半年限定の花嫁だけど、本気で求められています
第12話 二人の本音、重なる影
怜司に抱きしめられた夜から――紗菜の胸はずっと重かった。
あの腕の温かさも、声の震えも、忘れようとするほど思い出してしまう。
(怜司さん……“こんなこと言うな”って……)
まるで、自分の言葉が怜司の心を傷つけたような口ぶりだった。
けれどそれが何を意味しているのか、紗菜にはわからない。
(もし……怜司さんも少しでも、私を特別に思ってくれてたら……)
期待してしまうから、苦しい。
恋をすると、こんなにも息が苦しくなるのかと知る。
けれど、そんな紗菜の心を知らないまま――怜司は仕事に追われた。
顔を合わせても、言葉は少なく、手が触れそうになると怜司はそっと引く。
(避けられてる……?)
そう思うたび、胸がひりついた。
実は、怜司には怜司の事情があった。
紗菜が距離を置こうとしたあの夜――怜司の胸にも、小さな不安が生まれていた。
(……紗菜が、離れたがっている?)
(俺が……何かしたのか?)
仕事をこなしながらも、紗菜の表情が頭から離れなかった。
優しくすれば泣かせてしまい、
触れれば怯えさせてしまう気がして――怖かった。
(……どうすればいい……?)
怜司は初めて、答えの出ない迷いに足を取られていた。
*
数日後。
紗菜が一人で庭に出ていると、舞が近づいてきた。
「紗菜さん。最近、怜司さん……あなたに冷たくしてない?」
出だしから心をえぐる言葉だった。
紗菜は目を見開いた。
「そ、そんな……怜司さんは忙しいだけで……」
「違うと思うわ」
舞は静かに微笑んだ。
その笑みは綺麗で、どこか冷たい。
「紗菜さんが知らないかもしれないから、言っておくわね。
怜司さん……“あれ”を受けるつもりよ」
「……あれ?」
「正式婚約の申し出よ」
紗菜の心臓が止まりそうになった。
(正式婚約……?)
舞は続ける。
「もちろん、相手はあなたじゃないわ」
(あ……そう、だよね……)
なんとなくわかっていたはずの言葉なのに、
舞に言われると胸がズキッと痛む。
舞はさらに残酷な言葉を落とした。
「怜司さん、最近あなたを避けてるでしょう?
本当はね、“あなたが気持ちを持たないように”距離を置いているのよ」
「えっ……?」
「あなたに依存させないため。
半年で終わる関係なんだから、情なんて持たないほうがいい。
……怜司さん、そう考えてるみたい」
(…………っ!)
息ができない。
胸の奥がぎゅっと締めつけられる。
(怜司さんが……私に、情を持たないように……?)
(だから……触れなかったの……?)
(優しすぎるのに……距離を置いたの……?)
紗菜は微笑みながら必死に涙をこらえた。
「……そうですよね。
怜司さんは……優しいから……」
舞は満足げに微笑んだ。
「わかってもらえてよかった」
そのまま去っていく舞の背中が揺れた。
紗菜は、もう立っていられなかった。
庭のベンチに座り、震える手を胸に当てた。
(あれは……優しさじゃなくて……
“終わりを考えた距離”だったんだ……)
頬に温かいものがこぼれる。
(……私だけが、勘違いして……)
涙が落ちていく。
(好きになって……迷惑だったんだ……)
震える手がスカートをぎゅっと握る。
(……こんなに好きなのに……)
*
その日の夕方。
紗菜は自室のクローゼットを開けた。
荷物をまとめるための大きなスーツケースを取り出す。
(期限まで、あと3週間。
最後までいたら、もっと苦しくなるだけ……)
静かな決意だった。
そっと洋服を畳み、書類をまとめ、アクセサリーを箱へ入れていく。
一つ一つ詰めるたびに、胸が痛んだ。
(怜司さんに何も言わずに出るなんて……失礼だよね……)
(でも、会ったら……泣いてしまう……)
手が止まる。
そのとき。
――ガチャッ!
