敵将に拾われた声なき令嬢、異国の屋敷で静かに愛されていく
第十話
*
早朝に目覚めたティナは、ベッドから抜け出すと、窓から外をのぞいた。
しらじらと夜が明けていく薄灰色の空に現れる柔らかな光を眺めていると、黒毛馬に乗って坂道を駆け降りていくラスの姿が見えた。
セレバルの使節団は無事に帰国し、ルヴェランは日常を取り戻していた。聖ルヴェラン騎士団はいつものように早朝から厳しい鍛錬に励んでいる。
訓練の様子をティナは見たことがなかったが、マギーによれば、とても見ていられるものではないらしい。さぞかし壮絶なのだろうと、彼の後ろ姿を見送るたびに、無事の帰宅を祈らずにはいられなかった。
ほどなくして、入れ違うように二台の荷馬車がやってきた。いつもは野菜や果物、干し肉などを運ぶ馬車が一台来ていたが、どうやら今日は荷物が多いのか、二台のようだ。
「私にも何か手伝えないかしら」
客人ではあるが、このところはアリアーヌの家での働きもあり、執事のライモンドやメイドたちは、まるでティナがこの屋敷の住人であるかのように接してくれるようになっていた。
先日も、ライモンドから来賓の献立について意見を求められたばかりだ。ルヴェランは寒く、育つ農作物は少ないが、異国との貿易が盛んで、さまざまな種類の食材が手に入るという。セレバルとの国境が解放され、いずれ、この屋敷にも訪れるであろう要人のために、セレバル料理を教示してほしいとのことだった。
カリスト邸では、カタリーナを煩わせないよう、なるべく何もしないでいることを求められたが、ここでは違う。ティナは必要とされることがうれしかった。
「そうだわ」
ティナは軽く手を打ち合わせ、パッと顔を明るくした。搬入された荷物の管理はライモンドが行っているはず。二台もあるなら大変だろう。
思い立つがはやいか、薄い紺色のローブを羽織って部屋を抜け出した。
まだ静けさに包まれる廊下を進み、屋敷の裏手にある勝手口へ行くと、数人の話し声が聞こえてきた。
ライモンドが帳簿を手に、使用人の男たちに指示を出している。その背中に近づこうとしたとき、一礼するひとりのメイドとすれ違った。ティナは思わず振り返る。見慣れないメイドだった。
「新しいメイドかしら……」
ティナの滞在でマギーの負担が増えたことを懸念し、ラスは新たにメイドを雇うと話していたが……。
首をかしげながら、厨房へ入っていくメイドを見ていると、「おやおや、フロレンティーナ様、いかがなされましたかな?」と、こちらに気づいたライモンドが話しかけてきた。
「あ……、私にも何かお手伝いできることはないかと。今日は荷物が多いようですから」
ちらりと馬車の方へ目を移すと、ライモンドがほがらかな笑みを浮かべる。
「お気遣いありがとうございます。新しいメイドが複数人、一度に加わることになりまして……、備品が次々にと届いております」
やはり、あのメイドは新しくやってきた娘なのだろう。
「ライモンドさんおひとりでは大変ですね。帳簿を見せていただけますか?」
「もちろんですとも。旦那様より、フロレンティーナ様に屋敷での仕事を把握していただくよう仰せつかっておりますので」
「そうなのですか?」
「フロレンティーナ様の今後を考えておられるのでしょう。では、食材をお願いできますかな? 届いた食材と注文に間違いがないかどうか……」
ティナの今後と仕事の把握にどんな関係があるのだろう。ライモンドはさらりと言ったが、気になって仕方なかった。
しかし、ライモンドが長々と説明し始めるのを、ティナは黙って聞いた。それから、帳簿を受け取り、馬車からおろしたばかりの食材と帳簿に間違いがないか確認し、数量をかぞえてから厨房に運ぶよう、使用人に指示を出した。
使用人たちは皆、嬉々として働いた。彼らもまた、ティナが女主人のような振る舞いをしても受け入れるようにと、ラスから命じられているのかもしれないと思うほど協力的だった。
慣れない指示に苦心しつつも、働いたあとの朝食は格別だった。マギーが取り分けてくれるハムをぺろりと食べ、温かなミルクを飲み終えると、マギーがうれしげに話しかけてくる。
「ティナ様のおかげで片付けがはやく済み、みんなが喜んでいますよ。料理長が、今夜はティナ様がお好きなミートパイを作ると張り切ってます」
「本当ですか? ルヴェランのシナモンは香り高いので楽しみなんですよ」
「香辛料はどこの国にも負けないほど、種類が豊富ですから。ミートパイも、今朝届いたばかりのシナモンで作るとか」
そういえば、異国から取り寄せた食材の中に、シナモンがあった。布に巻かれた陶器の小瓶に入っていて、大変貴重なものだ。
「シナモンにも種類があるのですよね? 以前、厨房を案内してくれた料理長からいろいろと説明を受けました」
「ティナ様がルヴェランの料理はおいしいと褒めてくださるので、料理長もすっかり饒舌になったのでしょう」
「ラスフォード様も今夜ははやく帰られますか? 一緒に焼きたてのミートパイがいただけたらいいのですけど」
尋ねると、マギーが笑顔でうなずく。
「ラス様がお帰りになりましたら、そのように伝えておきます。ラス様もさぞかしお喜びになるでしょう」
