『愛してるの一言がほしくて ―幼なじみ新婚はすれ違いだらけ―』

第43章「志穂、翌朝の不安(悠真と距離が縮まる)」


 朝の光は静かで、
 いつものマンションとは少し違って見えた。

 ベッドの中で目を開けると、
 天井がぼんやりと揺れて見える。

(……寝てしまったんだ)

 昨夜、泣き疲れて、
 いつの間にか眠っていた。

 枕元には、
 ティッシュの箱と、
 志穂の涙を拭いたハンカチが置かれていた。

 誰が置いたかは、言わなくてもわかる。

(……悠真くん)

 胸がゆっくりと熱くなる。

 でも同時に——
 胸の奥のどこかがまだ、小さく震えていた。

(晶司さん……
 また来るかもしれない)

(怖い……)

 手を胸に当てると、
 鼓動が少し速い。

(……でも、悠真くんが……
 助けてくれた……)

(“守るのは俺だ”って……
 どうして……
 あんなふうに言ってくれたんだろう……)

 思い出した瞬間、
 頬が熱くなる。

(あれって……
 好きって意味……?)

(違う……きっと違う……
 責任……それだけ……)

 そう思おうとするのに、
 胸は勝手に高鳴る。



 小さくため息をついてリビングに出ると、
 キッチンに人の気配があった。

「……起きたか」

 振り向いた悠真が、
 ゆるく目を細めた。

 寝起きの髪が少し乱れていて、
 シャツの袖を折り返している姿は
 いつもより少しだけ無防備だった。

(……かっこいい……)

「もう……大丈夫か?」

 その声が、
 やけに優しい。

「……うん。
 ごめんね……昨日……泣いてばかりで……」

「謝ることじゃない」

 すぐに返ってくる言葉。

 それだけで、
 胸がじんと温かくなる。

「……コーヒー淹れてる。
 飲めるか?」

「の、飲める……ありがとう……」

 そっと差し出されたカップに、
 志穂は両手で触れた。

 温かい。

 その温度だけで、
 心が少し落ち着いていく。



 ふたりでキッチンカウンターに並んで座ると、
 ほんの少しの沈黙が流れた。

 でも昨日までの沈黙とは違う。

(……気まずくない……)

(むしろ……落ち着く……)

 コーヒーを一口飲んだ瞬間——

「……志穂」

「えっ……?」

 思わず顔を上げる。

 悠真が、
 ゆっくりと視線を合わせてきた。

「……昨日のこと。
 まだ……怖いか?」

「……少しだけ……」

 正直に言うと、
 悠真は目を伏せて額に手を当てた。

「……悪かった。
 俺が……もっと早く行けばよかった」

「そんな……!
 悠真くんは、すぐ来てくれたよ……?」

「……でも、おまえの震え方が……
 頭から離れない」

 その言い方が、
 志穂の胸にじんと響く。

(そんなに……心配してくれて……)

「……ありがとう」

 気づけばそう言っていた。

「昨日、
 あなたが来てくれて……
 すごく……安心したの」

 言った瞬間、
 悠真の目がふっと揺れた。

 その揺れは、
 昨日志穂を抱きしめかけた時の揺れと同じ。

「……志穂」

 名前を呼ぶ声が、
 思ったより近くて。

 志穂の鼓動が一気に跳ねる。

「怖かったら……
 しばらく、俺のそばにいろ」

「え……?」

「家でも、外でも。
 買い物でも……寝るときでも」

「ね……寝るとき……?」

 声が裏返る。

「昨日みたいに……
 不安な夜にひとりで寝させるほうが危ない」

 淡々としてるのに、
 言っている内容は甘くて、苦しい。

(……ずるい……)

(そんなこと言われたら……
 期待してしまう……)

「……志穂」

「……な、なに……?」

 悠真は、
 昨日見せた鋭い表情とは違っていた。

 今はただ——
 “ひとりの男”の目をしていた。

「おまえが……震えるのを
 二度と見たくない」

 その一言で、
 志穂の心は完全に崩れた。

「……っ」

 涙がこぼれそうになる。

 でも昨日みたいに泣き出すのは恥ずかしい。

 だから——
 代わりに微笑んだ。

「……わたし……
 あなたのそばにいると……
 安心するよ……」

 悠真の表情が少しだけ緩む。

 静かで、優しい朝。

 昨日の夜より、
 ふたりの距離は確かに近づいていた。
< 43 / 56 >

この作品をシェア

pagetop