【第13回ネット小説大賞受賞・書籍化】王太子殿下、終了のお知らせです。
しぶとい王子様と不愉快な仲間たち
何が起こっている。
裁定の間から移された控えの間の中をぐるぐると歩き回りながら繰り返し呟いているが、考えはまとまらない。
壇上からエリオット公爵に付き添われて現れた人物は、国王ではなく、国王の装束を身に纏った王妃だった。
そのまま護衛に囲まれて何も言わずに退室して行った。
玉座は奥まっている上に薄い帳が少し降ろされていたため顔がはっきり見えなかったのだ。言葉を発することがなかったのはこのためだったのか。
国王代理として摂政が任命されているという事は、国王が不在という事だ。
王妃や王太子である自分が居るにも関わらず、何故エリオット公爵が摂政なのか。それに父上が王宮を離れるなど、そんなことは全く知らされていなかった。
何より、徐々に大きくなるこのどよめきは一体何なのか。
押しつぶされそうになる不安を打ち消すように、いつものメンバーで語り合った輝かしい未来を思い出す。
国王に即位した自分の周囲では、宰相のルイ、近衛隊長のジルベール、補佐官のサイラスと秘書のクレイグが脇を固め、そして傍らには妃となったメグが寄り添い美しく微笑んでいる。キラキラと輝く未来は約束されたものだった。
変わることなどありえない不動のものでもあったのだ。
アルテーヌの相続人を王妃にしておけば、他の国への牽制にもなり優位に立てる。実際、経済封鎖されてもバランデーヌ国が崩壊せずに保っているのは、アルテーヌの相続人であるゾフィー王妃が支援し続けているからだ。
僕たちならもっとうまくやれる。
グラーシュ公女は側近の令嬢に囲まれていつも大人しく人形の様に微笑んでいるだけ。入学して以来、どんなに邪険に扱っても悪評を流しても、咎める事も反論することもしてこないばかりか、周囲の大人たちに報告さえしていない様だった。国王も王妃も、顔を見る度に小言しか言わないエリオット公爵でさえ何の反応もなかったのだ。
それ以来、僕たちには何もできない高位貴族令嬢の矜持をへし折り、惨めな姿を眺めて嗤う遊びはうっぷん晴らしや暇つぶしにはうってつけだった。
ただし、それは大人の目の無い学園の中だけの事だ。
学園外では、品行方正な王太子と優秀で闊達な側近たちの顔を崩さなかった。
確実にミーガンを傍に置くために画策したのが結婚後に贈られる王家の国宝の宝石を使った冤罪だった。国宝のイミテーションを持っている事で断罪し、それを理由に地下牢に幽閉するというシナリオが出来上がったのだった。
そして数年幽閉して老婆のような姿にしてから故郷に送りつけようと言ったミーガンの言葉に皆が賛成した。有能だという次期辺境伯は、見る影も無く窶れ果てたかつての想い人を見てどう思うだろうか。きっと忌み嫌われるだろうと嗤い合ってそうなる事を楽しみにさえしていた。
完璧だった。全てが思い通りに上手くいくはずだった。
それが、どうしてこんな事になったのか。発端はたかが制服とヘアピン一つ。
それ以前にあの部屋の存在が許せなかった。
学園の王族エリアにある部屋はどれも同じ作りで、王族に相応しい重厚な家具と設えで統一されているが華美ではない。
そのはずなのに、垣間見えたグラーシュ公女の控室の中は明るくとても美しい設えで女性らしい華やかさに溢れていたのだ。
あんな女には不相応だ。抑えようのない憤りが一気に湧き起った。
迷わず入った部屋は、垣間見えた以上に素晴らしい空間だった。
華美過ぎず上品な設えで統一され、王妃の部屋をも凌駕するほどの素晴らしい家具に囲まれたこの部屋は、目を輝かせて大輪の花が咲き誇る様な笑顔を見せるメグにこそ相応しい。
