半年限定の花嫁だけど、本気で求められています

第9話 罠に落ちた花嫁候補と、夜の密やかな救済

翌日。
 紗菜は会長に言われた追加レッスンのため、御堂家とは別の施設へ向かった。
 そこで待っていたのは――なぜか、舞だった。

 「怜司さんから聞いたわ。あなた、今日ここで“品格テスト”を受けるんだって?」

 舞の笑顔は完璧だ。
 でもどこか、何かを企んでいる光があった。

 「テストの前に、一緒に軽く外を歩きましょう。
  あなたがどれだけ“婚約者らしく見えるか”、見ておきたいから」

 紗菜は戸惑いつつも断れなかった。

 施設の外に出ると、街のカフェ通り。
 舞は紗菜と少し距離をとって歩きながら言う。

 「紗菜さん、昨日のイベントで……怜司さん、あなたを抱き寄せたわよね」

 「っ……あ、あれは……!」

 「契約婚なのに……まるで本物の恋人同士みたいだった」

 舞の声は穏やか。
 けれどその穏やかさが、紗菜の胸をざわつかせる。

 「誤解されないようにね。
  怜司さんは、誰にでも優しいから」

 胸が苦しくなる。
 怜司が“誰にでもそんなことをする人”だとは思いたくない。
 けれど、舞の言葉は鋭い針みたいに刺さった。

 (私だけ……じゃないの……?)

 その瞬間だった。

 バシャッ!

 前方でカメラのシャッターが切られた。

 「御堂怜司の婚約者、発見!」
 「契約結婚って本当ですか!?」
 「あなた、彼に捨てられたらどうするんですか?」

 記者たちが一斉に紗菜を囲んだ。
 突然のことに足がすくむ。

 「や、やめてください……っ」

 「やっぱり契約ですよね?
  身分が違いすぎますもんね!」

 「や、やめ……っ」

 怖い。
 足が震える。
 逃げられない。

 舞が一歩後ろへ下がっていくのが見えた。

 ――罠。

 気づいた瞬間、紗菜の胸に冷たいものが落ちた。

 (どうしよう……ここでパニックになったら……
  怜司さんに迷惑……)

 涙が滲む。
 もうだめだ――と思ったそのとき。

 黒い影が飛び込んできた。

 「紗菜!」

 怜司だった。
 その顔は怒りに染まっていて、見たことのない表情だった。

 彼は迷いなく紗菜の腕を掴み、強く抱き寄せた。

 「……誰が、紗菜に触れた」

 低い声。
 記者たちの動きが一瞬で止まる。
 怜司の纏う気迫に、誰も近づけない。

 「御堂さん、説明を――!」

 「紗菜は俺の婚約者だ。
  彼女を傷つける記事を出せば、御堂家は黙っていない」

 怜司の声は静かで冷たくて、恐ろしいほど本気だった。
 記者たちは一歩、二歩と後退した。

 怜司は紗菜の肩に腕を回し、震える体を優しく抱き寄せる。

 「……怖かったな」

 耳元で落ちる声は、さっきの怒りの色を消していた。
 紗菜の胸が甘く震える。

 「れ、怜司さん……私……」

 紗菜の声が詰まり、涙が頬を伝う。
 怜司は迷いなく、その涙を指で拭った。

 「よく我慢した。
  泣いていい。俺がいる」

 その一言で、紗菜は完全に崩れ落ちた。

 怜司の胸に顔を埋め、肩を震わせて泣く。
 怜司は何も言わず、ただ強く抱きしめてくれた。

 その腕の温かさが、世界のすべてを覆ってくれるみたいだった。

 車に乗り込むと、怜司は紗菜を膝の上に抱いたまま離そうとしない。

 「……紗菜。
  舞に誘われた時点で、俺に連絡しろと言ったよな」

 「ごめんなさい……怜司さんに迷惑かけたくなくて……」

 「迷惑なわけがない」

 怜司は強く言い切った。
 そのまま紗菜の頬に手を添え、顔を近づけてくる。

 「……こんな顔、させたくない」

 触れそうで触れない距離。
 紗菜の心がぎゅっと締めつけられる。

 「契約だからとか……そういう問題じゃない。
  お前が傷つくのは、俺が許せない」

 紗菜は涙を拭きながら、震える声で言った。

 「怜司さん……どうしてそこまで……優しくするんですか……?」

 怜司は一瞬だけ目を閉じ、静かに息を吐いた。
 そして、紗菜を胸に抱き寄せたまま、低く囁く。

 「……理由なんて言わせるな」

 「っ……」

 「紗菜に触れた記者も、泣かせた舞も……全部俺が許せなくなる。
  これ以上、気持ちを押さえ込むのが……限界なんだ」

 息が止まる。
 胸が苦しい。
 怜司の手が紗菜の背中をゆっくり撫でるたび、身体が熱くなる。

 そのまま肩に軽く唇が触れた。
 優しくて、甘くて、震えるくらい温かいキス。

 「……紗菜。
  俺はもう……お前を契約の相手とは思えない」

 紗菜は怜司の胸にぎゅっとしがみついた。

 この恋は、もう後戻りできない。
 契約なんてとっくに越えてしまっている。
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