半年限定の花嫁だけど、本気で求められています

第1話 結婚式で引き当てたのは、御曹司との“契約花嫁”でした

 ――これは、完全に場違いだ。

 きらきらと光るシャンデリア。
 テーブルには、見たこともない名前のシャンパン。
 ふわりと揺れるブランドドレスたちの間で、桜井紗菜は自分のワンピースの裾を、そっと握りしめた。

 「紗菜ちゃん、こっちこっち!」

 手を振っているのは、この結婚式の主役のひとり、三条美月。
 外資系コンサルでバリバリ働く、いかにも“できる女”というオーラの、紗菜の友人だ。

 「美月さん……本当に、おめでとうございます」
 「ありがと。紗菜ちゃん、今日も可愛いじゃん。ほら、もっと胸張って」

 にこっと笑って紗菜の背中を軽く押す美月は、チュールレースのドレスにティアラまでつけて、まさに物語のプリンセスだった。
 隣には、爽やかな笑みを浮かべた新郎――大企業〈MIDOホールディングス〉の役員。

 紗菜は、そっと視線をそらす。

 (本当に、別世界だなぁ……)

 総務課で書類整理に追われる毎日。
 実家のローンを少しでも早く返したくて、贅沢もせず、飲み会もあまり行かず、地味に生きてきた。

 そんな自分が、こんなセレブ婚の披露宴にいるなんて。
 鏡に映る自分の姿は、やっぱり“普通のOL”でしかなくて、紗菜は少しだけ肩をすくめた。

 席に案内されると、テーブルの上に、小さなカードが置かれていた。
 白地に金の縁取り。その中央に、数字がひとつ。

 「……二十七?」

 カードをひっくり返してみても、裏には何も書いていない。

 「それね、抽選番号なんだって」
 同じテーブルの女性が笑いかけてくる。
 「最後にサプライズくじ引きがあるんだってさ。さすが美月さんの式、やること派手だよね」

 「サプライズ……」

 紗菜は、もう一度カードを見つめた。

 ――二十七。
 特別な数字でもなんでもない、ごく普通の数字。

 (どうせ当たるのは、隣のテーブルのモデルさんとか……そういう人だよね)

 そう思って、小さく苦笑した。

 披露宴は、夢みたいな時間だった。
 新郎新婦のプロフィールムービーでは、ふたりが海外の海辺ではしゃぐ姿が映し出され、会場は温かい笑いに包まれる。
 花嫁の手紙では、美月らしい、少し照れくさくて、でもまっすぐな言葉に、思わず紗菜も涙ぐんだ。

 (美月さん、幸せそうでよかったな……)

 胸の奥がじんわりと温かくなる。
 幸せは遠いところにあるものだと思ってきたけれど、こうして誰かの幸せを見ていると、自分まで少しだけ心が満たされる。

 そして、デザートが運ばれたあと。
 場内の照明が、すっと落とされた。

 「さあ、みなさま!」

 明るい司会の声が響く。

 「本日は、新郎新婦から、皆さまへのスペシャルなプレゼントをご用意しております!」

 歓声があがる。
 紗菜も拍手をしながら、テーブルの上のカードを見た。

 「お手元にある番号札、覚えていらっしゃいますか? 
  これから行う抽選で、当選された方には――“とっておきの夢のプレゼント”が贈られます!」

 スクリーンには、大きく「Special Gift」の文字。
 会場の空気が、さらに熱を帯びた。

 (夢のプレゼント……なんだろう。旅行券とか、ブランドバッグとか……)

 紗菜はそんなことを思いながら、自分の“二十七”を指でなぞる。

 ひとり、またひとりと番号が読み上げられていく。
 高級スパ招待券、人気レストランのペアチケット、ジュエリーボックス……。
 歓声と拍手がたびたび起こり、会場は幸せな笑いで満ちていた。

 「それでは、いよいよラスト!」

 司会者の声が一段と大きくなる。

 「最後のひとつは、新郎新婦からの“特別賞”です!」

 ざわ……と、会場が小さくざわめく。
 紗菜は、手のひらに汗が滲むのを感じながら、なんとなくカードを握りしめた。

 (どうせ、私じゃない。私じゃないけど――)

 「当選番号は……」

 間。

 「二十七番!」

 ――え?

 自分の耳を疑った。
 思わずカードを見る。
 そこには、目をこすっても変わらない、くっきりとした数字。

 二十七。

 「え、あ、わ、わたし?」

 頭が真っ白になる。
 周囲の視線が、一斉に紗菜に集まるのがわかった。

 「二十七番のお客様、どうぞ前へ!」

 司会者が明るい声で促す。
 隣の人が「行って行って!」と背中を押し、紗菜はよろめきながら立ち上がった。

 (うそ……本当に、私……?)

