一大決心して大学院に進学したら、なぜか指導教官の外科医に溺愛されてます

現実



それでも、たった一日だけ重なった夏季休暇。

私たちは申し合わせてそれを取得し、初めて「普通の恋人」らしいデートをした。
都心の夜景が一望できる、高層階のフレンチレストラン。

普段は消毒液と培地の匂いしかしない研究室に籠もっている私たちにとって、そこは別世界だった。

私の誕生日だからと連れてこられたこの店は、メニューの値段を見るだけで目が眩みそうだった。

コース料理が終わり、ウェイターが恭しく伝票を持ってくる。
坂上先生は会話の流れを止めることなく、慣れた手つきでプラチナカードをトレイに置いた。

スマートな会計。金額を確認する素振りさえない。

「……ごちそうさまでした。凄く美味しかったです」

「ならいい。この店、鴨のローストだけは美味いからな」

彼は満足げにワイングラスを傾ける。
私はその余裕ある横顔を見つめ、ふと感嘆の声を漏らした。

「でも、こんな高級店……。さすが、お医者さんですね」

悪気なんて一つもない、純粋な称賛だった。
世間一般のイメージ通り。高給取りで、社会的地位が高くて、煌びやかな世界に生きる外科医様。

その言葉を聞いた瞬間。
坂上先生の眉尻が、ほんの数ミリだけ下がり──複雑極まりない苦笑が浮かんだ。

「……そう見えるなら光栄だ」

「?」

「いや、なんでもない」

彼はふい、と視線を夜景に逃がした。
彼が心の中で何を噛み殺したのか、その時の私にはまるで分からなかった。

「……さぁ、行くぞ。明日も早い」

彼は立ち上がり、エスコートのために手を差し出した。
その手は温かく、頼りがいがある。

私はその手が、昨夜もどこかの救急病院で働き詰めだったことなど知る由もなく、幸せな勘違いをしたまま握り返した。

「はい!」

……しかし。
彼の現実を知る機会は、思いの外すぐやってきた。






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