取るにならない女のくせに、この様な部屋や家具を王家に負担させているグラーシュ公女の烏滸がましさに苛立ち、公費の無駄遣いを理由にこの部屋から追い出す事に決めたのだ。
扉に彫刻された紋章だの、壁紙の透かし模様だの、制服の小さなボタンの紋章だの、そんな些細な事に気付くべきは側近たちだし、もし気付かなかったとしても家臣なのだから自分たちの立場を弁えて王太子の僕に従うのが当然なのだ。
それを盾突くなど、きっと国王の不在を狙ってグラーシュ公爵とあの公女が仕組んだことに違いない。
父上が戻ったら、今回のグラーシュ公爵家の反逆行為と、あのバランデーヌの悪魔の血を引く女の本性を暴いて断罪するのだ。
僕を怯えさせるなど、あの二人には死ぬ前に嫌というほど後悔させてやる。
国家反逆を理由に処刑してアルテーヌを没収するんだ。
それから、僕を裏切ったクレイグもただでは置かない。
何とか皆と連絡を取る方法は無いかと、まんじりともせず苛々と爪を噛んでいると、扉がノックされ、入って来たのは父の国王とエリオット公爵だった。
入り口に立つ国王の姿を見た瞬間立ち上がって報告した。
一刻も早くグラーシュ公爵父娘を排除しなくてはならない。
「父上! グラーシュ公爵家の反乱です。あの父娘は父上の不在を良い事に、王太子である僕を冤罪で陥れて馬鹿げた裁定を開かせました。母上も一部始終を見聞きしています。エリオット公爵も見ていただろう!王族を陥れようとする反逆者は一刻も早く断罪して処刑するべきです!」
言葉なく立ち尽くす国王を尻目に、エリオット公爵は呆れたように言った。
「しばらく小言を我慢していたが、その間に随分と阿呆になり果てたものだ」
その侮辱の言葉にカッとなり言葉を返そうとした瞬間、エリオット公爵が国王に向かって言葉を掛けた。
「これで諦めがついたでしょう。グラーシュ公爵家からの報告書を信じたくなかった気持ちは分かりますが、この姿と言い分が殿下の本来の姿です。王妃様も裁定の場での殿下と元側近たちの言動を全て見聞きしてやっと納得なさったようですよ」
本来の姿を暴かれるのはあの女の方だ、そう叫ぼうとして息を吸い込んだ瞬間、心底憐れんだように僕を見下ろしながらエリオット公爵が続けた。
「婚約の締結の時、息子たちの本質を知るべきだとグラーシュ公女に言われた時は、我らの誰もが憤りを隠せませんでしたな。『もしも、私が間違っていたら平身低頭してお詫びします』と言う言葉に、生意気な小娘が何を言うかと思っていたのですがね。優秀で機転が利くと自慢だった我が息子が、半年経たずにその能力を間違った方向に向けて悪辣さを露呈し始めた時は愕然としましたよ」
エリオット公爵は何を言っているんだ。ルイは僕を助けてくれる優秀な片腕だ。そう言おうと口を開けるとまた言葉を封じられた。
一体何なんだ! あの女と言いエリオット公爵と言い、なぜ思うように話せない!
「ほう、グラーシュ公女の真似をしてみたのだが、本当に言葉が出せなくなるのだな。こんな些細な事で話を優位に好きな方向に進められる。妻が言う通り社交界では絶大な効果だろう。あの公女は傑物だ」
目を細めて僕の様子を眺めながらエリオット公爵は父上に顔を向けた。
「…… そなたは我のこの出で立ちを見て何も思わぬか。周囲から聞こえるこの群衆の声をどのように聞いている」
呆然と立っていた父上から唸るような低い声が聞こえた。
そう言われて甲冑を身に纏い兜を手に持った姿であることに気が付いた。
出征していたというのか? 一体いつから? どこへ?
