敵将に拾われた声なき令嬢、異国の屋敷で静かに愛されていく
第七話
***
メイドたちは夕食の片付けを済ませると、マギーを残してティナの部屋を出ていった。いつものように、マギーが暖炉に薪をくべる中、早速、ティナは羊皮紙を用意し、『ラスフォード様へ』と、インクをつけたペン先を落とす。
今日もラスに会えなかった。検問の強化が始まり、聖ルヴェラン騎士団はより一層忙しくなった。ラスはその陣頭指揮を取るため、検問所に詰めていることが多くなったと、執事のライモンドから聞いた。
さて、何を書こうか。気にかかることはたくさんあったが、ラスへの手紙は、一日の終わりに疲れが癒されるような、なるべく穏やかなものにしたかった。
ほんの少し上の空で考え込んでいると、食後の紅茶を用意するマギーが、喜びを含んだ声で話しかけてくる。
「ところで、ティナ様、ナナさんが孤児院で暮らし始めたそうですよ」
ナナとその兄がどうなったのか聞かされていなかったティナは、驚きと安堵を同時ににじませた表情でマギーを見上げた。彼女もまた、幼いナナを案じていたのだろう。優しいまなざしで、深くうなずく。
「お兄さんのレオさんも、ようやく」
それを聞くなり、急いで炭筆を手に取り、木製ボードに走り書きする。
『レオ……というのですね?』
「はい。ナナさんはすぐに保護されたのですが、レオさんはずっと孤児院に行くのは嫌だと言っていたそうで、説得するのに時間がかかってしまったみたいです」
『ほかにご家族が?』
マギーは小さく首を横に振り、嘆くように声を震わせる。
「城下町の北にある山小屋で、母親と三人暮らしだったそうです。母親が亡くなり、知り合いの木材店で働いていたようですね。木材店での扱いは、それはひどいものだったと近所で評判だったそうですが、レオさんは養ってくれる恩があるからと我慢していたそうなんです」
あのふたりの身なりを考えると、胸が痛んだ。まともな食事はおろか、体を拭くことさえもできていなかったのではないか。
『……保護されて、よかったですね』
「本当にそうですよ。ラス様が渋る木材店の主人に掛け合って、レオさんの保護に尽力されたんですよ。なかなか強情な主人だったようで、毎日のように木材店を訪れて、レオさんとナナさんを離れ離れにしてはいけないと訴えられたとか。最後には主人も熱心なラス様に折れたようですよ」
胸を張るマギーは、まるで英雄を語るように、ラスの行いを褒め称えた。それだけでも、木材店の主人がレオをいいように使っていたとわかる。
(お忙しいのに、ラスフォード様はあの子たちのために……)
治安維持のためとは割り切れないほどに、ラスは街の人たちのために心を砕いている。彼の行動力にただただ頭がさがった。
「それともう一つ、アンナさんが今日、訪ねてきましたよ。指輪が戻ってきたお礼を兼ねて、今度、孤児院の子たちにおいしいパイを焼いてあげるって約束されたとか。そのときは是非、ティナ様もいらしてくださいと」
『私も、ですか?』
思いがけない誘いに、ティナの胸は温かくなる。ラスには無理を言って迷惑かけてばかりだと、正直落ち込んでいた。しかし、アンナの役に立てたのだと知れば、素直にうれしかった。
(そうだわ。ラスフォード様にお礼を……)
ティナは思い立って、羽ペンを持ち直す。すでに書いた『ラスフォード様へ』の文字を眺め、少し考え直し、その上にペン先を落とす。
_______
敬愛なる
ラスフォード様へ
_______
ラスを気づかう挨拶、マギーの知らせ、アンナからの孤児院への誘い……はやる気持ちをおさえながら、一文字一文字丁寧に書いた。
いつもより長文になってしまったが、ラスへの感謝の気持ちがあちらこちらに散りばめられた手紙に、ティナは満足した。
羽ペンを置くと、そっと羊皮紙を丸め、赤いリボンで結んだ。すると、静かに見守っていたマギーが、話し足りないとばかりにふたたび話し始める。
「以前にもお話しましたでしょうか? この屋敷で働くメイドの中にも、孤児院育ちや、孤児院で働く家族を持つ者もいるんですよ。ですからみんな、ティナ様がナナさんとラス様を引き合わせたことに感謝しているんです。ナナさんたちが安心して暮らせる場所に来れたのは、ティナ様のおかげです」
