嘘つきと疫病神
第一章 しあわせなひび
写真の中の思い出
──一九三五年 初夏───
じっとりとした暑苦しさと、鼻を突く酷い腐敗臭に苛まれて目を覚ます。
薄暗い部屋の色褪せた畳の上に直で寝転がっていたようで、体中のあちらこちらに痛みを感じながら起き上がる。
畳に手を付いて力なく起き上がれば、つんと錆びた鉄のような不快な匂いが鼻の奥を刺激した。その後に卵の腐った匂いが追いかけてくる。
あまりの匂いに、胃の中から何かが這い上がってくるのを感じるが、何も入っていない胃から出てくるものは無い。ぐるぐると腐敗臭で暴れ回る胃に不快感を感じながら、ゆっくりと顔を上げた。
熱気と湿気が籠もった暑苦しい部屋。雨など降っていないはずなのに、雨が振った後のようにジメジメとしている。
次から次へと押し寄せる不快感に抗いながら、首を動かして薄暗い部屋の中を見渡した。
部屋と廊下の境に何かが横たわっている。目を凝らすと、それは人の死骸であった。部屋の中から這い出ようとしたのか、骨と皮だけになった腕が外へと伸びている。死骸の周りには無数の蠅が飛び交っていた。
目の前で人が死んでいる。普通ならば異常であるその状況に、不思議と恐怖を感じなかった。それどころか、微かに受け入れている自分がいる。
(いつまで寝ているんだろう)
到底眠っているだけとは思えない状況であるのに、脳にはそんな考えが浮かぶ。
畳の上に四つん這いになり、じりじりと死骸の近くにすり寄った。部屋中に充満する腐敗臭は、大方この死骸から発せられているのだろう。近づけば近づくほどその匂いは強くなる。
死骸の左側に回り込み、ツギハギだらけの朽ち果てた衣服に手を伸ばす。力なく項垂れる身体に触れると、ぐちゃぐちゃになった皮膚に手がめり込んだ。感じたことのない気味の悪さに表情を歪めるも、両手で身体揺さぶる。
「母さん」
呼びかけても返事はない。当然と言えば当然の結果に落胆も何も感じない。
寝息も自然が発する物音も何も聞こず、清潔感のない部屋は驚くほどに静かだ。そんな部屋の中に母を呼ぶ声だけが響き渡る。
汗か湿気か、湿った肌は触れている側としても不快なものだ。自分の腕や額にもじっとりと汗をかいている。冷を取る方法など朽ち果てたこの部屋には無く、吹き抜ける生ぬるい風を全身で受け止める他無い。
「母さん、母さん」
何度呼びかけても返事はないまま。少し力を込めて揺さぶってみると、すでに朽ちかけていたからか、外へと伸ばされていた右腕と身身体が千切れる。ぶちりと音を立てた訳では無いにしろ、脳内でそう音がなるほどに衝撃的な光景だ。
しかし意識は千切れた腕よりも、死んでいる母親に対してでもなく、分かりきっていることに無駄な時間を割いたことによるもどかしさに向けられた。