “何気ないつぶやき”をしていた。

【さっきラウンジで見た夫婦?の旦那さん、
また若い女性と話してた……】

(また……?
 私が出ていった後……?)

 手が震えた。

(なんで……
 なんでそんなこと……)

 喉の奥が熱くなる。

(わたし……
 やっぱり……愛されてないの?)

 涙がじわりとこみ上げた。



 同じ時刻。

 悠真はようやく一通のメッセージを打ち、
 送信ボタンに指をかけていた。

『……帰ってこなくていいとは、言っていない』

 短くてもいい。
 格好悪くてもいい。
 ちゃんと伝えたかった。

(送る……送るぞ……)

 呼吸を整え、
 指を少しずつ押していった——

 が。

 通知が画面に割り込んだ。

【緊急会議/至急役員室へ】

 会社の重大案件だった。

(……今かよ……!)

 悠真はスマホを握りしめ、
 結局メッセージ画面を閉じて
 部屋を飛び出した。

 未送信のままの一通が、
 画面の奥で消えかける光だけを残す。



 同じ瞬間。
 志穂は泣きながらスマホを伏せていた。

(もう……
 もう、信じられない……)

 声にならない嗚咽が揺れる。

(“私は姉の代わり”
 そう思われてるだけなのかな)

 涙を拭っても、
 次から次へ溢れた。



 深夜近くになっても、
 ふたりのスマホは沈黙したまま。

 志穂は
 「送信されない気持ち」に泣き疲れて眠り、
 悠真は
 「届かない想い」を握りつぶすようにして
 会議室に向かった。

 たった一通あれば変わっていた距離が、
 すれ違ったままの夜に飲み込まれていく。
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