一大決心して大学院に進学したら、なぜか指導教官の外科医に溺愛されてます




朦朧とした意識の中で、夢を見るように思い出していた。

あれは、つい最近のことだったと思う。

深夜の共同研究室。
遠心分離機の回る低い音が、BGMのように流れている。

実験の待ち時間、コンビニで買った温かいコーヒーを二人で啜るのが、最近のルーティンになっていた。

「……高橋はさ」

ふと、坂上先生が紙コップの縁を指でなぞりながら口を開いた。

「どうしてわざわざ修士課程に?
……いや、優秀なのは知ってるけど。
今のままでも十分仕事できるだろ」

「大学院に行った理由──ですか?」

私は少し考え込み、視線を天井の蛍光灯に向けた。

「うーん……。色々、あります」

「色々?」

「はい。……やっぱり、普通の検査技師の業務範囲じゃ、出来ない研究がしたかったから。もっと根本的な病態の解明とか、新しい検査法の開発とか……そういう『川上』の仕事に触れたくて」

私は指折り数えた。
「あとは、単純にキャリアのため、っていうのもあります。学位があれば、将来の選択肢も増えますし」

「ふうん。……将来は、バリバリの研究者になりたいとか?」

「あはは、どうでしょう。そこまでは分かりませんけど……」

私は少し照れくさそうに笑った。

「保健学科の方で、教員として教えたりするのは興味ありますね。……学生に実験教えたり、小さなラボを持って、定時に帰れるような穏やかな研究生活もいいなって」

それが私の描く、ささやかだけど堅実な未来予想図だった。
博士号も取って、臨床経験も積んで、いずれは大学の講師へ。
安定していて、静かで、満ち足りた未来。

「……なるほどな。お前らしい」

坂上先生は優しく笑った。
その笑顔を見て、私も問い返した。

「先生は? ……先生こそ、外科医としてお忙しいのに、どうして博士号を?」

彼は臨床の腕も立つ。
手術だけしていればいいはずなのに、なぜ睡眠時間を削ってまで、慣れないピペットを握るのか。
彼は残ったコーヒーを一気に飲み干すと、紙コップをくしゃりと握りつぶした。
そして、ゴミ箱に放り投げながら言った。

「俺は……単純に、野心だよ」

「野心、ですか」

「ああ。……手術が上手いだけの医者は、掃いて捨てるほどいる」 
彼の瞳が、ギラリと光った。
それは肉食獣のような、強烈な自我の輝きだった。

「俺は上にいく。教授になって、俺のやり方で教室を動かす。……そのためには、『箔』が必要だ。誰も文句が言えないくらいの、圧倒的な研究業績という武器がな」

彼は私の椅子をくるりと回し、正面から向き合った。

「俺が教授になったら、お前をウチの教室の研究チーフとして雇ってやるよ。……保健学科の教育なんかより魅力的だろう?」

「ふふ、なんですかそれ。……光栄ですけど」

「本気だぞ。……俺たちが組めば、世界だって取れるさ」

彼はそう言って自信たっぷりに笑った。
その根拠のない自信と、私を対等なパートナーとして見てくれる視線が、たまらなく嬉しかった。

「……そうですね。頑張りましょう、先生」

「あぁ。……まずはこのD論、絶対に通すぞ」

私たちは笑い合い、再び実験台へと向かった。

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