すべてはあの花のために⑤
三十八章 導

小学校高学年までおねしょしてたーとか


 葵は、迎えを呼ばなかった。只管に走った。泣きそうな顔で。ただ、あの場所へと。


「あの時だ。絶対に。……っ。あの時に。聞かれたんだ……っ」


 途中で何度も転けそうになりながら、必死にそこを目指した。
 シントに、話したくても今は話せない。誰も……聞いてはくれないから。

 急勾配になった道へ、葵は怠くなった足を一歩、また一歩と踏み出す。時刻は夕方。そこにはもう、こどもたちの姿は見当たらない。


「……っ。ううぅ……っ」


 涙は流さなかった。ただ思い出の花畑に座り込んで、小さく唸るだけ。
 思い返せば、いつだってそうだった。つらくて。苦しくて。泣きたい時はいつだって。ここへ来ていたんだ。ここの花たちに。聞いてもらってたんだから。押し潰されそうな、この気持ちを。


「聞いてお花さん。もう。わたしはわたしでなくなってしまうの。『わたし』が知らないところで。大好きなお友だちに。話したくないこと。話しちゃってたんだ」


 言えるような人なんていなかった。いつだって。ひとりだった。


「だってもう。あの子には。……もう。会えないんだから」


 あの頃。たった一人、仮面を外せていた女の子には。


「ごめんなさい。……ごめん。なさい……っ」


 女の子に。いつも聞いてもらっていた。
 ただいつも。ここで泣いてた葵に。


『どうしたの?』

「どうしたんですか?」


 そう、声を掛けてきてくれて……。


『なんで、泣いてるの?』

「なんで、そんな泣きそうな顔をしてるんですか?」


 葵の隣に。座ってくれて……。


『話せない? だったら聞かない振りしてあげる』

「言えない? だったら耳を塞いでおきますよ?」


 そう言って。耳を塞いだ振りをして。

 
『声に出したらスッキリかもしれないよ?』

「言葉にすると気持ちが軽くなりますよ?」


 自分を安心させるように。ふわって笑うんだ。


『あ。ハナちゃん、また泣いてる』

「また会えましたね、あおいさん」


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