白桜国夜話 死を願う龍帝は運命の乙女に出会う

◆第八章

――時は、一刻ほど前に遡る。

五穀豊穣を祈願して行われる瑞穂(みずほ)の祭祀を控えていた高天(たかあまの)(みかど)は、そろそろ斎服に着替えようとしていたところである報告を受けた。

やって来たのは内衛府の長官である朝霧(あさぎり)で、内容は「尚侍(しょうじ)の萩音が朱華を襲った」というものだ。
驚いた高天帝は、顔色を変えて問いかける。

「一体どういうことだ。朱華に怪我は」
「内儀として華綾の采女の中に潜入している祢音(ねね)が制止したため、大事ございません」

どうやら萩音は、自身を差し置いて高天帝に目を掛けられている朱華に激しい嫉妬の感情を募らせたらしい。

彼女は皇宮が祭祀と宴の準備で慌ただしい雰囲気だったのに便乗し、人気のない場所に朱華を連れ出して刃物で殺害しようとしたという。

かねてから萩音の行動を怪しんでいた祢音の機転で事なきを得たと聞き、高天帝は胸を撫で下ろした。それと同時に、突然襲われた朱華のことが心配になる。

(こんなことになるなら、もっと早く朱華との関係を公にするべきだった。妃にすると公言し、私の傍近くに保護すれば、彼女の身を危険に晒さずに済んだのに)

尚侍の萩音は華綾の采女の筆頭であり、才色兼備な女性だ。

一〇〇人にも及ぶ采女たちを上手く取り仕切る才覚があり、物腰は上品で育ちのよさを感じさせる。

そんな彼女は折に触れて高天帝に気持ちを示していたものの、その気になれず黙殺してきたことが仇となった形だ。

(私のせいだ。萩音は私が朱華を寵愛しているのを知って、逆恨みで殺意を抱いたんだろう)

忸怩たる思いを抱えつつ、高天帝は朝霧に問いかけた。

「朱華は今、どうしている」
「祢音が(すい)霞宮(かきゅう)で休むように勧めたそうですが、本人が『大丈夫だ』と言い、仕事に戻ったそうです」
「そうか」

高天帝は、妙な胸騒ぎをおぼえていた。

萩音が()衛司(えいのつかさ)に拘束されたことで、朱華の身に降りかかった災難は去ったように思える。だがどこかで引っかかりをおぼえ、それは何かと考えた。

(私は何か、重大な事案を見落としているような気がする。普段と違うことといえば、今日が祭祀の当日であるということくらいだが)

考えを巡らせた高天帝は、ふと一昨日の出来事を思い出す。

あの日、政務中に妹の陽羽(ひのは)が訪れ、「祭祀のあとの宴の際に、自分のお抱えの楽師に演奏させてもらえないか」と申し出てきた。

あれから宰監(さいかん)の葛城に相談し、雅楽長にいつもの宮廷楽師たちの数を減らすという対応をしてもらったが、言い換えればそれは今までとは違う面々が宴に参加するということに他ならない。

(……念のため、用心しておいたほうがいいか)
< 85 / 101 >

この作品をシェア

pagetop