【第13回ネット小説大賞受賞・書籍化】王太子殿下、終了のお知らせです。

婚約者との初めての会話

扉の前で深呼吸をする。
これから私が行う事は、壇上の御方にとっては心を抉られるような痛みを伴う。

幼少のころからラシェル殿下の我が儘と癇癪には随分と心を砕いていらしたと聞いている。幾度となく教育係や側近の見直しを行っても、気に入りの者を遠ざけられたラシェル殿下のハンガーストライキに根負けした周囲が一人を戻すと、あっという間に新しく側に従った者たちは排除されていつもの顔ぶれに戻ってしまう。

やがて、大人たちの前で [ 健全に成長した明るく理想的な王子とそれを支える優秀な側近 ] を演じる事が自分たちの立場を守る術だと気づいた彼らは、周囲にそれを印象付けるよう振る舞うようになり、大人たちは成長した様子の彼らに安堵し、好意的に受け止めるようになっていった。

しかし、彼らの本性は全く変わっていなかった。
大人たちの前では明るく心優しい王太子殿下と優秀で闊達な側近たちを装いながら、目下の者に対しては高圧的に持論を展開し、相手が反論できない事で正しいと思い込み増長する。それらは人目に付いても不審に思われない場所や状況で行われ、その事を誰かに告げられないように脅す事も忘れない。
慎重で狡猾な彼らの行動は、表面上大きな問題がある様には見えなかっただろうし、両陛下ともお忙しい公務の合間の対面では、明るく闊達な少年たちの本性を見抜くのは難しかっただろう。目の前に居るのは、自分たちが理想とする王太子であり、それを支える優秀な側近たちなのだから。私の側近から齎される彼らの詳細な報告を目にする度に心労を重ねていったに違いない。
アルテーヌを守るために尽力してくれた多くの人々に報いるため、周辺諸国の安定のためならと、条件付きでこの婚約に踏み切ったのだが、彼らは見事に地雷を踏み抜いた。

『お飾りの王妃としてどこかに閉じ込めておけば良い、あの公女の祖母の様に』

この言葉についてはどんな言い逃れも許さない。


扉が開かれ、裁定の場に足を踏み入れた私は、陛下の前で最敬礼を執り名乗りを挙げた。

「アンジェリカ・グラーシュ・アルテーヌ、お召しにより罷り越しましてございます」

続いて既に入室していたラシェル殿下にいつものように軽く膝を折り美しい笑顔でご挨拶した。

「ごきげんよう、ラシェル王太子殿下」

ラシェル殿下は怯えた目で忙しなく辺りを見回し、ほっとしたような表情でやっと私に視線を向けた。

「……あ……」

かろうじて口を開けたものの、言葉が続かず視線を左右に泳がせるラシェル殿下を笑顔で見つめ続ける私。挨拶すら返した事がないという事を皆様に露呈する行動には、ここでも満点を差し上げましょう。
小賢しい参謀役と恫喝担当の護衛もどき、首を縦に振るだけの相槌役に盛り上げ担当の太鼓持ち兄妹、その全てを剥ぎ取られた裸の王子様がただ一人、言葉もなく立ち尽くしている。
引き続き私たちの聞き取り役を務めるトーネット伯爵は、しびれを切らしてラシェル殿下を促した。

「僭越ながらラシェル王太子殿下、グラーシュ公女がご挨拶のお返事をお待ちですよ」

我に返ったラシェル殿下は、またしても『……あぁ……』と声を漏らしただけで、やはり言葉は出てこない。
今まで一言も言葉を交わしたことが無いのだもの、何を言って良いのかわからないのでしょうね。そう言う私も、何を言っていいのか分からないわ。
こちらに水を向けられても困ってしまうので、私はラシェル殿下の呟きのような返事に鷹揚に頷いて、トーネット伯爵に笑顔を向けて進行を促した。

「それでは、お二人の聞き取りは国王陛下の秘書官である私、トーネット伯爵が行う事を宣言します。ラシェル王太子殿下、グラーシュ公女、この裁定の場で嘘偽りなく真実のみを語ると誓いますか」

交互に視線を向けられ、手を上げて答えた。

「誓います」

二人同時に発した言葉に頷いたトーネット伯爵はラシェル殿下に顔を向け、控えの間でお聞きになっていた通り、ヘイデン伯爵家の兄妹と元側近三人の聞き取りの内容に間違いはありませんねと問いかけた。
するとラシェル殿下はその問いには答えず、私に向かって語り始めた。

