『愛してるの一言がほしくて ―幼なじみ新婚はすれ違いだらけ―』

第47章「悠真、志穂を守る決意(職場へ会いに来る)」

 昼過ぎのオフィス。
 電話の音とキーボードの音が
 いつもより耳に刺さって感じた。

(……落ち着かない……)

 午前中からずっと胸がざわざわしている。

 晶司の影を見た気がした窓。
 春名の言った噂。
 営業部の佐伯の視線。

(……悠真くんに……言った方がいいのかな)

 でも、言えば心配をかける。
 仕事の邪魔になるかもしれない。

「……大丈夫、だよね……」

 自分に言い聞かせながら、
 そっと肩を抱くように腕を組む。

 その瞬間——

ピッ

 スマホが震えた。

(また……?)

 画面を見る。
 胸がつよく脈打つ。

《悠真》
“今、会社の前にいる。”

(……え?)

 心臓が止まりそうになる。

(なに……して……?)

 すぐに二通目が届いた。

“迎えに来た。
 少し話したい。”

 呼吸が浅くなる。

(迎えに……?
 仕事中なのに……?)

 胸に、じわっと温かいものが広がった。

(……心配して……来てくれたんだ)



「志穂ちゃん?」

「っ……!」

 背後から声がして、
 志穂はすぐにスマホを握りしめた。

「どうしたの?顔色悪いよ」

「な、なんでも……」

 誤魔化した瞬間——

コツ、コツ、コツ

 フロアの奥から、
 革靴の規則正しい足音が近づく。

 会議から戻ってきた男性とは違う。
 空気が変わる。

 ざわ……ざわ……

 職場がざわつき始める。

「え……誰?
 なんかすごい人来たんだけど」

「え、待って……あれ……」

「一条……副社長……?」

 周囲がざわりと分かれる。
 まるで海が道を開けるように。

 現れたのは——

悠真だった。

 黒いスーツ。
 涼しげな瞳。
 どこか張りつめた表情。

 静かに歩いてくるだけで、
 空気がすっと冷たく澄んだ。

(……ほんとうに……来た……)

 志穂の胸がきゅっと締まる。

 まさか、職場に。
 こんなふうに。

 噂をしていた女性社員たちが小さく悲鳴を上げた。

「え、やばい……本物のイケメン……」

「志穂ちゃんの旦那って……
 こんな人だったの……?」

 全員の視線が志穂に注がれる。

(やだ……恥ずかしい……)



「……志穂」

 悠真が、
 ほんの少し声を落として呼んだ。

 その声だけで足が震える。

 恥ずかしさと、嬉しさと、
 どうにもならない愛しさが同時に押し寄せる。

「……あの……どうしたの?」

 志穂が小さく問いかけると、
 悠真はほんの一秒だけ目を伏せ——

 次の瞬間には、
 しっかりと志穂を見つめた。

「話したいことがある。
 ……来てくれ。」

 その言い方が“命令”ではなく、
 “必死のお願い”でもなく、
 ただ静かな決意だった。

(……怒ってる……?)

(それとも……
 心配して……?)

「ど、どこに……?」

「外。
 ……ここじゃ話せない」

 その声に、
 志穂はごくりと息を飲んだ。



 エレベーターに入り、
 二人きりになる。

 ドアが閉まった瞬間——

「志穂」

「……はい……?」

「……昨日のこと、
 全部……話してほしい」

 優しい声なのに、
 緊張で喉が震えた。

「噂になってる。
 “夜に男といた”って」

「っ……!」

「志穂。
 俺が知らないことで、
 おまえが苦しんでるなら……
 放っておけるわけないだろ」

 その言葉で、
 涙がこみ上げる。

(そんなふうに……
 言わないでよ……)

(泣きそうになる……)

「……ごめん……
 怖かった……」

 小さく告げると——

 悠真の指が、
 そっと志穂の手に触れた。

 つないではこない。
 でも“触れるだけ”で安心させるような、
 優しい触れ方。

「志穂……
 ひとりで抱え込むな」

 志穂の胸が、
 その言葉で完全に落ちた。

(……守られてる……)

(愛してるとは言わないけど……
 こんなふうに言われたら……
 それだけで……)



 ビルを出た瞬間、
 車寄せの前に黒い車が止まっていた。

 運転手がドアを開ける。

「……乗れ」

「……うん……」

 志穂の指先を、
 悠真がそっと導くように触れたまま。

 そのまま二人は
 静かに後部座席へと乗り込んだ。

 扉が閉じる。

 密室。
 ふたりきり。

 静かに息を吸った悠真が、
 横を向き、志穂をじっと見た。

「志穂。
 おまえを守れるのは……
 俺だけだ。」

 その瞬間——

 志穂の胸は、
 ゆっくりとあたたかく震えた
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