氷壁エリートの夜の顔

第20話 お似合い

 鏡に向かって、笑顔をつくる。

 新しい環境に身を置くとき、私がいつもしてきたことだった。
 大学に入学した日。今の会社に就職した日。古美多でダブルワークを始めた日も。
「この笑顔で今日を乗り切ろう」──それは、未来の自分に向けた小さなエールだった。

 泣き腫らしたのは、土曜の夜。
 アパートのドアを閉めた瞬間、こみ上げてきた涙に抗えなかった。

 何年ぶりだろう、こんなふうに泣いたのは。
 少なくとも、恋愛が理由なのは、間違いなく初めてだ。

 月曜の朝、結城さんは朝イチで社外の打ち合わせだった。
 それだけが救いだった。少しでも、社内で「失恋の慣らし運転」をしておきたかったから。

 感情のコントロールには自信がある。
 だけど今回は、人生で初めての失恋だ。非常事態だ。綻びが出ないようにしなければ。

「おはよう、咲」

 美玲がラウンジで声をかけてくる。『進展あった?』とでも言いたげな、期待の笑みを浮かべて。
 私は軽く周りを見渡し、誰にも聞こえないのを確認してから、笑いながら小さく言った。

「へへ、失恋しちゃった」
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