そんなことは誰からも何も聞いていなかった。
言葉を継げない僕に、父上は畳みかけた。
「そなたも側近たちも誰一人、本当に気づいていなかったというのか。秘密裏に進めていた為、気づいていない素振りをしているだけだと思っていた、そう思いたかった。今日の、いや、もう昨日になるのか。グラーシュ公女の政策に就いて事前に資料も渡されて、発表も直接聞いていたはずだ」
父上が何を言っているかわからず、顔を見つめるだけの僕を見てエリオット公爵が大きくため息を吐いて説明し始めた。
「バランデーヌと繋がっていた貴族家と王家と敵対していた貴族家へ隠すために明確にされてはいなかったが、資料を読んで発表を聞けばバランデーヌ割譲後のアルテーヌの経済政策と三国間の流通についての内容だと分かったはずだ。その為に数か月前から各グループの貴族家と共にモンテ国とアルザス国の大使とも密かに協議を重ねていたのだ。トーラント国については私が責任者として協議のテーブルに着いていた。各国の大臣の承認も済み即座に施行出来る様に、昨日わざわざモンテ国とアルザス国の大使を招いて最後の調整を急いだ事を考えれば、どこへいつ出征するかは予想できたはずだが?」
何も知らなかった。視線を泳がせる僕、父上は虚ろな瞳でじっと見つめている。
エリオット公爵が扉の外に向かって声を掛けた。
「お前たちの中で気づいていた者はいるか? 知っていたというなら言ってみろ」
その言葉と共に、扉の陰から騎士に拘束されたルイとジルベールが姿を現した。
「それこそがグラーシュ公女の陰謀です! 私たちはそんな資料を受け取ってはいません! 」
ルイが口火を切った。この二人が居れば何とかなる。
早くこの状況を脱してグラーシュ公爵父娘の思い上がりを叩き壊してやるのだ。
エリオット公爵がルイに向かって疲れた顔を向けて言った。
「マルコム殿からクレイグに手渡された資料を、ジルベールが突き返したと報告を受けている。仮にそれを読んでいなかったとしても、発表前に配られた資料を読み発表を聞いていれば分かった事だ。もうお前たちの繰り言に付き合うのは沢山だ。非公開で裁定を下し処遇を言い渡すつもりだったがやめだ」
国王を見据え、側に控えたトーネット伯爵に向かって指示を出した。
「凱旋を見届けた後、国王の退位発表と裁定は公開とする。それまで全員を別々の部屋に入れておくように」
そう伝えて、踵を返し背後から聞こえるルイの騒ぐ声を振り払うように仮眠室へ向かった。
午後には前マクガリー辺境伯ユアン翁が今回の英雄としてグラーシュ公爵と共に凱旋する。戦勝に貢献した友好国のモンテ国王とアルザス国王も近衛部隊を率いて凱旋に加わり、バランデーヌ割譲の協定を結ぶために入国の予定だ。
捕縛された時に足の腱を切られ、檻に入れられて護送されたバランデーヌ元王は、罪状を読み上げられた後、手足と首に枷を付けられて広場で晒し物にされた後に刑が執行される。
ラシェル殿下と側近たちはグラーシュ公爵の用意した特別牢に収監される。
その牢でルイは生き残る事が出来るだろうか。息子が収監されるという事実が、突然実感を伴って押し寄せて来た事で思わず歩みを止めた。廊下に面した窓から差し込む仄白い光が大理石の床をうっすらと照らしている。
その様子を眺めながら先ほどの会話を思い出し、あれが最期の会話になった事を残念に思う。
その想いを振り払うように息を吐き、エリオット公爵は再び歩を進めた。
もう間もなく夜が明ける。
その前にもう一つ、厄介な問題を報告しておこう。
裁定の間から移された控えの間の中をぐるぐると歩き回りながら繰り返し呟いているが、考えはまとまらない。
壇上からエリオット公爵に付き添われて現れた人物は、国王ではなく、国王の装束を身に纏った王妃だった。
そのまま護衛に囲まれて何も言わずに退室して行った。
玉座は奥まっている上に薄い帳が少し降ろされていたため顔がはっきり見えなかったのだ。言葉を発することがなかったのはこのためだったのか。
国王代理として摂政が任命されているという事は、国王が不在という事だ。
王妃や王太子である自分が居るにも関わらず、何故エリオット公爵が摂政なのか。それに父上が王宮を離れるなど、そんなことは全く知らされていなかった。
何より、徐々に大きくなるこのどよめきは一体何なのか。
押しつぶされそうになる不安を打ち消すように、いつものメンバーで語り合った輝かしい未来を思い出す。
国王に即位した自分の周囲では、宰相のルイ、近衛隊長のジルベール、補佐官のサイラスと秘書のクレイグが脇を固め、そして傍らには妃となったメグが寄り添い美しく微笑んでいる。キラキラと輝く未来は約束されたものだった。
変わることなどありえない不動のものでもあったのだ。
アルテーヌの相続人を王妃にしておけば、他の国への牽制にもなり優位に立てる。実際、経済封鎖されてもバランデーヌ国が崩壊せずに保っているのは、アルテーヌの相続人であるゾフィー王妃が支援し続けているからだ。
