離婚前提のはずが、策士な弁護士が離してくれません。
第一章 仮面を付けて非日常の世界へ
朝起きて、糸井六花は青ざめた。
生まれたままの自分の姿、隣で美しい裸体のまま眠る男性。
ベッドの下に脱ぎ捨てられた衣服や下着が昨晩の出来事を生々しく物語っている。
アルコールはすっかり消え失せ、酔いから覚めた六花は過ちを強く認識した。
昨日会ったばかりの人と何ということを――。
六花は起こさないようになるべく物音を立てないようにしながら、大急ぎで着替えた。
床に転がっていたバッグを引ったくり、左右バラバラに転がっていた高いヒールの靴を履こうとして、片方のヒールが折れていたことに気づいた。
もう一つ持ってきていたボロボロのパンプスに履き替え、折れたパンプスは袋の中に突っ込む。
「……ん、」
彼の呟き声が聞こえ、慌てて部屋から飛び出す。
今まで慎ましく生活していたはずだった。
なのにどうしてあんなことになってしまったのだろう――。
* * *
それは、一週間前に遡る。
六花はその夜、キッチンでビーフシチューを煮込んでいた。
予定通り、十九時には出来上がるだろう。古びた腕時計は十分早く設定しているため、時間はジャスト。
「ただいま」
「おかえりなさいませ」
「もしかして、ビーフシチュー? 嬉しいわ」
「もう出来上がりますので、すぐに準備しますね」
「いつもありがとう」
オーダーメイドのパンツスーツをビシッと着こなす彼女は、涼風凪子。
インテリアメーカー・Suzukaze.incの代表取締役である。
Suzukaze.incを一代で大企業に押し上げた敏腕女社長だ。
先日は「話題の敏腕女社長」と雑誌で特集された。
ビジネスにおいては手腕を振るう彼女だが、家では卵焼きを真っ黒に焦がしてしまうという不器用なギャップがある。
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