『愛してるの一言がほしくて ―幼なじみ新婚はすれ違いだらけ―』

第27章「再会の影(ラウンジの女性再登場)」

 夕方、役員会議が終わり、
 ビル内のラウンジに出ると——

 そこに、見覚えのある女性が立っていた。

 淡いベージュのスーツ、
 落ち着いた瞳。
 きちんとした立ち姿。

 ——あの夜、志穂に“誤解”をさせた女性。

 悠真の胸が一瞬、強くざわついた。

(……どうして、ここに?)

 女性はこちらに気づくと、
 驚いたように目を瞬かせた。

「一条さん……」

「久しぶりですね」

 悠真は努めて冷静に言った。

「あなたは——」

「わかっています。
 “あの日のこと”…ですね」

 女性は周囲を気にしながら小さく頷いた。

「少しだけ、お話してもいいでしょうか?
 ここでは人目が……」

 悠真の心臓が嫌な予感で跳ねた。

(嫌だ……
 また“誤解される状況”になる)

 しかし、
 彼女があの日持ち込んだ“相談”は、
 志穂に関わる重要な案件だった。

(ここで話さないわけにはいかない——)

「……いいですよ。少しだけ」

 二人はラウンジの奥、
 観葉植物の裏のシートへ移動した。

 夕陽が高層階の窓から差し込み、
 2人の影が長く伸びる。



「実は……」
 女性は声を潜めた。
「あなたにお願いしていた“件”について、
 少し状況が変わりまして……」

「状況が変わった?」

「ええ。
 正確には、“相手側”の動きが怪しく……
 あなたの奥様——志穂さんのほうに
 何かしら接触がある可能性が出てきました」

 悠真の呼吸が止まった。

「志穂に……?
 どういう意味ですか」

「……詳しくはまだ確証がないんです。
 ただ……気をつけてください。
 奥様には、できるだけ……」

 そこで女性は言葉を濁した。

「……“真実をまだ言わないほうが”いいかもしれません」

 悠真は、深く眉を寄せた。

(……まただ。
 俺はまた……志穂に何も言えないのか?)

 喉がひりつく。

「それと、一条さん」
 女性はさらに声を落とした。
「奥様……家を出られたと、聞きました」

「…………」

 悠真は返事ができなかった。

 女性は気まずそうに目を伏せ、
 しかし、小さく言った。

「……志穂さんは……
 本当に大切にしたほうがいい方ですよ」

 その言葉は
 慰めにも警告にも聞こえた。



 一方その頃——
 志穂は姉の家のソファに座り、
 SNSの噂を読み返していた。

【今日のラウンジで見た男の人……
奥さんじゃない女性と話してた】

【また別の人?】

 胸がぎゅっと痛む。

(また……?
 今日も……?)

 震える指先でスマホを閉じた。

(もう……わたしなんか……
 いなくてもいいのかな……)

 浅い呼吸が苦しくなる。

 志穂はまだ知らない。
 その相手こそ、
 “真理でも恋人でもなく”
 自分を守るために悠真が動いていた唯一の人 だということを。

 



 ラウンジの奥で——

 女性は立ち上がり、
 軽く頭を下げた。

「ご迷惑をかけてすみません。
 でも……あなたしか頼れないんです」

「…………」

 悠真は、低く息を吐いた。

「俺が……なんとかします。
 志穂には……絶対に……」

 “傷つけたくない”と言おうとして
 喉の奥で言葉が止まる。

 その沈黙を、
 女性は悲しげな目で見つめた。

(言えない男ですね……
 でも……奥様のこと、
 本当は——)



 ラウンジを後にした悠真は、
 スマホを取り出した。

 志穂の名前を押す。

(話したい……
 会いたい……
 でも……)

 画面は暗いまま。
 指先は震えたまま。

(守るために、話せないことがあるなんて……
 どう説明すればいい……)

 窓に映った自分の姿は、
 どこかひどく弱く見えた。
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