有能でイケメンクズな夫は今日も浮気に忙しい〜あら旦那様、もうお戻りですか?〜
四十二話〜美青年〜
扉から入ってきたのは短い赤毛とヘーゼル色の瞳を持つ細身の美青年だった。
「アンセイム、まだいたのか」
「もう少しゆっくりしたくてね」
「うちは、君の休憩所ではないんだが?」
二人の会話から察するに青年がこの診療所の主人だという事が分かる。ただ確かアンセイムは留守を頼まれていた筈だったのではと小首を傾げた。
外套を脱ぎながら近付いてきた青年と目が合ったのでエレノラは会釈をする。
「それでこのお嬢さんは君の逢い引き相手か何かか?」
「え⁉︎ 違います! 絶対に違います‼︎」
淡々と突拍子もない事を言われたエレノラは、慌てて訂正をする。
王太子の恋人と間違えられるなど、恐ろし過ぎる……。
確かアンセイムは結婚している筈だが、彼の場合恋人がいても浮気にはならない。何故ならこの国では国王と王太子だけは一夫多妻が認められているからだ。だからといってエレノラは一応結婚をしているし、仮に独身だとしても恐れ多い。
自分みたいな田舎娘と恋仲などと疑いを掛けられて、アンセイムが不快になっていなければいいが……。
恐る恐るアンセイムに視線を向けると、笑顔を浮かべてはいるが僅かに眉が下がって見える。これは微妙な所だ。怒ってはいないが、少し不快に感じているようにも見える。
「アンセイム、全力で拒否されているぞ、哀れだな」
青年は含み笑いをする。
「はは、いや、参ったね……これは流石の僕もへこむ」
「あの申し訳ありません! 私、失礼な発言をしてしまいました……」
否定しても不敬、否定しなければ不敬……。どちらにしても不敬だ。正解は逃げ道はない! という事だ。人生って理不尽だとしみじみ思う。
「はは、面白い子だ。それで、このお嬢さんは何者なんだ?」
「彼女はユーリウスの奥方だよ」
「ユーリウスって君の側近の、あのブロンダン家の嫡男か。彼、結婚出来たのか、それは驚きだ」
青年は目を丸くするとエレノラを凝視する。
何だか既視感が凄くある。
まさかこの青年まで芋っぽいとでも言うつもりだろうか。
「ユーリウス・ブロンダンに何か弱みでも握られているのか?」
「え……」
深刻な面持ちで、とても冗談を言っているようには見えない。
意外な言葉に今度はエレノラが目を丸くした。
「知り合いに優秀な弁護士がいるから、紹介しようか? 裁判をするならブロンダン家は強敵だ。だがか弱い女性が困っているのを見過ごす事は出来ない」
(弁護士⁉︎ 裁判⁉︎)
不穏な単語にエレノラは焦る。
「い、いえ、結構です! 確かにユーリウス様とは政略結婚ですけど、弱みを握られているとかではありませんので!」
何だか色々すっ飛ばして急展開過ぎて理解が追いつかない。
寧ろ離縁されたら困るのはエレノラだ。何が何でも借金返済の為に! 挙式は挙げなくてはならないのに。
「まさか口止めをされているとかか? 人質を取られているなら」
「クロエ、少し落ち着いて。エレノラ嬢が困っているだろう」
アンセイムが制止し代わりに説明をしてくれたお陰で、青年ことクロエは納得をして椅子に座った。
てっきり先程のようにアンセイムがお茶を淹れてあげるものだと思い見守っているとクロエは自らお茶を淹れている。
不思議に思いながらチラリと横目でアンセイムを見れば目が合った。
「お代わりかい?」
「ありがとうございます……」
そうではなかったが、返事をする前にカップにはお茶が注がれた。
「君がお茶を淹れる所など初めて見るな」
「そうかい? 僕はこう見えて尽くすタイプなんだ」
「どの口が言っているんだ、呆れる。あれ、これはまた愛らしいお客さんだ」
お腹いっぱいになりテーブルの上でお腹を出して寝ているミルに気付いたクロエは、ハンカチを取り出すとそっと掛けてくれた。
「クロエ様、お気遣いありがとうございます。この子はミルといって私のペットなんです」
「なるほど、主人が愛らしいとペットも似るのか」
さらりとそんな風に言って穏やかに笑む姿は正に絵になり思わず見惚れてしまう。
「因みにクロエは女性だから、好きになってはダメだよ」
暫しぼうっとして眺めていると、アンセイムからの指摘に我に返った。
「え、女性ですか⁉︎ 申し訳ありません! 私てっきり男性とばかり……」
「はは、良く間違えられるから気にしていない」
「後、結婚していておしどり夫婦だから好きになっても可能性はないからね」
更に念押しされて目を丸くしていると、察したアンセイムが丁寧に説明をしてくれた。
「昔クロエは令嬢達からの人気が高く、クロエの為に婚約破棄した令嬢までいたくらいなんだ」
(婚約破棄⁉︎ でも、こんなに素敵な人ならちょっと分かるかも)
容姿端麗で初対面のエレノラを本気で心配してくれてミルにまで優しい。それに洗練された雰囲気の中に独特な魅力を感じる。
「エレノラ嬢には、もっと相応しい相手がいる」
まあ確かに書類上の夫がいる。だがアンセイムの物言いに釈然としない。
お前はユーリウスがお似合いだと言われている気がしてならない。
「どうせ私にはユーリウス様がお似合いです」
口を尖らせ拗ねたように言うと、二人は顔を見合わせ吹き出した。