マギーは褒めてくれるが、自分は何もできていないと、ティナは心苦しくなった。
ラスとナナが出会うことになった理由の一つ、あの指輪の代金だって、少しでもいいから、ラスに返していきたいとは思っているけれど、なかなか行動に移せないでいる。
『孤児院では、たくさんの方を預かっているんですか?』
ふと気になって、ティナは尋ねた。
「セレバルとの国境が封鎖されてからは数が減り、それほど多くはありませんが、いずれ増えるかもしれませんね。人手も常に間に合っているわけではありませんので、いろいろと苦慮しているようですよ」
なぜ、国境が封鎖されて減るのだろう。停戦し、国境が開放されたことで、また増えるというのだろうか。
『セレバルから多くの孤児がやってくるのですか?』
「……ティナ様には申し上げにくいのですが、孤児はセレバルの方が遥かに多いのです。増やさないためにも、停戦条約が結ばれたことは、本当に喜ばしいことなんですよ」
『そうだったの……』
ヴェルナード国王は孤児の保護に積極的ではないのだろう。ルヴェランへの移住を望むセレバルの民が多いと、関所でも聞いた。その中にも、ルヴェランでの保護を望む子どもたちもいるのかもしれない。
ルヴェランの孤児が増えるのは、セレバルの失政のため。孤児院では人手も足りないという……。
(私も、孤児院で役立てることがあるかしら)
ティナだって、ずっとこの屋敷にいられるとは思っていない。しかし、あまり具体的に考えてはいなかった。ラスは出ていけとは言わないだろうが、そういうわけにもいかない。
目指す道がわずかに見えた気がして、ティナは早速、マギーに尋ねた。
『ラスフォード様はおかえりになりましたか?』
「明日はお休みがいただけるそうで、今夜は遅くなると連絡がございましたよ」
『では明日、会ってお話したいことがあると伝えてくれますか?』
ティナが手紙を差し出すと、マギーは「かしこまりました」と、うれしそうに微笑んだ。
メイドたちは夕食の片付けを済ませると、マギーを残してティナの部屋を出ていった。いつものように、マギーが暖炉に薪をくべる中、早速、ティナは羊皮紙を用意し、『ラスフォード様へ』と、インクをつけたペン先を落とす。
今日もラスに会えなかった。検問の強化が始まり、聖ルヴェラン騎士団はより一層忙しくなった。ラスはその陣頭指揮を取るため、検問所に詰めていることが多くなったと、執事のライモンドから聞いた。
さて、何を書こうか。気にかかることはたくさんあったが、ラスへの手紙は、一日の終わりに疲れが癒されるような、なるべく穏やかなものにしたかった。
ほんの少し上の空で考え込んでいると、食後の紅茶を用意するマギーが、喜びを含んだ声で話しかけてくる。
「ところで、ティナ様、ナナさんが孤児院で暮らし始めたそうですよ」
ナナとその兄がどうなったのか聞かされていなかったティナは、驚きと安堵を同時ににじませた表情でマギーを見上げた。彼女もまた、幼いナナを案じていたのだろう。優しいまなざしで、深くうなずく。
「お兄さんのレオさんも、ようやく」
それを聞くなり、急いで炭筆を手に取り、木製ボードに走り書きする。
『レオ……というのですね?』
「はい。ナナさんはすぐに保護されたのですが、レオさんはずっと孤児院に行くのは嫌だと言っていたそうで、説得するのに時間がかかってしまったみたいです」
『ほかにご家族が?』
マギーは小さく首を横に振り、嘆くように声を震わせる。
「城下町の北にある山小屋で、母親と三人暮らしだったそうです。母親が亡くなり、知り合いの木材店で働いていたようですね。木材店での扱いは、それはひどいものだったと近所で評判だったそうですが、レオさんは養ってくれる恩があるからと我慢していたそうなんです」
あのふたりの身なりを考えると、胸が痛んだ。まともな食事はおろか、体を拭くことさえもできていなかったのではないか。
『……保護されて、よかったですね』