扉の向こうから驚いた声が響いた。
「……紗菜? 何をしてる」
怜司だった。
紗菜が振り返ると、怜司の視線はスーツケースに落ちた。
一瞬で表情が固まり、歩み寄ってきた。
「出ていくつもりか?」
声は低く、震えていた。
紗菜は唇を噛んで、ゆっくりとうなずく。
「……ごめんなさい。
契約の期限、まだ残ってるけど……もう……迷惑はかけたくないから……」
怜司の目が大きく揺れた。
「迷惑……? 誰がそんなことを――」
舞が言った、とは言えない。
紗菜は俯いたまま続けた。
「怜司さんは……私に情が移らないように……距離を置いたんですよね?
半年で終わる関係だから……って……」
怜司の顔が一瞬で強張った。
「誰から聞いた」
「……」
「答えろ、紗菜」
怒りに似た熱が声に宿っている。
紗菜は震える声で言った。
「舞さんが……言ってました……」
怜司は深く息を吸い、握った拳を震わせた。
「……違う」
静かだけれど、揺るぎない声。
「距離を置いたのは……
“お前をこれ以上泣かせたくなかった”からだ」
紗菜は思わず顔を上げた。
怜司は近づき、腕を伸ばし――紗菜を強く抱きしめた。
「……いなくなるなんて……考えるな」
低い声が耳元に落ちる。
「俺は……お前に情を持たないなんて……できるわけがない」
紗菜はその言葉に、耐えきれず涙をこぼした。
「……じゃあ……怜司さんは……どうしたいんですか……?」
怜司は紗菜の髪に額を押し当て、苦しそうに囁いた。
「……俺も……どうしたらいいかわからなくなってる」
紗菜の胸がぎゅっと締めつけられる。
怜司の声が震えていたのは、初めてだった。
夜の部屋には、二人の呼吸だけが重なっていた。
距離を取ろうとしていた二人が、
今はこんなにも近くで、
離れられなくなっていた。
あの腕の温かさも、声の震えも、忘れようとするほど思い出してしまう。
(怜司さん……“こんなこと言うな”って……)
まるで、自分の言葉が怜司の心を傷つけたような口ぶりだった。
けれどそれが何を意味しているのか、紗菜にはわからない。
(もし……怜司さんも少しでも、私を特別に思ってくれてたら……)
期待してしまうから、苦しい。
恋をすると、こんなにも息が苦しくなるのかと知る。
けれど、そんな紗菜の心を知らないまま――怜司は仕事に追われた。
顔を合わせても、言葉は少なく、手が触れそうになると怜司はそっと引く。
(避けられてる……?)
そう思うたび、胸がひりついた。
実は、怜司には怜司の事情があった。
紗菜が距離を置こうとしたあの夜――怜司の胸にも、小さな不安が生まれていた。
(……紗菜が、離れたがっている?)
(俺が……何かしたのか?)
仕事をこなしながらも、紗菜の表情が頭から離れなかった。
優しくすれば泣かせてしまい、
触れれば怯えさせてしまう気がして――怖かった。
(……どうすればいい……?)
怜司は初めて、答えの出ない迷いに足を取られていた。
*
数日後。
紗菜が一人で庭に出ていると、舞が近づいてきた。
「紗菜さん。最近、怜司さん……あなたに冷たくしてない?」
出だしから心をえぐる言葉だった。
紗菜は目を見開いた。
「そ、そんな……怜司さんは忙しいだけで……」
「違うと思うわ」
舞は静かに微笑んだ。
その笑みは綺麗で、どこか冷たい。
「紗菜さんが知らないかもしれないから、言っておくわね。
怜司さん……“あれ”を受けるつもりよ」
「……あれ?」
「正式婚約の申し出よ」
紗菜の心臓が止まりそうになった。
(正式婚約……?)