 足が少し震える。
 それでも、なんとかステージへと向かう。
 慣れないヒールが床を鳴らす音が、やけに大きく響いた。

 スポットライトの眩しさに目を細めながら、紗菜はステージの中央に立たされた。

 「おめでとうございます!」
 司会者が満面の笑みでマイクを差し出す。
 「お名前、教えていただいてもよろしいですか?」

 「……さ、桜井……紗菜です」

 自分の声が、かすかに震えているのがわかった。

 「桜井紗菜さん! 本日のスペシャルラッキーパーソンです!」

 会場から拍手が起こる。

 「それでは、気になる特別賞の内容を、発表したいと思います!」

 スクリーンが切り替わる。
 紗菜は、ただただ固まったまま、その文字を追いかけた。

 ――“御堂怜司さんとの 半年間の契約花嫁”。

 「……え?」

 思わず声が漏れた。

 「はい! なんと桜井さんには、本日ご列席いただいている〈MIDOホールディングス〉御曹司、御堂怜司さんとの“半年間限定・契約結婚プラン”をプレゼントいたします!」

 会場中が、どよめきに包まれた。

 「けっ……こん?」

 紗菜は、マイクも忘れて呟いた。
 司会者が楽しそうに言葉を重ねる。

 「もちろん、形式上の契約結婚からスタートですが――そこから先は、お二人次第、かもしれませんね〜?」

 きゃー、と黄色い悲鳴が起こる。
 冗談じゃない。

 (いやいやいやいや、ちょっと待って――!)

 紗菜は必死で首を振った。
 「えっ、あの、無理です! 私、そういうのは――」

 そのときだった。

 「……待て」

 落ち着いた低い声が、会場のざわめきをすっと切り裂いた。

 振り向いた先、ステージの端に立っていたのは――スクリーンに映っていた本人。
 黒いタキシードを身に纏い、整った顔立ちに一片の乱れもない男。

 御堂怜司。

 彼はゆっくりと歩み寄り、紗菜の隣に立つ。
 間近で見ると、その存在感に思わず息を呑んだ。

 (……近い。え、これ、本物?)

 怜司は司会者からマイクを受け取り、会場を一瞥すると、静かに口を開いた。

 「少し、説明させていただきます」

 徐々に、ざわめきが収まっていく。

 「今回の“契約花嫁”というのは、私の祖母――会長の発案だ。
  形式上の契約だが、半年間、彼女には御堂家の屋敷で生活してもらい、パートナーとして公の場にも同行してもらうことになる」

 突然、とんでもないことを告げられているのに、怜司の声は落ち着いていた。

 「もちろん、彼女の意思は最大限尊重する。その上で――」

 ふいに、怜司の視線が紗菜に向けられる。
 至近距離で目が合った。
 暗い黒の奥に、意外なほど澄んだ光が宿っている。

 「桜井紗菜さん」

 名前を呼ばれただけで、心臓が跳ねた。

 「……君さえよければ、この契約に乗ってほしい」

 「よ、よければって……そんな、簡単に……」

 ここで断ってしまえば、きっと笑って終わる話だ。
 でも、目の前の男は、冗談を言っている顔ではなかった。

 (私はただの、地味なOLで……
  相手は、日本屈指の御曹司で……
  “出会うはずのなかった、手の届かない存在”で……)

 頭の中で、いろんな言葉がぐるぐると回る。
 でも、それ以上に。

 ――さっきからずっと、胸の奥が、変なふうに高鳴っている。

 「……すぐに、答えを出さなくて構わない」
 怜司は、ふっと少しだけ聲を落とした。
 紗菜にだけ聞こえるくらいの小さな声で。

 「これは君の人生だ。無理強いはしない。
  ただ――」

 ほんの一瞬だけ、怜司の瞳がやわらかく揺れた。

 「君なら、悪くないと思った」

 その一言に、なぜか息ができなくなった。

 悪くない、って何。
 どういう意味、って聞き返したいのに、声にならない。

 司会者がマイクを持ち直し、明るく言う。

 「というわけで、詳細は後日しっかりご説明するとして……!
  まずはお二人のご縁を祝して、盛大な拍手を!」

 会場がわっと沸いた。
 全身の血が一気に逆流するみたいに熱くなる。

 (夢なら、早く覚めて……)

 でも、頬をつねる勇気は出なかった。
 怜司の手が、そっと自分の腰のあたりに添えられた瞬間――

 現実だと、思い知らされた。

 この日。
 “普通のOL・桜井紗菜”は、
 “御堂怜司の契約花嫁候補”へと、一歩踏み出してしまったのだった。

 この先に待つのが、甘い夢か、苦い現実か。
 それすら、まだ何もわからないまま。

 ただひとつわかるのは――

 あの手は、決して“届くはずのない場所”から伸びてきたものだった、ということだけだった。
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