Love in Crisis

◆ 第3話 「鍵」

薄暗いコンクリートの部屋に、機械的な通知音だけが冷たく響いた。

——ピンッ。

莉子と奏叶は思わず顔を見合わせる。さきほどから電波が届くはずのないこの場所で、不自然なほどはっきりと通知だけ届くスマホ。それが不気味だった。

奏叶が画面をのぞき込む。
「……ミッション、だって」

画面の中央に大きく一文だけ。

『鍵を見つけろ』

その下には、赤い文字で続きが表示されている。

『鍵はあなたたちの“恐怖”の中にある』

莉子の喉がひゅっとすぼまる。
「嫌な感じ……私たちの“恐怖”って何?」

奏叶は唇をかすかに噛んだまま、周囲を見渡す。
殺風景な廊下。むきだしの配線。時々、天井のどこかでカチッと音がする。

——監視されている。

そんな気配が、息をするたびに肌を刺した。

「とにかく進もう。ここにいても始まらない」

奏叶が莉子の腕をそっと引いた。
その手はあったかくて、緊張して震えている莉子の心がほんの少し落ち着く。

歩き始めると、長い廊下の先に古びた扉があった。
開けると、薄暗いロビーのような場所に出る。まるで廃ビル。家具は倒れ、ガラスが割れ、天井には監視カメラらしき黒い球体。

莉子は肩をすくめた。

「……見られてる気がする」

「気のせいじゃないと思う」

奏叶は莉子の前に立つように歩いた。
その背中は頼もしくて、けれどどこか懐かしいようにも感じてしまい、莉子はほんの一瞬、胸がざわついた。

(知ってる……この背中、昔……)

そこまで思ったところで、突然、ガタンッと音が鳴り響いた。

莉子「っ!」

奏叶が反射的に莉子を腕で抱き寄せる。
莉子の心臓が跳ねる。奏叶の胸の鼓動が近い。

「怖がるな。大丈夫だ」

その声が、あまりにも優しくて。
莉子の記憶の奥のどこかを、そっと叩いた。

(……誰かの声に似てる。誰だったっけ?)

思い出しそうで思い出せない。
ただ、胸の奥がぎゅっと痛む。

そのときだった。

「——莉子っ!」

聞き慣れた声が響いた。

莉子「え……佳奈!?」

走ってくるのは、莉子の親友・篠山佳奈。
焦った顔で駆け寄り、莉子の手を握りしめた。

「莉子、大丈夫? 本当に無事でよかった……っ!」

震える声。しかし、どこか違和感があった。
奏叶は佳奈を見た瞬間、目を細める。

「どうしてここに?」

佳奈は一瞬だけ奏叶に冷たい視線を向け、それから笑顔に戻る。
「莉子が誘拐されたって知って、いてもたってもいられなかったの。……でも、こんなところに奏叶くんまでいるなんてね」

莉子が答えようとしたが、奏叶が莉子の腕を軽く引いた。

「莉子、こいつ……」

「奏叶くん、何? こんな時に疑うの?」

莉子が少し強い口調になる。
佳奈はほっと息をついた。

「ほら、莉子は疲れてるんだよ。休める場所に連れて行ってあげる」

佳奈は莉子の肩に手を回す。
優しい動作のはずなのに、奏叶の眉はぴくりと動いた。

(……力の入れ方がおかしい。連れて行く“方向”も)

奏叶「莉子、離れろ」

莉子「どうして?」

佳奈「奏叶くん、疑いすぎじゃない? 莉子を助けに来ただけなのに」

佳奈は笑っているのに、その眼だけは笑っていなかった。

その瞬間——
カラ、と床に何かが転がった。

奏叶「……! 莉子、動くな!」

奏叶が莉子を強く引き寄せる。
足元に落ちていたのは、小さな透明の瓶。

佳奈の顔から血の気が引いた。

莉子「これ……薬?」

奏叶「嗅ぐな! 眠り薬かもしれない」

佳奈は逃げるように後ずさる。
「違うの……私は悪くない。私は“あの人”に言われただけなんだよ……!」

「あの人」
その言葉が不気味に響く。

莉子「佳奈……どうして……?」

佳奈は泣きそうな顔をしながら走り去った。
追おうとした奏叶だが、莉子の肩が震えるのを感じて足を止めた。

「大丈夫だ。俺がいる」

奏叶の声を聞きながら、莉子の中で、またひとつ記憶の破片が光る。

——この声、私は昔から……

だがその続きを掴む前に、
スマホが震えた。

『鍵のヒント:恐怖を思い出せ』

莉子は息をのむ。

恐怖——爆発音
恐怖——拉致の記憶
恐怖——裏切り
恐怖——謎の獣医
恐怖——自分自身の“過去”

それらが一気に頭の中で混ざり合い、
莉子はある場所を思い出した。

「……奏叶。あっちの部屋」

莉子が指さす先、薄暗い廊下の突き当たりに鉄製のロッカーが並ぶスペースがあった。

近づくと、一番奥のロッカーに白いテープで名前が貼られている。

——『莉子』。

「どうして……私の名前が?」

ロッカーを開けると、そこには

幼い莉子と、幼い奏叶のツーショット写真。

そして小さな金属の鍵が添えられていた。

莉子「奏叶……これ……私たち……」

奏叶は言葉を失う。

莉子の胸がずきん、と痛む。
忘れていた記憶が、今にも扉を叩いて開こうとしている。
だけどまだ、はっきりしない。

「どうして……どうして奏叶と私……?」

震える声のまま、莉子は鍵を握りしめた。

ただ、その瞬間だけは確かだった。
奏叶の存在が、恐怖の中で唯一の救いだということ。


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