舞は続ける。
「もちろん、相手はあなたじゃないわ」
(あ……そう、だよね……)
なんとなくわかっていたはずの言葉なのに、
舞に言われると胸がズキッと痛む。
舞はさらに残酷な言葉を落とした。
「怜司さん、最近あなたを避けてるでしょう?
本当はね、“あなたが気持ちを持たないように”距離を置いているのよ」
「えっ……?」
「あなたに依存させないため。
半年で終わる関係なんだから、情なんて持たないほうがいい。
……怜司さん、そう考えてるみたい」
(…………っ!)
息ができない。
胸の奥がぎゅっと締めつけられる。
(怜司さんが……私に、情を持たないように……?)
(だから……触れなかったの……?)
(優しすぎるのに……距離を置いたの……?)
紗菜は微笑みながら必死に涙をこらえた。
「……そうですよね。
怜司さんは……優しいから……」
舞は満足げに微笑んだ。
「わかってもらえてよかった」
そのまま去っていく舞の背中が揺れた。
紗菜は、もう立っていられなかった。
庭のベンチに座り、震える手を胸に当てた。
(あれは……優しさじゃなくて……
“終わりを考えた距離”だったんだ……)
頬に温かいものがこぼれる。
(……私だけが、勘違いして……)
涙が落ちていく。
(好きになって……迷惑だったんだ……)
震える手がスカートをぎゅっと握る。
(……こんなに好きなのに……)
*
その日の夕方。
紗菜は自室のクローゼットを開けた。
荷物をまとめるための大きなスーツケースを取り出す。
(期限まで、あと3週間。
最後までいたら、もっと苦しくなるだけ……)
静かな決意だった。
そっと洋服を畳み、書類をまとめ、アクセサリーを箱へ入れていく。
一つ一つ詰めるたびに、胸が痛んだ。
(怜司さんに何も言わずに出るなんて……失礼だよね……)
(でも、会ったら……泣いてしまう……)
手が止まる。
そのとき。
――ガチャッ!
扉の向こうから驚いた声が響いた。
「……紗菜? 何をしてる」
怜司だった。
紗菜が振り返ると、怜司の視線はスーツケースに落ちた。
一瞬で表情が固まり、歩み寄ってきた。
「出ていくつもりか?」
声は低く、震えていた。
紗菜は唇を噛んで、ゆっくりとうなずく。
「……ごめんなさい。
契約の期限、まだ残ってるけど……もう……迷惑はかけたくないから……」
怜司の目が大きく揺れた。
「迷惑……? 誰がそんなことを――」
舞が言った、とは言えない。
紗菜は俯いたまま続けた。
「怜司さんは……私に情が移らないように……距離を置いたんですよね?
半年で終わる関係だから……って……」
怜司の顔が一瞬で強張った。
「誰から聞いた」
「……」
「答えろ、紗菜」
怒りに似た熱が声に宿っている。
紗菜は震える声で言った。
「舞さんが……言ってました……」
怜司は深く息を吸い、握った拳を震わせた。
「……違う」
静かだけれど、揺るぎない声。
「距離を置いたのは……
“お前をこれ以上泣かせたくなかった”からだ」
紗菜は思わず顔を上げた。
怜司は近づき、腕を伸ばし――紗菜を強く抱きしめた。
「……いなくなるなんて……考えるな」
低い声が耳元に落ちる。
「俺は……お前に情を持たないなんて……できるわけがない」
紗菜はその言葉に、耐えきれず涙をこぼした。
「……じゃあ……怜司さんは……どうしたいんですか……?」
怜司は紗菜の髪に額を押し当て、苦しそうに囁いた。
「……俺も……どうしたらいいかわからなくなってる」
紗菜の胸がぎゅっと締めつけられる。
怜司の声が震えていたのは、初めてだった。
夜の部屋には、二人の呼吸だけが重なっていた。
距離を取ろうとしていた二人が、
今はこんなにも近くで、
離れられなくなっていた。