『愛してるの一言がほしくて ―幼なじみ新婚はすれ違いだらけ―』
第9章 「姉への遠慮」
その夜。
実家の客間から漏れるあたたかな灯りに、
志穂はそっと足を止めた。
姉・真理から、「明日の出張前に話したい」とメッセージが届いていたのだ。
断りきれず、気持ちを整えないまま実家へ向かった。
(……お姉ちゃんには、気づかれたくないのに)
心臓が不安のたびに小さく痛む。
ノックをしてドアを開けると、
真理がソファで紅茶を飲みながら待っていた。
「志穂。来てくれたのね」
「……うん」
微笑む真理。
その微笑みが昔から変わらなくて、
志穂の中の“劣等感”をそっと刺激する。
真理は席を詰め、志穂の手を取った。
「顔色、少し悪いわ。ちゃんと食べてる?」
「……食べてる、よ。ちゃんと」
「本当?」
真理の問いは優しい。
優しいのに、志穂の胸にそっと重い石を置く。
(……昨日のことなんて、言えない)
だって、真理は何も悪くないのに。
むしろ、誰より優しくて、綺麗で、完璧で――
こんな噂に巻き込みたくなかった。
「ねえ志穂。結婚生活は……どう?」
真理は、まっすぐに志穂を見つめた。
「え……?」
「うまく行ってる? ちゃんと幸せ?」
「……幸せだよ。大丈夫」
笑ってみせる。
けれど真理には、嘘が簡単に伝わる。
「嘘ね。昔から、あなたは不安があると笑うもの」
「……っ」
志穂は視線を落とした。
胸がひどく痛い。
真理は席を立ち、そっと紅茶を淹れ直す。
その背中は細くて、しなやかで――美しい。
「志穂。もし、何か悩んでいることがあるなら……言ってほしい」
「べつに……悩んでなんて」
「悠真くんのこと?」
「――っ!」
胸の奥が激しく揺れた。
「昨日、電話で少し話した時……何か、様子が変だったの。
“志穂が泣いていた”って言ってた」
「……嘘。そんな……」
志穂は瞬きを繰り返す。
(な、なんで……?
あの時、泣いているのを見たの……?)
真理は紅茶を置き、そっと志穂の隣に座った。
そして、志穂の髪を撫でた。
「ねえ。泣くほど苦しいなら……無理しないで」
「……無理、なんて……」
「志穂」
真理の声は、いつも通り優しくて、
それが逆に志穂を追い詰めた。
(お姉ちゃんは、こんなに優しいのに……
なのに私は、お姉ちゃんの名前を見るだけで傷ついてしまう……)
胸がぎゅっと締めつけられる。
「……お姉ちゃんは」
震えた声が漏れた。
「悠真さんと……話したりしないよね?」
この一言を言った瞬間、
胸が裂けるように痛くなった。
真理は少し驚いたように目を瞬き、
やがて柔らかく笑った。
「もちろん。志穂の夫なんだから。
私があの子とそういう話をするわけないでしょ?」
「……そっか……」
その言葉に、少し胸がほどける。
けれど――
(じゃあ……昨日の女性は誰?)
疑問だけが、鋭い棘のまま胸に残った。
真理は志穂の手を包み込み、
優しい声で言った。
「志穂。あなたって……誰かのために、すぐ身を引こうとする癖があるの」
「え……?」
「大好きなものほど、触れたら壊しちゃうって思い込んで……
自分から距離を置いちゃう」
「そんな……」
「昔からよ。
私が少し褒められると、“じゃあ私はいいや”って引いてたでしょう?」
胸が刺さるように痛む。
(……たしかに、そうだった)
真理は志穂の両肩に手を置いた。
「でもね。
悠真くんはあなたの旦那さま。
私より、誰よりも先に、志穂が大切にしていいの」
その優しさが――逆に、苦しかった。
(だって……悠真さんが見ているのは、お姉ちゃんに見えたんだよ……)
言えない。
言ったら、小さな自分がまた惨めになる。
視界が滲みそうになるのをごまかすように、
志穂は立ち上がった。
「……ありがとう、お姉ちゃん。
私、もう大丈夫だから」
「志穂」
「ほんとに、大丈夫」
笑ってみせる。
本当は大丈夫じゃないのに。
部屋を出る直前。
真理がぽつりと呟いた。
「……ねえ。
あなたはちゃんと、愛されているわよ」
その言葉は、やさしく響いたのに――
志穂には、痛すぎるほど刺さった。
(もし……愛されているなら……
どうして“あの女性”を守るって言ったの……?)