「本当にそうですよ。ラス様が渋る木材店の主人に掛け合って、レオさんの保護に尽力されたんですよ。なかなか強情な主人だったようで、毎日のように木材店を訪れて、レオさんとナナさんを離れ離れにしてはいけないと訴えられたとか。最後には主人も熱心なラス様に折れたようですよ」
胸を張るマギーは、まるで英雄を語るように、ラスの行いを褒め称えた。それだけでも、木材店の主人がレオをいいように使っていたとわかる。
(お忙しいのに、ラスフォード様はあの子たちのために……)
治安維持のためとは割り切れないほどに、ラスは街の人たちのために心を砕いている。彼の行動力にただただ頭がさがった。
「それともう一つ、アンナさんが今日、訪ねてきましたよ。指輪が戻ってきたお礼を兼ねて、今度、孤児院の子たちにおいしいパイを焼いてあげるって約束されたとか。そのときは是非、ティナ様もいらしてくださいと」
『私も、ですか?』
思いがけない誘いに、ティナの胸は温かくなる。ラスには無理を言って迷惑かけてばかりだと、正直落ち込んでいた。しかし、アンナの役に立てたのだと知れば、素直にうれしかった。
(そうだわ。ラスフォード様にお礼を……)
ティナは思い立って、羽ペンを持ち直す。すでに書いた『ラスフォード様へ』の文字を眺め、少し考え直し、その上にペン先を落とす。
_______
敬愛なる
ラスフォード様へ
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ラスを気づかう挨拶、マギーの知らせ、アンナからの孤児院への誘い……はやる気持ちをおさえながら、一文字一文字丁寧に書いた。
いつもより長文になってしまったが、ラスへの感謝の気持ちがあちらこちらに散りばめられた手紙に、ティナは満足した。
羽ペンを置くと、そっと羊皮紙を丸め、赤いリボンで結んだ。すると、静かに見守っていたマギーが、話し足りないとばかりにふたたび話し始める。
「以前にもお話しましたでしょうか? この屋敷で働くメイドの中にも、孤児院育ちや、孤児院で働く家族を持つ者もいるんですよ。ですからみんな、ティナ様がナナさんとラス様を引き合わせたことに感謝しているんです。ナナさんたちが安心して暮らせる場所に来れたのは、ティナ様のおかげです」
マギーは褒めてくれるが、自分は何もできていないと、ティナは心苦しくなった。
ラスとナナが出会うことになった理由の一つ、あの指輪の代金だって、少しでもいいから、ラスに返していきたいとは思っているけれど、なかなか行動に移せないでいる。
『孤児院では、たくさんの方を預かっているんですか?』
ふと気になって、ティナは尋ねた。
「セレバルとの国境が封鎖されてからは数が減り、それほど多くはありませんが、いずれ増えるかもしれませんね。人手も常に間に合っているわけではありませんので、いろいろと苦慮しているようですよ」
なぜ、国境が封鎖されて減るのだろう。停戦し、国境が開放されたことで、また増えるというのだろうか。
『セレバルから多くの孤児がやってくるのですか?』
「……ティナ様には申し上げにくいのですが、孤児はセレバルの方が遥かに多いのです。増やさないためにも、停戦条約が結ばれたことは、本当に喜ばしいことなんですよ」
『そうだったの……』
ヴェルナード国王は孤児の保護に積極的ではないのだろう。ルヴェランへの移住を望むセレバルの民が多いと、関所でも聞いた。その中にも、ルヴェランでの保護を望む子どもたちもいるのかもしれない。
ルヴェランの孤児が増えるのは、セレバルの失政のため。孤児院では人手も足りないという……。
(私も、孤児院で役立てることがあるかしら)
ティナだって、ずっとこの屋敷にいられるとは思っていない。しかし、あまり具体的に考えてはいなかった。ラスは出ていけとは言わないだろうが、そういうわけにもいかない。
目指す道がわずかに見えた気がして、ティナは早速、マギーに尋ねた。
『ラスフォード様はおかえりになりましたか?』
「明日はお休みがいただけるそうで、今夜は遅くなると連絡がございましたよ」
『では明日、会ってお話したいことがあると伝えてくれますか?』
ティナが手紙を差し出すと、マギーは「かしこまりました」と、うれしそうに微笑んだ。