有能でイケメンクズな夫は今日も浮気に忙しい〜あら旦那様、もうお戻りですか?〜
五十一話〜目覚めのキス〜
唇に何か温かい物が触れている……ーー
朦朧とする意識の中で感じた。
ユーリウスは重たい瞼をゆっくりと開けていくと視界には人の顔がボンヤリと映る。
「お目覚めですか?」
(エレノラ、か……?)
鈍る思考で声の主がエレノラだと認識をする。そして先程の温もりは彼女だったのかと少し気恥ずかしさを覚えつつ、らしくないと苦笑した。
「っ‼︎」
だが完全に目を開けるとそんな思いも全て吹き飛んだ。
何故なら確かにエレノラの声が聞こえるが、目の前にあるのはどう見てもスチュアートの顔だからだ。
(ま、まさか……私にキスをしていたのはーーっ‼︎)
瞬時に何が起きたのかを把握したユーリウスは叫び声を上げ再び意識を手放した。
「元気になったみたいで良かったです」
身体を起こしベッドで座るユーリウスの横でヘラヘラと笑う姿が実に憎たらしい。
あの後、小一時間程意識を失っていた。
そして再び目を覚ますとエレノラから事の詳細を聞かされた。
薬を飲ませようとしたが意識がなかったので、口移しで飲ませようと考えスチュアートに頼んだそうだ。その後暫くして熱は下がったが、意識が戻らないので念の為再び口移しで薬を飲ませた。その二回目の時にユーリウスは目を覚ましたという訳だ。
(私は……スチュアートのキスで、目を覚ましたのか……)
改めてそう考えると屈辱的で最悪な気分だ。
無論スチュアートには感謝すべきだと分かっている。だが今直ぐに、この事実を頭の中から抹消してしまいたい……。
「一応、聞いておくが、何故スチュアートに頼んだんだ」
「え、それは……」
すみれ色の瞳が揺れ動く様子に「恥ずかしかったんです」とでも言うのかと少し期待をするがーー
「なんか嫌で」
「……」
真顔で答える姿に怒りよりも雷に打たれたような衝撃を受けた。
(この私とキスするのが嫌だと⁉︎)
しかも理由は”なんか嫌”と曖昧なものだ。
それはつまり生理的に無理と言われているも同然だろう。
一晩だけでもいいから夜を共にしたいと懇願する女性が数多いるユーリウス・ブロンダンが、書類上とはいえ妻に生理的に拒絶されるなどそんな事があっていい筈がない! これは悪い夢だ、そうに違いない……。
暫しユーリウスは現実逃避をする。
「そんな事よりユーリウス様。こちらをお納め下さい」
「……なんだ」
そんな事と言われ苛っとするが、反射的に手渡された一枚の紙を受け取ってしまい仕方なく眼を通す。
「請求書です。先程ユーリウス様が意識を失っている間に作成しておきました」
「時間外労働手当に、看病料……」
どこの世界に夫へ看病代を請求する妻がいるんだと呆気に取られるが、百歩譲ってそれはいい。それよりも最後の部分が気になる。
「この破廉恥料とはなんだ」
「それは、ユーリウス様が私の許可なく手を握ったからです」
話によればどうやら眠っている間にエレノラの手を無意識に握ってしまっていたらしい。
いやだからどこの世界に夫に手を握られた料金を請求する妻がいるんだ⁉︎ と思わず言いたくなった。だがふと思う。
(それならお金を払えば手を握っても良いという事か? ……いや、私は別に芋娘の手など握りたい訳では)
「ユーリウス様」
今度は何だとエレノラを見ると真剣な眼差しで少し眉根を寄せていた。
「私の代わりにこんな事になってしまい申し訳ありませんでした」
意外な言葉に思わず目を見張る。
こんなにしおらしい姿を見るのは初めてだ。
「ありがとうございました」
優しい笑みを浮かべるエレノラに、どこかむず痒さを感じる。
色々と思う事はあるが、こんな風に笑みを向けて貰えるならどれも些末なことのように思えた。
「ユーリウス様、お食事はお召し上りになれますか?」
少しでも好感が得られるような返答を考えていると、タイミング悪くミルク粥を持ったスチュアートが部屋に入ってきた。
それを見て自分が空腹である事を自覚する。
だが今はそれどころではない。
「では私はこれで失礼します」
「あ……エレノラ」
部屋から出て行こうとするエレノラを思わず引き止めた。
彼女は振り返ると小首を傾げる。
「どうかされましたか?」
「いや、何でもない」
気の利いた言葉が思い付かず結局ユーリウスは諦め彼女を見送った。
残されたユーリウスは今は顔を合わせたくないスチュアートと二人ときりとなり、気不味い空気の中ミルク粥を黙々と食べた。