志穂は胸を押さえたまま、
静かな廊下をひとり歩いていった。
実家の客間から漏れるあたたかな灯りに、
志穂はそっと足を止めた。
姉・真理から、「明日の出張前に話したい」とメッセージが届いていたのだ。
断りきれず、気持ちを整えないまま実家へ向かった。
(……お姉ちゃんには、気づかれたくないのに)
心臓が不安のたびに小さく痛む。
ノックをしてドアを開けると、
真理がソファで紅茶を飲みながら待っていた。
「志穂。来てくれたのね」
「……うん」
微笑む真理。
その微笑みが昔から変わらなくて、
志穂の中の“劣等感”をそっと刺激する。
真理は席を詰め、志穂の手を取った。
「顔色、少し悪いわ。ちゃんと食べてる?」
「……食べてる、よ。ちゃんと」
「本当?」
真理の問いは優しい。
優しいのに、志穂の胸にそっと重い石を置く。
(……昨日のことなんて、言えない)
だって、真理は何も悪くないのに。
むしろ、誰より優しくて、綺麗で、完璧で――
こんな噂に巻き込みたくなかった。
「ねえ志穂。結婚生活は……どう?」
真理は、まっすぐに志穂を見つめた。
「え……?」
「うまく行ってる? ちゃんと幸せ?」
「……幸せだよ。大丈夫」
笑ってみせる。
けれど真理には、嘘が簡単に伝わる。
「嘘ね。昔から、あなたは不安があると笑うもの」
「……っ」
志穂は視線を落とした。
胸がひどく痛い。
真理は席を立ち、そっと紅茶を淹れ直す。
その背中は細くて、しなやかで――美しい。
「志穂。もし、何か悩んでいることがあるなら……言ってほしい」
「べつに……悩んでなんて」
「悠真くんのこと?」
「――っ!」
胸の奥が激しく揺れた。
「昨日、電話で少し話した時……何か、様子が変だったの。
“志穂が泣いていた”って言ってた」
「……嘘。そんな……」
志穂は瞬きを繰り返す。
(な、なんで……?
あの時、泣いているのを見たの……?)
真理は紅茶を置き、そっと志穂の隣に座った。
そして、志穂の髪を撫でた。
「ねえ。泣くほど苦しいなら……無理しないで」
「……無理、なんて……」
「志穂」
真理の声は、いつも通り優しくて、
それが逆に志穂を追い詰めた。
(お姉ちゃんは、こんなに優しいのに……
なのに私は、お姉ちゃんの名前を見るだけで傷ついてしまう……)
胸がぎゅっと締めつけられる。
「……お姉ちゃんは」
震えた声が漏れた。
「悠真さんと……話したりしないよね?」
この一言を言った瞬間、
胸が裂けるように痛くなった。
真理は少し驚いたように目を瞬き、
やがて柔らかく笑った。
「もちろん。志穂の夫なんだから。
私があの子とそういう話をするわけないでしょ?」
「……そっか……」
その言葉に、少し胸がほどける。
けれど――
(じゃあ……昨日の女性は誰?)
疑問だけが、鋭い棘のまま胸に残った。
真理は志穂の手を包み込み、
優しい声で言った。
「志穂。あなたって……誰かのために、すぐ身を引こうとする癖があるの」
「え……?」
「大好きなものほど、触れたら壊しちゃうって思い込んで……
自分から距離を置いちゃう」
「そんな……」
「昔からよ。
私が少し褒められると、“じゃあ私はいいや”って引いてたでしょう?」
胸が刺さるように痛む。
(……たしかに、そうだった)
真理は志穂の両肩に手を置いた。
「でもね。
悠真くんはあなたの旦那さま。
私より、誰よりも先に、志穂が大切にしていいの」
その優しさが――逆に、苦しかった。
(だって……悠真さんが見ているのは、お姉ちゃんに見えたんだよ……)
言えない。
言ったら、小さな自分がまた惨めになる。
視界が滲みそうになるのをごまかすように、
志穂は立ち上がった。
「……ありがとう、お姉ちゃん。
私、もう大丈夫だから」
「志穂」
「ほんとに、大丈夫」
笑ってみせる。
本当は大丈夫じゃないのに。
部屋を出る直前。
真理がぽつりと呟いた。
「……ねえ。
あなたはちゃんと、愛されているわよ」
その言葉は、やさしく響いたのに――
志穂には、痛すぎるほど刺さった。
(もし……愛されているなら……
どうして“あの女性”を守るって言ったの……?)
志穂は胸を押さえたまま、
静かな廊下をひとり歩いていった。