すべてはあの花のために③
二十二章 ナデシコ



「――ひゃっ……」


 視界に入る黒のセダンに、思わず体が反応する。

 ……あー、やだやだ。
 もういい加減ちゃんとしなくちゃ。



「(ひぇっ……!)」


 今度は黒いスーツの人が急に隣に立って、悲鳴が口の中で漏れた。

 だーかーら!
 ……ちゃんと。しっかりしなくちゃダメなんだってば。



 思わず胸元をぎゅっと握ろうとして……何もなかったことに気付いて小さく苦笑い。


「……だから。いつの話をしてるのよ」


 そこにあったものはもう、何年も前に手離したというのに。


 これが所謂条件反射か。
 体が覚えてしまったというのか。それに頭がまだついて行っていないのか。

 ……もう、何年経ったのよ。





 ぱちん――小さく頬を叩く。

 切り替えなきゃ。自分が決めたことでしょ。大好きな人のために。



「……うん! だって、後悔なんてしてないもんっ」


 ただ、ひとつだけまだ。あるとすれば。





「……だいすき。だったのになあ……」


 純情で。やさしくて。あったかくて。
 そんでもってちょっとかわいくて。

 大きな愛しい手を、自分から手放してしまったことだけ。





「……ふふ。今日もいい天気だね!」


 紅葉が色付くと、やっぱり思い出しちゃう。


 あの、楽しかった日々を。
 あの人の笑顔を。

 他でもない自分が、……捨ててしまった気持ちを――――。




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