僕たちならもっとうまくやれる。
グラーシュ公女は側近の令嬢に囲まれていつも大人しく人形の様に微笑んでいるだけ。入学して以来、どんなに邪険に扱っても悪評を流しても、咎める事も反論することもしてこないばかりか、周囲の大人たちに報告さえしていない様だった。国王も王妃も、顔を見る度に小言しか言わないエリオット公爵でさえ何の反応もなかったのだ。
それ以来、僕たちには何もできない高位貴族令嬢の矜持をへし折り、惨めな姿を眺めて嗤う遊びはうっぷん晴らしや暇つぶしにはうってつけだった。
ただし、それは大人の目の無い学園の中だけの事だ。
学園外では、品行方正な王太子と優秀で闊達な側近たちの顔を崩さなかった。
確実にミーガンを傍に置くために画策したのが結婚後に贈られる王家の国宝の宝石を使った冤罪だった。国宝のイミテーションを持っている事で断罪し、それを理由に地下牢に幽閉するというシナリオが出来上がったのだった。
そして数年幽閉して老婆のような姿にしてから故郷に送りつけようと言ったミーガンの言葉に皆が賛成した。有能だという次期辺境伯は、見る影も無く窶れ果てたかつての想い人を見てどう思うだろうか。きっと忌み嫌われるだろうと嗤い合ってそうなる事を楽しみにさえしていた。
完璧だった。全てが思い通りに上手くいくはずだった。
それが、どうしてこんな事になったのか。発端はたかが制服とヘアピン一つ。
それ以前にあの部屋の存在が許せなかった。
学園の王族エリアにある部屋はどれも同じ作りで、王族に相応しい重厚な家具と設えで統一されているが華美ではない。
そのはずなのに、垣間見えたグラーシュ公女の控室の中は明るくとても美しい設えで女性らしい華やかさに溢れていたのだ。
あんな女には不相応だ。抑えようのない憤りが一気に湧き起った。
迷わず入った部屋は、垣間見えた以上に素晴らしい空間だった。
華美過ぎず上品な設えで統一され、王妃の部屋をも凌駕するほどの素晴らしい家具に囲まれたこの部屋は、目を輝かせて大輪の花が咲き誇る様な笑顔を見せるメグにこそ相応しい。
取るにならない女のくせに、この様な部屋や家具を王家に負担させているグラーシュ公女の烏滸がましさに苛立ち、公費の無駄遣いを理由にこの部屋から追い出す事に決めたのだ。
扉に彫刻された紋章だの、壁紙の透かし模様だの、制服の小さなボタンの紋章だの、そんな些細な事に気付くべきは側近たちだし、もし気付かなかったとしても家臣なのだから自分たちの立場を弁えて王太子の僕に従うのが当然なのだ。
それを盾突くなど、きっと国王の不在を狙ってグラーシュ公爵とあの公女が仕組んだことに違いない。
父上が戻ったら、今回のグラーシュ公爵家の反逆行為と、あのバランデーヌの悪魔の血を引く女の本性を暴いて断罪するのだ。
僕を怯えさせるなど、あの二人には死ぬ前に嫌というほど後悔させてやる。
国家反逆を理由に処刑してアルテーヌを没収するんだ。
それから、僕を裏切ったクレイグもただでは置かない。
何とか皆と連絡を取る方法は無いかと、まんじりともせず苛々と爪を噛んでいると、扉がノックされ、入って来たのは父の国王とエリオット公爵だった。
入り口に立つ国王の姿を見た瞬間立ち上がって報告した。
一刻も早くグラーシュ公爵父娘を排除しなくてはならない。
「父上! グラーシュ公爵家の反乱です。あの父娘は父上の不在を良い事に、王太子である僕を冤罪で陥れて馬鹿げた裁定を開かせました。母上も一部始終を見聞きしています。エリオット公爵も見ていただろう!王族を陥れようとする反逆者は一刻も早く断罪して処刑するべきです!」
言葉なく立ち尽くす国王を尻目に、エリオット公爵は呆れたように言った。
「しばらく小言を我慢していたが、その間に随分と阿呆になり果てたものだ」
その侮辱の言葉にカッとなり言葉を返そうとした瞬間、エリオット公爵が国王に向かって言葉を掛けた。
「これで諦めがついたでしょう。グラーシュ公爵家からの報告書を信じたくなかった気持ちは分かりますが、この姿と言い分が殿下の本来の姿です。王妃様も裁定の場での殿下と元側近たちの言動を全て見聞きしてやっと納得なさったようですよ」
本来の姿を暴かれるのはあの女の方だ、そう叫ぼうとして息を吸い込んだ瞬間、心底憐れんだように僕を見下ろしながらエリオット公爵が続けた。
「婚約の締結の時、息子たちの本質を知るべきだとグラーシュ公女に言われた時は、我らの誰もが憤りを隠せませんでしたな。『もしも、私が間違っていたら平身低頭してお詫びします』と言う言葉に、生意気な小娘が何を言うかと思っていたのですがね。優秀で機転が利くと自慢だった我が息子が、半年経たずにその能力を間違った方向に向けて悪辣さを露呈し始めた時は愕然としましたよ」
エリオット公爵は何を言っているんだ。ルイは僕を助けてくれる優秀な片腕だ。そう言おうと口を開けるとまた言葉を封じられた。
一体何なんだ! あの女と言いエリオット公爵と言い、なぜ思うように話せない!