「グラーシュ公女、ここで君が今日の一連の事を僕たち皆に謝罪してくれたら、僕は全てを許して君を婚約者として認め、今後は誠意をもって遇しようと思う」

ぽかんとした表情のトーネット伯爵と、壇上の傍聴席で猫の様に目を細めたエリオット公爵に手の平を向けて合図をし、笑みを深めてラシェル殿下に続きを促す。

「これが最後のチャンスなんだよ。それくらい君にも分かるだろう?
メグが君の制服を着たくらいで何故そんなに目くじらを立てる必要があるんだ。小さなヘアピンだって君にとってはどうってことない物じゃないか。それを当てつけみたいに汚れた姿で皆の前に立って、公女ともあろうものが恥ずかしいと思わないのかい? 僕は婚約者として居た堪れない気持ちで君を見ていたよ。
そんなに僕に構って欲しいと思っているとは気づかなかった。僕が君の気持を受け止めきれていなかったせいなんだね。だからどうか素直になって侵入だの盗難など馬鹿な言いがかりはやめにして、全てメグへの醜い嫉妬だったと認めてくれ。早くメグとサイラスの拘束を解かせて、そして二人にきちんと謝らなければならない事くらいわかるだろう? そのくらい言われなくても出来ない様じゃ、僕の伴侶にはとてもじゃないけどなれないよ。それに発表で僕たちをのけ者にした件は、ずっと昔に君に酷い言葉を投げかけた僕たちへの意趣返しなんだろう?
でもあれはほんの子供の戯言だった。しかもあの時君がひどい状態だったのは本当のことじゃないか。驚いて口走ってしまった事をいつまでも根に持つものじゃない。そんな下らない事で婚約者であり一国の王太子でもある僕に恥を搔かせるなんてあってはならない事だよ。だから、お願いだからこれ以上失望させないで欲しいんだ。一刻も早く全て自分が悪かったと認めて皆を自由にすると宣言してくれ。さあ! 皆をここへ呼んで、きちんと頭を下げて謝るんだ! 」

大げさな身振り手振りで自分の言葉に酔ったような大演説の後、胸に手を当て、もう片方の手を私に差し伸べるという役者じみた仕草で返事を待っている。

ならばご期待に応えましょう。

「素晴らしい妄想劇場でしたわ」

私は拍手と共に笑顔で答えた。

「言いたい事はそれだけかしら? 」

拍手と共に私が発した言葉に、さっと顔に朱を走らせたラシェル殿下が口を開こうとした瞬間、呼吸を拾い言葉を封じる。

「ラシェル王太子殿下の素晴らしい妄想劇場の興奮も冷めやらぬところではありますが、これからは現実の話を致しましょう」

今度は私の演説の番だわ。馬鹿げた持論を展開されると話が進まないもの。

「トーネット伯爵様、少し質問してもよろしいでしょうか」

トーネット伯爵は、恭しく胸に手を当てて頷いてくれた。

「伯爵家が公爵家に対して度重なる不敬を働き、謝罪もない場合の罰はどの様な内容になりますか?」

トーネット伯爵に問いかけると、傍らの法律書を開いて読み上げてくれた。

「罰金と共に三年間の貴族牢への収監です」

ラシェル殿下が口を開きかけるも声を出すタイミングはすべて奪う。

「公爵家の私有地、若しくは占有地に無断で侵入した場合は? 」

「侵入だけなら発覚次第拘束されて事情聴取により罰が決まりますが、ほとんどの場合その貴族家の牢への収監でしょう。立場や立ち入った場所、その理由によっては処刑もあり得ます」

トーネット伯爵は法律書のページを軽やかに次々とめくりながらテンポよく答えてくれる。

「では、公爵家の財産を無断で持ち出す行為に対しての罰はどうでしょう」

さあ、発言を許してあげるわ。尤も、ご自分の首を絞めるだけでしょうけれど。

「だから! たかが制服や小さなヘアピンなどの事をとやかく言うなと言ってるじゃないか! あれらは僕がメグに下賜したものだ! だいたい部屋に入ったからって何だというんだ! 公爵家の分際で王太子のこの僕に逆らうな! 」

やっと発言が出来たラシェル殿下は、顔を真っ赤にして声を荒らげた。
微笑む私を睨みつけて肩で息をし、興奮状態のラシェル殿下は周囲が静まり返った事に気付いていない。
大変よくできました。またしても満点を差し上げるわ。

