『愛してるの一言がほしくて ―幼なじみ新婚はすれ違いだらけ―』
第7章 「崩れたハイヒール」
エレベーターの扉が閉まり、
静かな下降音が耳に流れ込んでくる。
(……信じたくない)
胸の奥で、苦しいほど何度もその言葉が反響する。
視界は涙でにじみ、ぼやけた数字が階数を示していた。
(“守るよ”って……どうして、私じゃなくて――)
喉が熱く、うまく息ができない。
エレベーターが一階に着き、扉が開いた。
広いロビーに出ると、照明の光がまぶしくて、志穂は思わず目を伏せた。
(早く……外に出たい)
胸の内側から押し出されるように、身体が前へ動く。
ゆっくり歩いたせいで、ちょうど外の自動ドアに差しかかった瞬間だった。
――パキン。
ヒールの先が、不自然な角度で折れた。
「……っ!」
バランスを崩し、身体が前につんのめる。
床と顔が近づいていく。
(だめ……!)
その時。
「危ない!」
強い腕が、志穂の腰をぐっと支えた。
胸の奥まで響くような力で。
「っ……悠真……さん?」
顔を上げると、息を切らした悠真がいた。
ネクタイも緩めず、走ってきたのがわかる。
彼の手は、まだ志穂をしっかり抱きとめていた。
「どうして……」
「下の階に君のカードが残っていると秘書から聞いて……探していた」
息が少し乱れている。
それだけで、胸が痛いほど苦しくなる。
「こんな時間に、何をしているんだ。転ぶところだっただろう」
叱るような声なのに、その手つきは震えていた。
「ごめんな……さい……」
泣くつもりなんてなかったのに、
声が勝手に震えてしまった。
悠真の眉が、驚いたように寄る。
「……志穂、泣いてるのか?」
「っ……泣いてません」
「泣いてる」
そっと、頬に触れようとする。
志穂は反射的に後ずさる。
「さわらないで……っ」
悠真の手が止まる。
「どうしたんだ。何があった?」
真剣に、深く心配している顔。
それを見た瞬間、志穂の胸の奥で何かが弾けた。
(どうしてそんな顔を……!
どうして、私じゃなくて……)
「……何でも、ありません」
「志穂」
「離して……ください」
「転ぶ」
「もう、大丈夫です」
そう言っても、泣きたくなるほど大丈夫じゃなかった。
折れたヒールを手に、志穂は無理やり姿勢を立て直す。
それを見ていた悠真が、ため息まじりに言った。
「靴を脱げ。歩けないだろう」
「歩けます」
「無理だ」
「……無理でも、歩きます」
ぽつりと落ちる涙。
志穂自身、どうしてここまで強がりたいのかわからなかった。
ただ――今は、悠真に触れられるのが怖かった。
(あの柔らかい声を……
私以外の女性に向ける人に……
優しくされたくない)
志穂が一歩踏み出すと、
悠真も無言で横に並んだ。
「送る」
「けっこうです」
「夜だ。危ない」
「危なくても……」
声がかすれる。
「……今は、ひとりになりたい」
その一言に、悠真は動きを止めた。
「ひとりになって……何をする」
「何もしません。
ただ……泣くかもしれませんけど」
苦笑まじりに言うと、
悠真の目が痛いほど切ない色に変わった。
「……泣かせたくて言っているんじゃない」
「そんなこと……わかってます」
本当はわかっていた。
彼が優しいことも、不器用なことも。
でも――
あの“ガラス越しの影”が、
すべてを壊してしまった。
志穂は深く息を吸い、絞るように言った。
「……今日は、先に帰ります」
「志穂」
「おやすみなさい、悠真さん」
その言葉を残し、志穂は折れたヒールを片手に、
静かな夜の道へ歩き出した。
背中に残るのは、
悠真の何かを言いかけたまま結局言えない、
沈黙だけだった。
静かな下降音が耳に流れ込んでくる。
(……信じたくない)
胸の奥で、苦しいほど何度もその言葉が反響する。
視界は涙でにじみ、ぼやけた数字が階数を示していた。
(“守るよ”って……どうして、私じゃなくて――)
喉が熱く、うまく息ができない。
エレベーターが一階に着き、扉が開いた。
広いロビーに出ると、照明の光がまぶしくて、志穂は思わず目を伏せた。
(早く……外に出たい)
胸の内側から押し出されるように、身体が前へ動く。
ゆっくり歩いたせいで、ちょうど外の自動ドアに差しかかった瞬間だった。
――パキン。
ヒールの先が、不自然な角度で折れた。
「……っ!」
バランスを崩し、身体が前につんのめる。
床と顔が近づいていく。
(だめ……!)
その時。
「危ない!」
強い腕が、志穂の腰をぐっと支えた。
胸の奥まで響くような力で。
「っ……悠真……さん?」
顔を上げると、息を切らした悠真がいた。
ネクタイも緩めず、走ってきたのがわかる。
彼の手は、まだ志穂をしっかり抱きとめていた。
「どうして……」
「下の階に君のカードが残っていると秘書から聞いて……探していた」
息が少し乱れている。
それだけで、胸が痛いほど苦しくなる。
「こんな時間に、何をしているんだ。転ぶところだっただろう」
叱るような声なのに、その手つきは震えていた。
「ごめんな……さい……」
泣くつもりなんてなかったのに、
声が勝手に震えてしまった。
悠真の眉が、驚いたように寄る。
「……志穂、泣いてるのか?」
「っ……泣いてません」
「泣いてる」
そっと、頬に触れようとする。
志穂は反射的に後ずさる。
「さわらないで……っ」
悠真の手が止まる。
「どうしたんだ。何があった?」
真剣に、深く心配している顔。
それを見た瞬間、志穂の胸の奥で何かが弾けた。
(どうしてそんな顔を……!
どうして、私じゃなくて……)
「……何でも、ありません」
「志穂」
「離して……ください」
「転ぶ」
「もう、大丈夫です」
そう言っても、泣きたくなるほど大丈夫じゃなかった。
折れたヒールを手に、志穂は無理やり姿勢を立て直す。
それを見ていた悠真が、ため息まじりに言った。
「靴を脱げ。歩けないだろう」
「歩けます」
「無理だ」
「……無理でも、歩きます」
ぽつりと落ちる涙。
志穂自身、どうしてここまで強がりたいのかわからなかった。
ただ――今は、悠真に触れられるのが怖かった。
(あの柔らかい声を……
私以外の女性に向ける人に……
優しくされたくない)
志穂が一歩踏み出すと、
悠真も無言で横に並んだ。
「送る」
「けっこうです」
「夜だ。危ない」
「危なくても……」
声がかすれる。
「……今は、ひとりになりたい」
その一言に、悠真は動きを止めた。
「ひとりになって……何をする」
「何もしません。
ただ……泣くかもしれませんけど」
苦笑まじりに言うと、
悠真の目が痛いほど切ない色に変わった。
「……泣かせたくて言っているんじゃない」
「そんなこと……わかってます」
本当はわかっていた。
彼が優しいことも、不器用なことも。
でも――
あの“ガラス越しの影”が、
すべてを壊してしまった。
志穂は深く息を吸い、絞るように言った。
「……今日は、先に帰ります」
「志穂」
「おやすみなさい、悠真さん」
その言葉を残し、志穂は折れたヒールを片手に、
静かな夜の道へ歩き出した。
背中に残るのは、
悠真の何かを言いかけたまま結局言えない、
沈黙だけだった。