嘘つきと疫病神
第三章 はなれないにおい

愛しいから

 太平洋戦争が海戦してから三年。これまで当たり前にあった日常は、瞬く間に変化した。
 贅沢は敵というスローガンの下で人々は生きることを余儀なくされる。食事すらまともに与えられず、主な食事は芋、すいとん(小麦粉に水を加えて作った団子を入れた汁物)、かぼちゃの葉から茎など。時には道端に生えている雑草まで、食べられるものは何でも口にした。
 戦況が激化した今、生活において食糧不足とは切っても切れない縁で結ばれてしまっている。
 柳凪では団子に使用していたもち米が不足し、代わりに芋を練って作った団子を甘味として提供していた。
 それでも客足がかつてのように増えるわけではない。数名の客がいるだけの静かな店内に、鏡子の呟きが空気に溶けて消える。
「人々の心の拠り所になれたら」
 今のような生活が当たり前になりつつある頃、鏡子は毎日のようにそう呟いている。紬や友里恵は聞き飽きたとばかりに気にした様子はないが、蕗にとっては聞く度に胸の奥を鷲掴みにされる。
 昔は自信に満ちた声音で言っていた言葉が、今では暗く沈み自信が無くなってしまった。
 辺りに漂う暗い空気に耐えられず、蕗は逃げるように箒を握って軒先へと飛び出す。
 毎日毎日、事あるごとにこうして掃除を装って外に逃げるのだ。きっと鏡子達には気づかれていることだろう。
 それでも咎めようとしないのは、蕗一人減ったところで困るほど忙しくないからか。
「あっ、蕗ちゃん! おはよう」
「和加代(わかよ)、おはよう。今日も学校?」
「ええ、近頃は工場で働いてばかりだけどね」
「大変だよね。でも元気そうで良かった」
「もちろんよ。この国を守るために頑張ってくださる兵隊さんの役に立てているのだから、これくらいどうってことないわ。でも、お裁縫やお料理を教わっていた頃が懐かしくもあるのだけれど」
 赤みがかった長い髪を後ろで一つに結び、黒い制服に身を包む少女は苦笑交じりに言う。
 この町にやってきてからできた、蕗にとって唯一の友達と言える存在である。同じ年頃の女の子がいることは珍しいことでもないが、こうして関わりを持ったのは彼女が初めてである。
 町でも有名な女学校に通う和加代は、太平洋戦争が激化してから毎日のように学校ではなく工場に向かう。
 学徒動員により、学生や女子など関係なく工場で軍備を増やすことだけに労力を使われるのだ。
 もっと遊びたいだろうに、もっと裁縫や料理を学びたいだろうに。彼女のような少女ですら戦争のために働かなければならない世界になってしまった。
 なんて生きづらい世の中なのだろう。
「ねえ、今日も来られるかしら」
「小瀧(こたき)さん達? うん、来ると思うよ」
 蕗がそう言うと、和加代の表情が見て分かるほどに明るく晴れる。
 こうして会話している間だけは、ありのままの自分でいられる。そう二人は言葉にせずとも感じていた。
 
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