早朝に目覚めたティナは、ベッドから抜け出すと、窓から外をのぞいた。
しらじらと夜が明けていく薄灰色の空に現れる柔らかな光を眺めていると、黒毛馬に乗って坂道を駆け降りていくラスの姿が見えた。
セレバルの使節団は無事に帰国し、ルヴェランは日常を取り戻していた。聖ルヴェラン騎士団はいつものように早朝から厳しい鍛錬に励んでいる。
訓練の様子をティナは見たことがなかったが、マギーによれば、とても見ていられるものではないらしい。さぞかし壮絶なのだろうと、彼の後ろ姿を見送るたびに、無事の帰宅を祈らずにはいられなかった。
ほどなくして、入れ違うように二台の荷馬車がやってきた。いつもは野菜や果物、干し肉などを運ぶ馬車が一台来ていたが、どうやら今日は荷物が多いのか、二台のようだ。
「私にも何か手伝えないかしら」
客人ではあるが、このところはアリアーヌの家での働きもあり、執事のライモンドやメイドたちは、まるでティナがこの屋敷の住人であるかのように接してくれるようになっていた。
先日も、ライモンドから来賓の献立について意見を求められたばかりだ。ルヴェランは寒く、育つ農作物は少ないが、異国との貿易が盛んで、さまざまな種類の食材が手に入るという。セレバルとの国境が解放され、いずれ、この屋敷にも訪れるであろう要人のために、セレバル料理を教示してほしいとのことだった。
カリスト邸では、カタリーナを煩わせないよう、なるべく何もしないでいることを求められたが、ここでは違う。ティナは必要とされることがうれしかった。
「そうだわ」
ティナは軽く手を打ち合わせ、パッと顔を明るくした。搬入された荷物の管理はライモンドが行っているはず。二台もあるなら大変だろう。
思い立つがはやいか、薄い紺色のローブを羽織って部屋を抜け出した。
まだ静けさに包まれる廊下を進み、屋敷の裏手にある勝手口へ行くと、数人の話し声が聞こえてきた。
ライモンドが帳簿を手に、使用人の男たちに指示を出している。その背中に近づこうとしたとき、一礼するひとりのメイドとすれ違った。ティナは思わず振り返る。見慣れないメイドだった。
「新しいメイドかしら……」
ティナの滞在でマギーの負担が増えたことを懸念し、ラスは新たにメイドを雇うと話していたが……。
首をかしげながら、厨房へ入っていくメイドを見ていると、「おやおや、フロレンティーナ様、いかがなされましたかな?」と、こちらに気づいたライモンドが話しかけてきた。
「あ……、私にも何かお手伝いできることはないかと。今日は荷物が多いようですから」
ちらりと馬車の方へ目を移すと、ライモンドがほがらかな笑みを浮かべる。
「お気遣いありがとうございます。新しいメイドが複数人、一度に加わることになりまして……、備品が次々にと届いております」
やはり、あのメイドは新しくやってきた娘なのだろう。
「ライモンドさんおひとりでは大変ですね。帳簿を見せていただけますか?」
「もちろんですとも。旦那様より、フロレンティーナ様に屋敷での仕事を把握していただくよう仰せつかっておりますので」
「そうなのですか?」
「フロレンティーナ様の今後を考えておられるのでしょう。では、食材をお願いできますかな? 届いた食材と注文に間違いがないかどうか……」
ティナの今後と仕事の把握にどんな関係があるのだろう。ライモンドはさらりと言ったが、気になって仕方なかった。
しかし、ライモンドが長々と説明し始めるのを、ティナは黙って聞いた。それから、帳簿を受け取り、馬車からおろしたばかりの食材と帳簿に間違いがないか確認し、数量をかぞえてから厨房に運ぶよう、使用人に指示を出した。
使用人たちは皆、嬉々として働いた。彼らもまた、ティナが女主人のような振る舞いをしても受け入れるようにと、ラスから命じられているのかもしれないと思うほど協力的だった。
慣れない指示に苦心しつつも、働いたあとの朝食は格別だった。マギーが取り分けてくれるハムをぺろりと食べ、温かなミルクを飲み終えると、マギーがうれしげに話しかけてくる。
「ティナ様のおかげで片付けがはやく済み、みんなが喜んでいますよ。料理長が、今夜はティナ様がお好きなミートパイを作ると張り切ってます」
「本当ですか? ルヴェランのシナモンは香り高いので楽しみなんですよ」
「香辛料はどこの国にも負けないほど、種類が豊富ですから。ミートパイも、今朝届いたばかりのシナモンで作るとか」
そういえば、異国から取り寄せた食材の中に、シナモンがあった。布に巻かれた陶器の小瓶に入っていて、大変貴重なものだ。
「シナモンにも種類があるのですよね? 以前、厨房を案内してくれた料理長からいろいろと説明を受けました」
「ティナ様がルヴェランの料理はおいしいと褒めてくださるので、料理長もすっかり饒舌になったのでしょう」
「ラスフォード様も今夜ははやく帰られますか? 一緒に焼きたてのミートパイがいただけたらいいのですけど」
尋ねると、マギーが笑顔でうなずく。
「ラス様がお帰りになりましたら、そのように伝えておきます。ラス様もさぞかしお喜びになるでしょう」