「つまり、グラーシュ公爵家の占有私室に無断で侵入したことも、そこにあったグラーシュ公爵家の紋章入りの制服と宝石付きのヘアピンを、王太子殿下の命令により接収して他家に下賜したことも、お認めになったということですね」

言い募ろうとするラシェル殿下の言葉を封じてトーネット伯爵に問いかける。

「大筋は認められたという事ですので、続いて質問させて下さい。
王族に財産を強制的に召し上げられた今回の場合は [ 接収 ] という事で良いのかしら? 我がグラーシュ家に落ち度はないので罰を伴う [ 没収] であるはずはないわ。王家による貴族家の財産の接収についてと、王太子殿下にその行使が許されているかどうかを教えて下さい」

頷いたトーネット伯爵は華麗な手さばきで法律書をめくり、その答弁は淀みない。マルコムが食い入るように見つめているわ。弟子入りを希望しそうな勢いね。これが終ったらマルコムへのご指導をお願いしてみましょう。

「先ず、王家による貴族家財産の接収についてですが、わがトーラント国では王家が権力を利用して強制的に行う接収は戦時下や災害など有事の際に限られ、それは王命として下されます。国王不在の場合の摂政に就任していない限り王太子殿下が独断で行う事は認められていません」

書物から顔を上げたトーネット伯爵は更に続けた。

「そもそも、接収した物品は有事の際に国のために使う物であり、王族が気に入りの貴族家に下賜するなどの場合は接収には当たりません」

私は頬に手を当て首を傾げて聞きました。

「それでは、何と言えばいいのでしょうか? 」

「今回の場合は、高位貴族が集団で侵入し、逆らえない使用人しかいない場所での行為ですので [ 収奪 ] が妥当かと。そして下賜されたと主張する者についても、その場に同時に侵入した事と証拠となるそれらの物品をその場で身に着けた事が当事者たちの証言からも証明されておりますので共犯です。
また、グラーシュ公爵家の紋章の入った物は決して贈られる事はなく、他家の者が所持していれば盗品と見做すと、王家を含め全貴族家に周知されておりますし、実際にグラーシュ公爵家から盗難の被害届も出ております。グラーシュ公爵家の紋章入りの制服を身に着けているヘイデン伯爵令嬢は、現段階で窃盗の容疑者です」

ラシェル殿下が声を出そうと息を吸い込んだタイミングで畳みかけるように発言していく。息を吸い込むばかりで言葉にならずイライラと歯噛みをする様子を目の端で捉えながら、トーネット伯爵との議論を続けていく。

「ヘイデン伯爵令嬢は下賜されたと主張していると聞きましたが、その場合、収奪して下賜した方と、下賜された物品が盗難品になると分かっていて身に着けた方、どちらに非があるのでしょうか」

「明らかに他者の物であると分かっていながら自身の物とした時点で窃盗は確定、同罪でしょう。見ていて止めなかった者たちも幇助と言えますね。そもそも同時に部屋に入った時点で不当な侵入と見做されますので無罪という事はあり得ません」
ラシェル殿下がこちらを睨みつけて口を開いた。少しは言い分を聞いて差し上げなくてはね。

「もういい加減にしてくれないか。僕たちを止めなかったのが幇助というなら、あの場に居た使用人たちだって同罪だ。
王太子である僕を陥れた反逆罪であの場に居た使用人全員の処刑を命ずる。
馬鹿な公女の駒にされた使用人たちが気の毒でならないよ。
さあ、さっさとこの下らない訴えを取り下げて僕たちを解放するんだ。
頭を床にこすりつけて謝れば使用人たちの処刑については考えてやってもいい」

勝ち誇った笑みを浮かべてアンジェリカを睥睨していたラシェルだったが、笑顔を向けたまま微動だにしない私に苛立ち、さらに言葉をぶつけようと口を開き息を吸い込んだ瞬間、傍らの側近に声を掛けてそれを封じる。

「マルコム、トーネット伯爵に書類をお渡しして」

きらきらと尊敬の眼差しを向けながら、トーネット伯爵に書類を渡すマルコムが微笑ましい。
その書類を確認したトーネット伯爵が書類を掲げて宣言した。

「王太子殿下のグラーシュ公爵家所属の使用人に対する処刑の発言は無効である! 国王陛下の名の下に、グラーシュ公爵家の自治エリアに於ける使用人の処遇については当該公爵家の采配とする。正当防衛を除く傷害以外に王家及び他家の干渉はその一切を認めないとの勅書である」

