半年限定の花嫁だけど、本気で求められています

第6話 偽りの婚約、偽れない想い

 「紗菜。今日は外に出る」

 朝食後、怜司がさらりと言った。
 聞けば、御堂グループ主催のチャリティイベントの準備会に“婚約者として出席”する必要があるらしい。

 「えっ、もう外の場に……? まだ私、レッスンも完璧じゃ……」

 「完璧でなくていい。俺がいる」

 その一言に、胸がふわっと熱くなる。
 怜司の“俺がいる”は、ずるい。
 言われるたびに心が溶けてしまう。

 怜司の専用車に乗り込むと、すぐ隣のシートに座る彼の存在が大きすぎて、紗菜は落ち着かない。
 ジャケット越しでも伝わる体温。
 長い脚、指先、喉の動き。
 全部が“絵になっている”ような完璧な男。

 (本当に……こんな人の婚約者として並んで歩くの?)

 緊張で手が冷えていく。
 そんなとき。

 「……手」

 怜司が自分の手を差し出していた。
 紗菜は困惑して瞬きを繰り返し、ゆっくりと手を乗せる。

 怜司の指が絡まり、しっかりと握られた。

 「冷たいな。緊張してるのか」

 「だ、だって……外で、怜司さんと並んで歩くなんて……」

 「そんなに怖いか?」

 「怖いです……っ」

 怜司は少しだけ笑った。
 甘くて、見たことのない優しい笑い。

 「俺の隣では、怖がる必要はない」

 そう言って紗菜の手を軽く包み込むように握るから、
 心臓が一瞬で忙しくなった。

 やがて会場に到着すると、玄関前はすでにメディアや関係者が集まっていた。
 紗菜の喉がぎゅっと狭くなる。

 (無理……無理……あんな大勢の前で、怜司さんの婚約者のふりをするなんて……)

 そのとき怜司が一歩近づき、紗菜の腰に手を添えた。
 驚いて顔を上げると、怜司が低く囁く。

 「落ち着け。俺がいるって言っただろ」

 たったそれだけなのに、緊張が半分消えるから不思議だ。

 外に出た瞬間、まぶしいフラッシュの光が降り注ぐ。
 怜司の腕に引かれ、紗菜は自然と彼に寄り添った。

 「御堂さん、婚約者の方ですか?」
 「お美しい方ですね!」

 無数の声が飛ぶ。
 怜司は紗菜を包むように寄せ、落ち着いた声で答える。

 「彼女は……大切な人です。丁重に扱ってください」

 (た、大切!?)

 心臓がとんでもなく跳ねた。

 周りのざわめきが変わった。
 一斉に注目が紗菜へ向かう。
 息が苦しくなる。

 (無理……視線が怖い……)

 ほんの一瞬、足が止まりそうになったとき、怜司が紗菜の手をぎゅっと握った。

 「紗菜、離れるな」

 言葉は静かで、でも力があった。

 そのまま怜司は紗菜の手を引き、会場の中へ進んでいく。
 足取りが自然と安定する。
 怜司の後ろ姿と握られた手が、ひどく心強かった。

 イベント会場では、さまざまな経営者たちが怜司に挨拶に来る。
 そのたびに、怜司は紗菜の腰に手を添え、紹介した。

 「婚約者の桜井紗菜だ」

 その姿はまるで“本物の婚約者”のようで。
 周囲の反応に、誰ひとり異論を挟まない。

 (怜司さん……本当に、私のことを……)

 胸の奥が熱くなる。
 でも、その幸せは突然破られた。

 「あら、紗菜さん。大丈夫?」

 振り向いた先に立っていたのは――氷川舞。

 今日も完璧な美しさ。
 怜司を見つめる瞳は柔らかく、それが紗菜の胸に痛く刺さる。

 「怜司さんは疲れてない? あなたが緊張してると、怜司さんまで気を使うでしょう」

 柔らかい声音なのに、紗菜の心臓がぎゅっと掴まれる。
 “あなたでは怜司さんの足を引っ張る”
 そう聞こえた。

 怜司が舞に気づき、微妙に目を細める。

「舞。紗菜を不安にさせるな」

 「不安にさせる気なんてないわ。ただ……心配してるだけ」

 2人のやりとりを見ているだけで胸が痛い。
 舞と怜司が並ぶ姿は、どう見ても釣り合っている。
 美しさも、立ち姿も、話し方も。

 (私なんか……本当にお似合いじゃないんだ……)

 急に呼吸が浅くなった。
 紗菜は俯き、ほんの一歩だけ怜司から離れた。

 ――その一歩を、怜司は絶対に許さなかった。

 「紗菜」


 怜司が手を伸ばし、強く紗菜の腕を引いた。

 抵抗する間もなく、怜司の胸に抱き寄せられる。

 「離れるなと言った」

低い囁きが首筋に触れ、全身が熱に染まる。

舞が目を丸くする。
 周囲が息を呑む。

 怜司は舞を見据えながらはっきり言った。

 「俺の隣に立つのは、紗菜だけだ」

 その言葉は優しくて、強くて。
 紗菜の胸に、甘い痛みが刺さった。

 (こんなふうに言われたら……
  本気で好きになってしまう……)

 会場のざわめきの中、怜司の腕は離れない。
 紗菜の心だけが、ますます怜司へと傾いていく。

 ――これは契約のはずなのに。
 偽りの婚約のはずなのに。

 怜司の言葉も、触れ方も、
 胸に響くたびに“偽れない気持ち”が強くなっていった。
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