『愛してるの一言がほしくて ―幼なじみ新婚はすれ違いだらけ―』

第54章「三者会談(全真相が暴かれる)」

 新堂家本邸。
 城のような石造りの門を抜けると、
 空気そのものが冷たく変わるようだった。

 志穂は小さく息を呑む。
 隣を歩く悠真が、
 そっと手を添えてくれた。

(……怖い……
 でも……行かなきゃ……)

 その後ろを、真理が静かに続いた。



 応接室は広く、
 ほとんど音のない空間だった。

 黒いテーブルの向こう側に、
 新堂家の叔父——新堂司郎が座っている。

「よく来たな、一条夫妻。それに……真理さん」

 笑顔なのに、
 目だけは冷たい。

(この人……
 やっぱり……怖い)

 志穂の指が震える。



「さて」
司郎が手を組む。

「本題に入りましょうか」

 その声音は淡々としていて、
 まるで“事務処理”のようだった。

「今回の三者会談の議題は——
 一条志穂さんの“今後の進退”です」

 志穂の胸がぎゅっと掴まれた。

(わたしの……進退……?)

「真理様との婚約が破談となり、
 妹君が婚姻に入った以上……
 適切な立場を判断せねばなりません」

「適切な……立場……?」

 志穂の声が震える。

「ええ」
司郎は微笑んだ。

「“真理の代わり”として
 どこまで役目を果たせるか——
 それを判断する必要がある」

「代わり……?」

 志穂の顔が真っ青になる。



 その瞬間、
 悠真の声が低く落ちた。

「代わり、ではありません」

 司郎の表情が僅かに止まる。

「志穂は……俺の妻です」

「ですが」
司郎は淡々と返す。

「あなたが選んだ理由は、“代役”でしょう」

「違います」

 声に怒りが混ざる。

「俺は志穂を選んだ。
 誰かの穴埋めではない」

「では——」

 司郎の目が志穂へ向いた。

「あなたは……なぜ泣いて?」

「……え……」

 志穂の胸がざわつく。

「この家に来てから、
 あなたはずいぶん怯えているように見える。
 志穂さん、“誰かに何かされている”のでは?」

(っ……!)

 息が詰まり、
 肩が震える。

(言えない……
 怖い……)

 その時、

「——晶司さんでしょう?」

 真理の声が空気を切った。

 司郎の顔から笑みが消える。

「何を言っているのかね、真理さん」

「しらばっくれないで」
真理の瞳は鋭い。

「志穂に近づいたでしょう。
 マンション前で腕を掴んだ。
 昨日も帰り道で声をかけた」

(……おねえちゃん……!)
志穂の目に涙が浮かぶ。

「あなたは志穂を“代用品”として扱いたいだけじゃない。
 晶司にとって都合がいいから」

「真理さん」
司郎の声が低い。

「証拠は?」

「証拠なら——本人がここにいます」

 扉が静かに開いた。

 黒いコート、無表情の眼差し。
 晶司 が入ってきた。



「晶司くん。
 ここへ座りなさい」

 司郎が指示すると、
 晶司は静かに席についた。

 そして、ゆっくりと志穂を見た。

「……志穂さん」

 その呼び方だけで、
 志穂の肩が跳ねた。

「昨日は……驚かせてしまいましたね」

 司郎が微笑む。

「ほら見なさい。
 きちんと謝罪したがっているじゃないか」

「謝罪だと?」
悠真の声が低く唸る。

「妻に恐怖を与えたことをか?」

 晶司が初めて、
 悠真を見た。

「恐怖を与えるつもりは……なかった」

「嘘だ」
真理が言った。

「あなたは——
 “泣きそうな志穂を忘れられない”って言ったらしいじゃない」

 志穂の心臓が跳ねた。

(……え……
 覚えてる……?)

 晶司の声は静かだった。

「忘れられません。
 ……美しかったから」

「っ!」

 志穂の手から力が抜ける。

「恐怖も……涙も……
 すべて、人を惹きつける」

「気持ち悪い」
悠真が吐き捨てた。

「人の恐怖を……
 “美しい”などと……」

(悠真くん……)

 晶司は首をかしげる。

「美しいと思ったものを、
 どうして否定する必要があるんです?」

「おまえ——」

「晶司」
司郎が制するように言った。

「少し黙っていなさい」

 しかし晶司は動じない。

「僕は……志穂さんを“守る”と言いました」

「は?」
悠真の表情が歪む。

「守る……?
 おまえが?」

「ええ。
 彼女は“弱い”。
 放っておくべきではない」

「弱い……?」

 志穂の胸が痛む。

(わたし……弱い……?
 そんなふうに見て……)

「弱い人は、誰かが近くにいないと——
 壊れてしまう」

 晶司は、静かに微笑んだ。

「だから……僕が守る」

「ふざけるな」

 悠真の声が低く響いた。

「志穂は……俺が守る」

「でも、あなたは言っていない」
晶司は言葉を重ねた。

「“愛してる”と」

 空気が凍りついた。

(……っ)

 志穂の胸が大きく揺れる。

 悠真の拳が震えた。

「それと……」

 晶司の視線が優しく志穂を刺す。

「あなたは昨日、僕に“怖い”と言いました」

 志穂の喉がつまる。

「その顔が……忘れられない」

 息が、止まった。



「——もうやめろ」

 悠真が立ち上がった。

「これ以上……
 妻に近づくな」

「妻、ですか」

「そうだ」

 悠真は、志穂の手を取った。

「志穂は、俺が選んだ」

「真理の代わりでは?」

「違う」

 その瞬間、
 志穂の目から涙がこぼれた。

(……違う……
 本当に……?)

「俺は志穂を……
 ちゃんと愛そうとしている」

 晶司が笑う。

「愛?
 言ってもいないくせに」

「言うよ」

 悠真の声は震えていた。

「……まだ完璧に言えないけど……
 明日までには必ず言う。
 だから……」

 志穂の手をぎゅっと握った。

「志穂を……
 奪わせない」



 沈黙が落ちた。

 司郎は冷えた声で言った。

「では——
 結論としましょう」

「晶司、
 志穂さんへの接触は禁ずる」

「……叔父上?」

「おまえが……危険過ぎる」

「…………」

 晶司はゆっくり瞬きをした。

「真理さん」

 司郎は真理へ目を向ける。

「あなたとの婚約破棄は、
 あなたの“正当な判断”だった。
 今さらながら理解したよ」

 真理の表情に、
 わずかな皮肉が浮かぶ。

「遅いですね」

「一条夫妻」

 司郎は深々と頭を下げた。

「家の都合で……
 志穂さんの心を傷つけてしまい、
 申し訳なかった」

 穏やかな声の裏に、
 本気の謝罪が滲んでいた。

「本日の会談は、これで終了です」



 帰りの車の中。

 志穂は手を握りしめたまま、
 何も言えなかった。

 けれど——

「志穂」

 悠真が彼女を見つめ、
 静かに微笑んだ。

「大丈夫だ。
 全部、終わった」

(……悠真くん……)

 胸の奥が熱くなり、
 涙があふれた。

(終わった……
 本当に……?)

 でも彼の手は、
 今まででいちばん温かかった
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