社長秘書に甘く溶かされて
第19話(最終話)世界屋製菓を救ったヒーロー
照代との騒動があった翌朝。
真奈美は久しぶりの自宅マンションから出勤。今回のスパイ事件が終結すれば、鷹夜のマンションに家具ごと引っ越しする予定である。そのためにも、犯人を追い詰めなければいけない。
会社に着くと、社内は騒がしく、社員たちはせわしなく動き回りながら何かを話し合っていた。この騒ぎについては、真奈美も予想がついていた。
企画開発部にやってくると、「冴原、聞いたか?」と狸山課長が話しかけてくる。
「なんでも、マルナガヤが世界屋製菓と業務提携したいとかで、会社は上から下への大騒ぎだよ。まあ、長年敵対してた企業が手を組むなんてありえないけどな」
「それはどうでしょう。敵対している原因を取り除けば、あるいは……ということもあるかもしれませんよ」
真奈美の言葉に、狸山課長は意外そうに目を丸くして、「ほう」と感心したような声を上げた。
「敵対してる原因というと……例の情報が盗まれてる件か? だが、世界屋製菓もマルナガヤも、お互い相手がスパイを送り込んでいると主張して譲らないと聞くぞ。それを解決する方法なんて……」
「実は犯人の目星はついているんですよ」
真奈美がそう宣言すると、企画開発部の面々はしん……と会話をやめて静まり、彼女に視線を集中させる。
ここが勝負どころだ。
真奈美は静かに深呼吸をしてから、カバンから証拠を取り出した。
「こちらは、とある人物のメールを印刷したものです。マルナガヤから盗んだ商品情報を、本部長にメールで送信している内容が書かれています。その発信元の名前が……狸山シュウ。つまりは課長です」
真奈美に名指しされた狸山課長がぎょっと目を剥く。企画開発部の面々はざわついた。
「お……おい! 勝手に俺のパソコンを覗いたってことか!?」
「その発言は、認めるということですか?」
「い、いや……違う! これは冴原が俺をハメようとしてる罠だ! みんな信じるな!」
うろたえている狸山課長と、落ち着き払って確実な証拠で課長を追い詰めていく真奈美。どちらを信じるかは明白である。
「他にも、目を疑うような証拠を見つけました」と真奈美は冷静にカバンの中を探った。
「これは、マルナガヤに宛てて送られたメール。ゴミ箱フォルダの中に入っていましたが、削除の仕方は知らなかったようですね。おそらく、ゴミ箱に入れたら即時削除されると勘違いしていたのでしょう。このメールには、マルナガヤに世界屋製菓の商品情報を横流しする内容が書かれています」
「つまり、課長は二重スパイってことですか?」
長谷川が目を丸くしながら真奈美に問いかける。彼は真奈美と一緒に「調べ物」――証拠の確保を手伝ったのである程度の内容は知っているが、敢えて何も知らないフリをして真奈美に相槌を打っていた。
「ええ。マルナガヤからのメールにも、課長に報酬を支払う内容が書かれている。その一方で、世界屋製菓の本部長にもマルナガヤの情報を渡すことで、秘密裏に出世の約束を結んでいた」
「課長……両方を騙して、自分だけ得しようとしてたんですか?」
「課長! これは事実なんですか!?」
企画開発部の室内は狸山課長への怒りが噴出している。
課長は「違う……違うんだ……」と顔を真っ青にして絞り出すような声で首を横に振っていた。
「そのうえ、私がマルナガヤの社長秘書と付き合っていることを知って、私に罪をなすりつけようとしたんでしょう。到底許せるものではありません」
真奈美は狸山課長を視線で射抜くように、まっすぐと見据える。
「課長、観念してください。私はこの事実を上層部に告発しますし、警察にも通報します。それに、世界屋製菓とマルナガヤが業務提携を結んで協力体制を敷けば、情報を盗んで売るなどということは今後二度とできなくなります」
狸山課長は膝から床に崩れ落ち、がっくりとうなだれていた。
こうして上司の不正を暴いた真奈美は、ふうと息をつく。
課長と本部長が逮捕される異例の事態となった世界屋製菓であったが、元凶が潰えたことと、マルナガヤの社長――永井鷹彦が世界屋製菓に歩み寄ったことで、ふたつの企業間のわだかまりが消え、業務提携をしようという話で落ち着いた。株価もそのおかげで、思ったほどは下落しなかったようだ。
以来、世界屋製菓はマルナガヤの最新技術を、マルナガヤは世界屋製菓の伝統的な製法を学ぶために、文化交流として互いの社屋に自由に足を運べるようになる。
「世界屋製菓が無事に残ってよかったですね、真奈美さん」
「鷹夜さんが狸山さんの周辺を調べたほうがいいと助言してくださったおかげですよ」
鷹夜は社長の鷹彦について、秘書として世界屋製菓を訪れることが多くなった。
仕事でもプライベートでも顔を合わせることが多くなり、今回の事件で真奈美と鷹夜の活躍を知っている者は彼らを「世界屋製菓を救ったヒーロー」として扱っている。企画開発部の面々もこれまで真奈美を無視してきたことを謝罪してくれたのだった。
「ところで、真奈美さん。今夜、ご飯食べに出かけませんか?」
「外食ですか? 構いませんけど……珍しいですね」
鷹夜は、外で食べるよりも、家の中で手料理を振る舞うほうが好きなタイプである。
「夜景の綺麗なレストランがあって……そこで、真奈美さんにプロポーズしようかと」
「……それ、前もって私に予告しちゃっていいんですか?」
「あっ」
真面目過ぎる社長秘書は、「お恥ずかしい」とその幼い顔を赤らめていた。
真奈美はクスッと笑い、「プロポーズ、楽しみにしてますね」と囁く。鷹夜の顔は、ますます真っ赤になるのであった。
