有能でイケメンクズな夫は今日も浮気に忙しい〜あら旦那様、もうお戻りですか?〜

五十六話〜空回り〜



 ユーリウスは仕事が終わると足早に馬車乗り場に直行する。
 馭者に急ぐように告げると馬車へ乗り込み懐中時計を確認して息を吐く。この分なら恐らくエレノラの帰宅時間に間に合うだろう。
 エレノラが帰宅後直ぐに畑に向かう事は調査済みだと鼻を鳴らす。だがそれと同時に冷静になる。
 
「私は一体、何をしているんだ」

 たかが食事に誘うだけで、ここまでする理由などないだろう。
 だが屋敷内でエレノラと顔を合わせる機会はそうはない。だからといってわざわざ部屋を訪ねるなどユーリウスの自尊心が許さない。
 スチュアートに言伝を頼む事も考えたが、人伝に誘うなど男として情けなさ過ぎる。故にこれは不可抗力だ。仕方がない。

「たまには一緒に食事でもしないか? ……いや、ダメだ」

 そもそもこれまでエレノラと食事をしたのは店に連れて行った時の一度きりだ。
 たまにはでは変だろう。それならばーー

「これから食事にするが、君も一緒にどうだ? ……まあ悪くはないだろう」

 ただ一つ気を付ける事がある。それはワザとらしくならないようにする事だ。ごく自然にスマートに誘わなくては格好がつかない。
 

 そうこうしている内に馬車は屋敷に到着をした。
 離れの門を潜り、庭へと視線を向ける。
 するとそこにエレノラの姿を見つけ、胸を撫で下ろす。
 ユーリウスは髪や服装が乱れていないか瞬時に確認をすると一歩足を踏み出すが、そのまま固まった。何故なら足がこれ以上動かないからだ。

(この私が緊張しているというのか……? しかも相手はあの芋娘だ、あり得ないだろう⁉︎ )

 国王の前ですら臆する事はなく堂々とした振る舞いをする有能かつ肝の据わった男だ。こんな些末な事で尻込みするなどあってはならない。
 
(そうだ、臆する事などない。これまでは向こうのペースに乗せられる事もあったが、それは私が手加減してやっていただけだ。あんな芋娘など、私が本気を出せば恐れるになりない)

 ユーリウスは背筋を正し颯爽と歩き出した。





「あらユーリウス様、もうお戻りですか?」

「あ、ああ……」

 そんな風に意気込んでいたが、いざエレノラを目の前にすると上手く言葉が出てこない。
 今帰った、そのたった一言すら言えず、こちらに背を向け畑を眺めているエレノラを呆然と見つめるしか出来ない自分が情け無く思えた。

 結局、その日は誘う事が出来ず断念をした。
 だがその翌朝、普段よりも少し余裕を持って準備を終えるとユーリウスは庭へと向かうべく廊下を颯爽と歩いていた。
 
(昨日は仕事終わりで少し疲れていただけだ)

 
「おはようございます」

「あ、ああ……」

 庭へ出るとこちらに気付いエレノラに声を掛けられるが、またもや上手く言葉が出てこない。
 おかしい、こんな筈ではなかった。
 
(やはり、いやまさか、この私、ユーリウス・ブロンダンがこの芋娘如きに臆しているというのか⁉︎)

「……あの」

 暫し意識を飛ばしていると、気付けばエレノラは振り返りこちらを訝しげに見ていた。

「なんだ」

「お時間、大丈夫ですか? 遅刻しますよ」

「っ」

 その言葉に慌てて懐中時計を確認する。そしてそのまま踵を返した。

「いってらっしゃいませ」

 不意に背中越しに掛けられた言葉に、思わず頬が緩んでしまう。

 ”いってらっしゃいませ”これまで使用人達から幾度となく掛けられてきた陳腐な言葉だ。だが彼女から言われると凄く新鮮で、心に沁みるように感じる。

(存外、悪くない……)


 それから毎日、ユーリウスは朝夕と庭へと通った。
 朝は彼女からいってらっしゃいませの言葉を聞きたくて、夕は彼女を食事に誘う為にーー


「風邪ですか?」

「……」

 上手く言葉に出来ないもどかしさから無意識に咳払いを繰り返していると、そんな風に言われた。
 なんて鈍い芋なんだ! と若干苛っとしたが、心配してくれているかも知れないと思い直すと悪い気もしない。


 また別の日ーー

「おはようございます」

「あ、ああ……」

 今日もまた上手く挨拶が出来なかったと落胆しながら、畑に水を遣るエレノラの背中をぼんやりと眺めていた。
 彼女の手元には何の変哲もない銅製のジョウロが握られている。それを見て先日、オーダーしたジョウロを思い出す。
 実は以前、フラヴィから助言を受けたジョウロをエレノラに贈ろうと考えている。無論あんな陳腐な物ではなく、純金製の特注のジョウロだ。
 彼女に贈る事を想像し「ユーリウス様、ありがとうございます! とっても嬉しいです! 私、幸せです!」と頬を赤らめ喜ぶ姿が脳裏に浮かび思わず頬が緩みそうになる。

「……あの、何かご用ですか?」

 そんな事を考えていると、いつの間にか振り返り訝しげにエレノラがこちらを見ていた。

「私は散歩をしているだけだ」

 当初いい口実が見つからなかったが、これなら不自然ではないだろう。我ながらいい考えだと鼻を鳴らす。

「そろそろ出仕の時間だ」

 さりげなくそんな事を口にする。
 鈍い芋娘はわざわざ言ってやらないと分からないからだ。
 だが何の反応もなく、焦りながら咳払いでアピールするとようやく「いってらっしゃいませ」と言って貰えた。
 全く世話の焼ける妻だ。

 
 その日の夕刻ーー

「あらユーリウス様、もうお戻りですか?」

「あ、ああ……」

 急いで帰宅すると、庭にエレノラの姿を見つけ今日もまた間に合ったと胸を撫で下ろす。
 朝とは違い、何をするでもなく畑をただ眺める彼女の後ろ姿をユーリウスは眺める。

「……」

「……」

 そして今日こそは食事に誘うと意気込んだ。
 
「そ、そろそろ、お腹が空いてきたな」

 ようやく言えたと内心ユーリウスは喜びに打ち震えた。
 そして後はエレノラが「私もお腹が空きました」と言って「私はこれから食事にするが、君も一緒にどうだ?」と言うだけだ。

「私はまだ空いていませんので、お先にどうぞ」

 だが予想外の返答に雷に撃たれたような衝撃を受けた。

(何故、そうなる⁉︎ これだから田舎者は嫌いなんだ! いや、これは言葉の綾で本当は嫌いとかでは……。兎に角、何故この私がここまでしなくてはならない⁉︎ 普通ならば女性側から食事なり閨なり懇願してくるというのに……。そうだ、この芋娘は私とのキスすら拒否してきた……)
 
『なんか嫌で』

 不意にあの時の屈辱を思い出してしまい、傷が抉られた。

「い、い……」

「ユーリウス様?」

 小首を傾げてこちらを見ている鈍感なエレノラに苛立ちが募る。
 だが苛立ちながらも可愛いなどと思ってしまう自分がいる。
 以前からそれなりに身なりを整えれば悪くはないと思っていたが、今はいつも通り芋っぽいだけだ。なのに何故可愛く見えるんだ⁉︎ と内心悶絶する。

「芋娘の癖に生意気だっ」

 これ以上この場にいたらおかしくなってしまいそうだとユーリウスは逃げるように立ち去った。

 
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