「ほう、グラーシュ公女の真似をしてみたのだが、本当に言葉が出せなくなるのだな。こんな些細な事で話を優位に好きな方向に進められる。妻が言う通り社交界では絶大な効果だろう。あの公女は傑物だ」
目を細めて僕の様子を眺めながらエリオット公爵は父上に顔を向けた。
「…… そなたは我のこの出で立ちを見て何も思わぬか。周囲から聞こえるこの群衆の声をどのように聞いている」
呆然と立っていた父上から唸るような低い声が聞こえた。
そう言われて甲冑を身に纏い兜を手に持った姿であることに気が付いた。
出征していたというのか? 一体いつから? どこへ?
そんなことは誰からも何も聞いていなかった。
言葉を継げない僕に、父上は畳みかけた。
「そなたも側近たちも誰一人、本当に気づいていなかったというのか。秘密裏に進めていた為、気づいていない素振りをしているだけだと思っていた、そう思いたかった。今日の、いや、もう昨日になるのか。グラーシュ公女の政策に就いて事前に資料も渡されて、発表も直接聞いていたはずだ」
父上が何を言っているかわからず、顔を見つめるだけの僕を見てエリオット公爵が大きくため息を吐いて説明し始めた。
「バランデーヌと繋がっていた貴族家と王家と敵対していた貴族家へ隠すために明確にされてはいなかったが、資料を読んで発表を聞けばバランデーヌ割譲後のアルテーヌの経済政策と三国間の流通についての内容だと分かったはずだ。その為に数か月前から各グループの貴族家と共にモンテ国とアルザス国の大使とも密かに協議を重ねていたのだ。トーラント国については私が責任者として協議のテーブルに着いていた。各国の大臣の承認も済み即座に施行出来る様に、昨日わざわざモンテ国とアルザス国の大使を招いて最後の調整を急いだ事を考えれば、どこへいつ出征するかは予想できたはずだが?」
何も知らなかった。視線を泳がせる僕、父上は虚ろな瞳でじっと見つめている。
エリオット公爵が扉の外に向かって声を掛けた。
「お前たちの中で気づいていた者はいるか? 知っていたというなら言ってみろ」
その言葉と共に、扉の陰から騎士に拘束されたルイとジルベールが姿を現した。
「それこそがグラーシュ公女の陰謀です! 私たちはそんな資料を受け取ってはいません! 」
ルイが口火を切った。この二人が居れば何とかなる。
早くこの状況を脱してグラーシュ公爵父娘の思い上がりを叩き壊してやるのだ。
エリオット公爵がルイに向かって疲れた顔を向けて言った。
「マルコム殿からクレイグに手渡された資料を、ジルベールが突き返したと報告を受けている。仮にそれを読んでいなかったとしても、発表前に配られた資料を読み発表を聞いていれば分かった事だ。もうお前たちの繰り言に付き合うのは沢山だ。非公開で裁定を下し処遇を言い渡すつもりだったがやめだ」
国王を見据え、側に控えたトーネット伯爵に向かって指示を出した。
「凱旋を見届けた後、国王の退位発表と裁定は公開とする。それまで全員を別々の部屋に入れておくように」
そう伝えて、踵を返し背後から聞こえるルイの騒ぐ声を振り払うように仮眠室へ向かった。
午後には前マクガリー辺境伯ユアン翁が今回の英雄としてグラーシュ公爵と共に凱旋する。戦勝に貢献した友好国のモンテ国王とアルザス国王も近衛部隊を率いて凱旋に加わり、バランデーヌ割譲の協定を結ぶために入国の予定だ。
捕縛された時に足の腱を切られ、檻に入れられて護送されたバランデーヌ元王は、罪状を読み上げられた後、手足と首に枷を付けられて広場で晒し物にされた後に刑が執行される。
ラシェル殿下と側近たちはグラーシュ公爵の用意した特別牢に収監される。
その牢でルイは生き残る事が出来るだろうか。息子が収監されるという事実が、突然実感を伴って押し寄せて来た事で思わず歩みを止めた。廊下に面した窓から差し込む仄白い光が大理石の床をうっすらと照らしている。
その様子を眺めながら先ほどの会話を思い出し、あれが最期の会話になった事を残念に思う。
その想いを振り払うように息を吐き、エリオット公爵は再び歩を進めた。
もう間もなく夜が明ける。
その前にもう一つ、厄介な問題を報告しておこう。