〈了〉
真奈美は久しぶりの自宅マンションから出勤。今回のスパイ事件が終結すれば、鷹夜のマンションに家具ごと引っ越しする予定である。そのためにも、犯人を追い詰めなければいけない。
会社に着くと、社内は騒がしく、社員たちはせわしなく動き回りながら何かを話し合っていた。この騒ぎについては、真奈美も予想がついていた。
企画開発部にやってくると、「冴原、聞いたか?」と狸山課長が話しかけてくる。
「なんでも、マルナガヤが世界屋製菓と業務提携したいとかで、会社は上から下への大騒ぎだよ。まあ、長年敵対してた企業が手を組むなんてありえないけどな」
「それはどうでしょう。敵対している原因を取り除けば、あるいは……ということもあるかもしれませんよ」
真奈美の言葉に、狸山課長は意外そうに目を丸くして、「ほう」と感心したような声を上げた。
「敵対してる原因というと……例の情報が盗まれてる件か? だが、世界屋製菓もマルナガヤも、お互い相手がスパイを送り込んでいると主張して譲らないと聞くぞ。それを解決する方法なんて……」
「実は犯人の目星はついているんですよ」
真奈美がそう宣言すると、企画開発部の面々はしん……と会話をやめて静まり、彼女に視線を集中させる。
ここが勝負どころだ。
真奈美は静かに深呼吸をしてから、カバンから証拠を取り出した。
「こちらは、とある人物のメールを印刷したものです。マルナガヤから盗んだ商品情報を、本部長にメールで送信している内容が書かれています。その発信元の名前が……狸山シュウ。つまりは課長です」
真奈美に名指しされた狸山課長がぎょっと目を剥く。企画開発部の面々はざわついた。
「お……おい! 勝手に俺のパソコンを覗いたってことか!?」
「その発言は、認めるということですか?」
「い、いや……違う! これは冴原が俺をハメようとしてる罠だ! みんな信じるな!」
うろたえている狸山課長と、落ち着き払って確実な証拠で課長を追い詰めていく真奈美。どちらを信じるかは明白である。
「他にも、目を疑うような証拠を見つけました」と真奈美は冷静にカバンの中を探った。
「これは、マルナガヤに宛てて送られたメール。ゴミ箱フォルダの中に入っていましたが、削除の仕方は知らなかったようですね。おそらく、ゴミ箱に入れたら即時削除されると勘違いしていたのでしょう。このメールには、マルナガヤに世界屋製菓の商品情報を横流しする内容が書かれています」
「つまり、課長は二重スパイってことですか?」
長谷川が目を丸くしながら真奈美に問いかける。彼は真奈美と一緒に「調べ物」――証拠の確保を手伝ったのである程度の内容は知っているが、敢えて何も知らないフリをして真奈美に相槌を打っていた。
「ええ。マルナガヤからのメールにも、課長に報酬を支払う内容が書かれている。その一方で、世界屋製菓の本部長にもマルナガヤの情報を渡すことで、秘密裏に出世の約束を結んでいた」
「課長……両方を騙して、自分だけ得しようとしてたんですか?」
「課長! これは事実なんですか!?」
企画開発部の室内は狸山課長への怒りが噴出している。
課長は「違う……違うんだ……」と顔を真っ青にして絞り出すような声で首を横に振っていた。
「そのうえ、私がマルナガヤの社長秘書と付き合っていることを知って、私に罪をなすりつけようとしたんでしょう。到底許せるものではありません」
真奈美は狸山課長を視線で射抜くように、まっすぐと見据える。
「課長、観念してください。私はこの事実を上層部に告発しますし、警察にも通報します。それに、世界屋製菓とマルナガヤが業務提携を結んで協力体制を敷けば、情報を盗んで売るなどということは今後二度とできなくなります」
狸山課長は膝から床に崩れ落ち、がっくりとうなだれていた。
こうして上司の不正を暴いた真奈美は、ふうと息をつく。
課長と本部長が逮捕される異例の事態となった世界屋製菓であったが、元凶が潰えたことと、マルナガヤの社長――永井鷹彦が世界屋製菓に歩み寄ったことで、ふたつの企業間のわだかまりが消え、業務提携をしようという話で落ち着いた。株価もそのおかげで、思ったほどは下落しなかったようだ。
以来、世界屋製菓はマルナガヤの最新技術を、マルナガヤは世界屋製菓の伝統的な製法を学ぶために、文化交流として互いの社屋に自由に足を運べるようになる。
「世界屋製菓が無事に残ってよかったですね、真奈美さん」
「鷹夜さんが狸山さんの周辺を調べたほうがいいと助言してくださったおかげですよ」
鷹夜は社長の鷹彦について、秘書として世界屋製菓を訪れることが多くなった。
仕事でもプライベートでも顔を合わせることが多くなり、今回の事件で真奈美と鷹夜の活躍を知っている者は彼らを「世界屋製菓を救ったヒーロー」として扱っている。企画開発部の面々もこれまで真奈美を無視してきたことを謝罪してくれたのだった。
「ところで、真奈美さん。今夜、ご飯食べに出かけませんか?」
「外食ですか? 構いませんけど……珍しいですね」
鷹夜は、外で食べるよりも、家の中で手料理を振る舞うほうが好きなタイプである。
「夜景の綺麗なレストランがあって……そこで、真奈美さんにプロポーズしようかと」
「……それ、前もって私に予告しちゃっていいんですか?」
「あっ」
真面目過ぎる社長秘書は、「お恥ずかしい」とその幼い顔を赤らめていた。
真奈美はクスッと笑い、「プロポーズ、楽しみにしてますね」と囁く。鷹夜の顔は、ますます真っ赤になるのであった。
〈了〉