ラシェル殿下は俯いて歯ぎしりが聞こえてきそうなほど歯を食いしばっている。
アンジェリカは壇上の御方に意識を向ける。
国王陛下の不在時には、ほとんどの場合王妃陛下が摂政に任命され、王太子はじめ宰相や大臣、秘書官がその補佐に当たるが、現状はエリオット公爵が宰相の任を解かれて摂政に任ぜられている。恐らく退位が前提だからと深く考えずに納得しているのだろう。物事を素直に受け入れる、実に無邪気な方なのだ。
この場に置かれたのはただの影武者としてではなく、本人にとって残酷な事実を知らしめる為だ。今までのラシェル殿下の態度や言葉をどのように受け止めているのだろう。
これから殿下の口から発せられる言葉によって、根底にある侮蔑を覆い隠す偽善を剥ぎ取られ、自分たちの無意識の傲慢さを思い知らされる。
それを周囲に詳らかにした上での退位とそれに対する贖罪。
これこそがグラーシュ公爵家とマクガリー辺境伯家が望んだことだ。

「何をされたかわからない穢れた女を王妃になんて出来るわけないじゃないか!
あんな状態を見て、妻にしようなんて思える男なんかいないんだよ! 」

王妃陛下とその周辺に純潔を疑われていたことは知っていた。
婚約の締結のために王都に来て一番にした事は宮廷侍医による診察だった。
純潔であることを証明する書類を提出し、その上で婚約の運びとなったのだ。
今まで自分を含め、影武者の女の子たちを守るための苦労は筆舌に尽くし難い。
その為に性別を明らかにせず扮装も男女織り交ぜながらも必ず男女をペアとして、お互いを守れる技術を身に付けて危険を掻い潜って来たのだ。
もしも、万が一そのような事が起るとしたら、私以外の誰でもない事をひたすら祈っていた。幸いにも誰もそのような惨い目に遭う事は無かったが、それはひとえに皆の尽力と幸運も味方してくれた結果だ。
そんな苦労も知らず、アルテーヌの相続人が女性だと分かるような要請をしてきたせいで、あの日私たちは一網打尽にされかけ、一命を取り留めたとはいえカールは重傷を負ったのだ。あんな状態とは、襲撃の後、無残に引き裂かれたドレスで髪も崩れ、血だらけで座り込んでいたあの時のことだ。
その言葉を聞いた瞬間、血が逆上した。髪の毛が逆立つ程の怒気を纏ったのが自分でもわかる。
周囲の空気さえも張り詰める程一瞬で纏う雰囲気が変わった私を見てたじろいだラシェル殿下に向かい、ゆっくり一歩ずつ近づいていく。

「誰が穢れているですって? 貴方も目にしたあんな状態になったのはあなたたち王家の人間のせいなのよ? あの時、夥しい数のかぎ針に捕らえられていたの。ドレスを切り裂き髪を解かなければ窓から引きずり出され、死体か最悪の場合は瀕死の状態でバランデーヌに連れ去られていたわ。しかも私たちを守ろうと必死で立ち向かった側近のカールは命を落としかけた」

ラシェル殿下の目の前で歩を止め、私を守る様に側にぴたりと付いたパトリシアが差し出した鉄扇を手にして広げざまに一閃、ラシェル殿下の前髪が一束はらりと床に落ちた。

「ねえ、答えて頂戴。穢れているって、一体誰のことかしら?」

床に落ちた髪を見て床にへたり込んだラシェル殿下は、震える声で語り出した。

「あ、あの日の様子を皆に話した後、母上と侍女長が話しているのを聞いたんだ。きっと汚されているに違いないって。そんな女を僕の伴侶にするなんて、って、母上が泣いていて、父上も、お爺様の時代に、ゾフィー王妃の件で負い目があるから、仮令どんな状態であっても王家が守って伴侶に迎えたと見せなければいけないって。そんな令嬢を形だけでも王妃にしてもらえるのだから、グラーシュ公爵もマクガリー前辺境伯も王家に感謝しなきゃいけないんだ。
だから、好きな子を側に置いて良いって言われたんだ。婚約の条件で僕が君を大事にしなければ、婚姻は形だけに出来るからって」

