敵将に拾われた声なき令嬢、異国の屋敷で静かに愛されていく
第三話
***


 ティナが話せるようになったと気づいたらしいカタリーナは、馬車が立ち去るなり、「だましていたのかっ!」と叫んだ。

 エントランスで待ち構えていたカタリーナに、迎賓館から運んでくれた御者に礼を伝える姿を見られてしまったのは不覚だったかもしれない。

 あわてて階段へ向かったが、気の済まないカタリーナはあとを追いかけてきた。

「公爵家の娘は母親を亡くしたから口がきけなくなった。後妻では、エレオノーラに太刀打ちできまい。皆は私を笑いものにした。同情集めて悲劇ぶって、さんざん馬鹿にして、本当におまえは性格が悪い」

 怒りに駆られたカタリーナは行く手を阻むと、ティナを糾弾し始める。

「カリスト公爵家にどれだけ泥を塗れば気が済むのか! 私がどれほど必死にこの家を守ってきたかわからないのか!」と、これまで幾度となく聞かされてきた小言が延々と繰り返された。

 途中から、説教は耳に入らなくなった。頭の奥がぼうっとして、何も考えられない。ただ責め立てる声だけが、空間に振動しているようだった。

「……聞いているのかっ!」

 ぼんやり立ち尽くしていると、ぴしゃりと手を叩かれた。

「き、聞いています……」

 痛む手を引っ込めて、なんとか取り繕うと、カタリーナは芝居がかって見えるほど、大げさなため息をついた。

「交渉はルヴェランに有利な形で終わったそうじゃないか。おまえの一言がどれだけの影響を与えたか……。ああ……、こんなことになるなんて、どうして……」

 どうやら、会合でのティナの様子は、すでにカタリーナに伝わっていたようだ。

「私は、なんとかしなければと思って……」

 あのときは、その一心だけだった。それ以上の理由を問われても、わからないとしか答えられない。

「なんとかだって? おまえに何ができるっていうんだいっ」

 カタリーナの細い目がつり上がる。もう何年と、この姿は見続けてきた。もはや、そのような怒りの姿におびえることはなかった。

 そもそも、会合へ出席するように言ったのはカタリーナだ。ティナはただ従っただけ。……父が倒れたから、あの場に行くしかなかった。それだけなのに。なぜ、ここまで責められなければいけないのだろう。

 ふと視線をずらすと、カタリーナには聞こえないふりをしたように映ったらしい。「おまえは、どうしてそんなに反抗的なのか……」と、小言がまた始まりそうになる。それを遮るように、ティナは尋ねた。

「お父様とお話はできますか?」
「話してどうするんだい。今さら、泣いて詫びても、あの方の立場が良くなることはないんだよ」
「ご存知なんですね……、お父様も」
「ラビエール閣下の使いがやってきて、ご丁寧に教えてくれたよ。本当に、おまえは大変なことをしでかしたのがわかってるのかい」

 カタリーナの続く苦言を背に、ティナは階段をあがった。父であるレオニスの寝室は最上階にある。長い廊下の奥にある南の角部屋に到着すると、控えめにドアをノックする。

「ティナです。ただいま、帰りました」

 どんな顔をして会えばいいかわからなかったが、とにかく話をしなくてはと、使命感にかられて声をかけると、すぐにメイドがドアを開く。寝室へ踏み込むと、メイドは両手を添えて頭をさげ、静かに出ていった。

 レオニスは、豪華な布がかけられたベッドに横たわっていた。その枕元に近づくと、わずかに視線を動かし、気迫のない黒い目でティナを見上げた。

「……お父様に謝らなければならないことをしました」

 ティナは素直に謝罪した。レオニスはカタリーナと違って、自分を責めることはないだろうとわかっていた。むしろ、何も言われないことの方が怖かった。

「話せるようになったのか」

 レオニスは無感情なまなざしのまま、つぶやくように言う。

「はい。あれほど何をしても治らなかったのに、突然……」
「そうか。だとしても、余計なことをするべきではなかったな」

 穏やかで静かな口調は、カタリーナのそれよりも胸に重くのしかかった。誰にも褒められないことをした。今さら、気づいても遅い。

「ルヴェランに有利な交渉が進んだと聞きました。陛下はお許しにならないでしょうか……」

 ティナは泣き出しそうな表情になって、声をふるわせた。しかし、レオニスは静かな目でティナを見つめ、ため息をつくようにまばたきをした。

「おまえにできることはもう何もない。なるようになるしかないのだよ」

 それは、国王陛下から下されるであろう処分を粛々と待つしかないと言われたようだった。背を向けてまぶたを閉じるレオニスの、後頭部に生えた白髪を眺める。もう少し話がしたいと思ったが、ティナを気にかける素振りすら見せない。あきらめて、ティナはゆっくりと頭を下げると、寝室をあとにした。

 廊下からは、雪の積もる庭園が見えた。迎賓館の庭園よりも広く、立派な庭であるにも関わらず、どうしてか、ラスを思い出した。敵国の騎士がわざわざやってきて、交渉がうまく進んだと感謝を伝えてきたぐらいなのだから、よほど、セレバルは良くない条件を飲まされたのだろう。

 本当にもう、取り返しのつかないことをしてしまった──。

 苦しくなる胸を押さえたとき、正面から華やかなドレスを身にまとうセレスがやってくるのが見えた。カタリーナに罵られ、レオニスから見放されたティナを笑いに来たのだろうか。

 どんどん近づいてくるセレスから逃げるように階段へ足を踏み込んだとき、彼女は声をかけてきた。

「声、出るようになったって聞いたわ」
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