半年限定の花嫁だけど、本気で求められています

第10話 近づく期限、すれ違う気持ち

 怜司に肩へ落とされたあの甘いキス――。
 その余韻は、翌日も胸の奥でじんわりと熱を残していた。

 (怜司さん……“契約の相手とは思えない”って……)

 部屋でひとり思い返すだけで、鼓動が速くなる。
 けれどその幸せは、長く続かなかった。

 季節は春へ向かい、契約期間は残り二ヶ月。
 それに比例するように、怜司は急激に忙しくなった。

 朝早く出て、深夜に帰る。
 会話は減り、食事すら一緒にできない日が続く。

 「今日は遅くなる。先に食べてていい」
 「会議がある。また帰りは深夜だ」

 そんな短いメッセージだけが届く日もあった。

 (寂しい……。
  こんな気持ちになるの、私ばっかり……?)

 契約婚とはいえ、同じ家で暮らしている。
 顔を見ない日が続くと、心がぽっかり穴があいたような気分になる。

 ある夜、怜司の帰りを待ちながらカップに手を添えていたとき。
 廊下の電気がつき、怜司が帰ってきた。

 「……おかえりなさい」

 声をかけると、怜司は驚いたように紗菜を見る。
 「こんな時間まで起きていたのか?」

 「あの……ちゃんと帰ってくる姿、見たくて……」

 言った瞬間、自分でも恥ずかしくなる。
 怜司は一瞬だけ目を見開き、声を潜めた。

 「……紗菜」

 (怒られる……?)
 そう思って身構えたのに、怜司はそっと紗菜の頭に手を置いた。

 「悪い。寂しい思いをさせて」

 優しい。
 触れ方ひとつで胸が甘くなる。

 でも――それだけだった。
 怜司はすぐに手を離し、

 「先に寝ろ」

 とだけ言い残し、書斎へ消えていった。

 (……触れられたのに。
  あんなに優しい声で言われたのに……)

 嬉しさより、切なさが勝ってしまう。

 怜司は優しい。
 でも、その優しさが“契約だから”なのか“私だから”なのか、わからない。

 そう思うと、怖かった。

 そして――さらに追い打ちをかける出来事が起きた。

 翌日。
 舞が御堂家を訪れた。

 「こんにちは、紗菜さん」

 美しすぎる笑み。
 その後ろには会長もいる。

 (また……試されるんだ……)

 そう覚悟したけれど、舞は違う角度から攻めてきた。

 「最近、怜司さん……忙しそうね」

 「……はい」

 「あなた、あまり会えていないんじゃなくて?
  ほとんど顔も見てないんじゃないかしら」

 図星すぎて胸が痛む。
 舞はさらに、紗菜の心の奥へ切り込む。

 「……ねえ紗菜さん。
  あなた、本気で怜司さんを好きになっているんじゃない?」

 刃物のようなひと言だった。

 「そ、それは……!」

 「悪いとは言ってないわ。
  でも、契約婚だってこと、忘れてないでしょう?」

 舞は優しい声で、残酷な真実を突きつける。

 「半年経ったら、あなたは“役目”を終えるだけ。
  怜司さんには御堂家の跡取りとして正式な結婚相手が必要なの。
  それがあなたじゃないこと……あなたが一番、わかってるでしょう?」

 “あなたじゃない”
 その言葉が胸を深く刺す。

 「怜司さんは忙しくて、あなたが寂しくても気づけない。
  それが、あなたたちの“身分差”。
  同じ世界に立っていないという証拠よ」

 喉の奥がぎゅっと詰まり、呼吸が苦しくなる。

 舞は最後に静かに言った。

 「言い方がきつかったなら、ごめんなさい。
  でも、私はあなたが傷つく未来……見たくないの」

 その微笑みは優しいのに、
 紗菜にとっては“突き放し”にしか見えなかった。

 舞が去っていくと、紗菜は立っているのがやっとだった。

 (……わかってる。
  わかってるけど……)

 涙が一粒、頬を伝う。

 ――好きになったら、ダメだったのに。

 胸の奥がずきんと痛む。
 怜司を好きでいればいるほど、終わりが怖くなる。

 紗菜は自室に戻り、ベッドの端に座り込んだ。

 (怜司さんの隣に立つのは……やっぱり、私じゃないんだ)

 泣きたくなくても、涙は止まらなかった。

 ただ静かに、
 誰にも見られない場所で、
 紗菜はぽろぽろと涙をこぼし続けた。
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