壇上の御方が声を飲んだのが聞こえた。エリオット公爵に目を遣ると、頷いて護衛に周囲を囲ませてこの場から退出できない様にしてくれた。

「それで?」

背後に立ったメルヴィルに、護身用のスティックを首元に宛てがわれて立つ事を封じられ、しりもちをついた状態で怯え切った目を向けるラシェル殿下をパトリシアと二人で睥睨する。

「でも、君が純潔だと知って、君に会って美しくて優秀な事が分かると、父上も母上も急に結婚に乗り気になって。でも、僕はもうメグしか側に置きたくなかったんだ。サイラスもジルベールも、グラーシュ公爵家なら診断書なんて簡単に偽造出来るはずだっていうし、ルイは君とメグのどちらが優位なのかきちんと皆にも分かるように知らしめておいた方が良いって言ったから……」

それで毎日毎日飽きもせずにくだらない小芝居を打ってきたと。
まあ、こちらもそれは利用させてもらっていたことだ。掛かっても大丈夫なようにメニューや温度を調整していたのは厨房に潜入していたモリーだったし、絶妙な掛かり具合を調節していたのはトレーを弾くメルヴィルだ。

「学園での事は皆には口止めしていたし、グラーシュ公爵とマクガリー前辺境伯がごちゃごちゃ言ってこない様に、大人しく結婚してすぐにどこかに閉じ込めておけば良いって事になったんだ。王宮の中のどこかに隠しておけば、グラーシュ公爵とマクガリー前辺境伯には手が出せないから……」

メルヴィルの護身用のスティックに力が籠り、ぐっと喉を押さえつけられて言い直した。

「王宮の、地下牢…… です」

閉じた鉄扇で殿下の頬をするりと撫でて続きを促した。

「まだ続きがあるでしょう?」

床に落ちた自身の髪の毛を見つめながら声を絞り出した。

「ゾフィー王妃が助け出された時の様にやせ衰えて老婆のような姿になったら、希望通り子供のころから想い合っているという、辺境伯家の令息の元へ送ってやろうと……」

辺りが静まり返り凍えるような視線がラシェル殿下に突き刺さる。

「そう言って皆で嗤っていたそうね。そして、あのヘイデン家の令嬢のセリフは確か……」

『もし私がそんな姿でラシェ様の前に出なければならないなら、死んだ方がましだわ』

裁定の場に嘲りを含んだミーガン嬢の嗤い声が響き渡った。
ラシェル殿下がぎょっとしてヘイデン兄妹の居る控えの間の小窓を見やると、猿轡をかまされて涙ぐんだミーガンが首を横に振っている。それを見たラシェル殿下は震える手で床に落ちた自分の髪の毛を掴んで叫んだ。

「王太子の僕に危害を加えるなんて、許されると思うな!」

そう言って立ち上がろうとしたところを、メルヴィルのスティックで肩を押さえ込まれ膝を突いた。

「あら、私、何かしたかしら?」

周囲を見渡しても護衛や廷吏たちは皆こちらを見ていない。エリオット公爵に目を遣ると首を横に振っている。マルコムと法律書を覗き込んでいたトーネット伯爵は顔を上げ、ラシェル殿下の掴んでいる髪を見て眉を顰めた。

「ラシェル殿下、ご自分の髪を毟るなど何をなさっておいでですかな? 廷吏、後片付けをお願いします」

そして威勢を正すと、朗々と宣言した。

「本日の聞き取りはこれにて終了致します。
明日の朝より、国王陛下代理、摂政のエリオット公爵閣下から裁定が下される予定です。呼び出しがあるまで各自与えられた場所で待機してください」

愕然と座り込んでいるラシェル殿下のあごに閉じた鉄扇を添えて上を向かせ、不敵に微笑んで見せた。

「お父様の事をずいぶん怖がっているようだけれど、たかが家具を壊した程度の事でしょう? 温厚なお父様らしいわ。忘れているようだから伝えておくわ。私には、バランデーヌの [人ならざる悪魔 ] と同じ血が流れているのよ」

ああ、悪い虫が沢山湧いてしまったわ。これから大伯父様とお父様が大忙しね。

遠く小波の様に打ち寄せていた凱旋のどよめきは、徐々に大きなうねりとなって押し寄せ、その歓喜の声はやがて王宮を呑み込むだろう。
王太子殿下、聞こえるかしら?
何がって?
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