有能でイケメンクズな夫は今日も浮気に忙しい〜あら旦那様、もうお戻りですか?〜
七十話〜決断〜
十日前ーー
ユーリウスはセルジュから言われた言葉を受け、ショックの余り酒を飲み過ぎた。
その後屋敷に戻りエレノラに介抱して貰った記憶が朧げにある。翌朝二日酔いで気分が悪い中、彼女へ謝礼を渡し暫く街へ行かないと告げた。
このまま続けていればこの関係から抜け出せなくなると危機感を抱いたからだ。
ただどうすればエレノラと本当の夫婦になれるかが分からない。
街へ一緒に出掛けるようになり、今までより接する時間は格段に増えた。ぎこちない会話は今では自然となり彼女は時折り笑顔を見せてくれるようにもなった。だがそれ等は全て無意味だった。寧ろ悪手だったかも知れないと後悔すらしている。
エレノラは報酬がなければユーリウスの為には何もしてはくれないだろう。
彼女にはユーリウスの容姿も肩書きも通用せず、彼女にとっての自分はお金しか価値がない存在ーーそれが現実だ。
「これは私の知人の話だが、どうやら夫婦関係が上手くいっていないらしく悩んでいるらしい。彼は妻に余り好かれていないようだ。どうすればいい?」
数日、一人思い悩んだが答えは出なかった。お陰で連日寝不足だ。
そんなある朝、身支度を整えながらそれとなくスチュアートに意見を求めてみた。
「左様ですか。私は未婚ですから参考になるかは分かりませんが、大切な事は誠実さと思いやる気持ちかと思います」
「誠実さと思いやる気持ちか……」
「結婚しているにも関わらず、他所の女性にかまけているようなボンクラ夫では妻に嫌われて当然です」
「なっ、スチュアート、それは流石に言い過ぎじゃないか⁉︎」
「失礼致しました。ですが知人のお話なのでは……」
「あ、ああ、そうだ。ただ私の知人を見下すような発言は容認出来ない」
訝しげな視線を向けられ、咳払いをしてどうにかやり過ごした。
その数日後ーー
ユーリウスはフラヴィをいつもの屋敷に呼び出した。
「何度手紙を出してもお返事を頂けなくて心配しましたわ。わざわざお城に出向いてもユーリウス様とは会う事が出来ませんでしたし。他の方々もどうかされたのかと心配してーー」
フラヴィと顔を合わせるのはかなり久々だ
あのお茶会以降会う事もなく、手紙も見舞い状に返事を出したきりで、彼女から送ってきても返事をせずにいた。
城まで訪ねてきていた事も知ってはいたが、取り継がないように言っておいた。
その理由は単純で、会う気になれなかったそれだけだ。
「フラヴィ、今日は話がある」
ソファーに座っているユーリウスに甘えるように擦り寄ってくるフラヴィを押し戻した。すると彼女は不満気に頬を膨らます。
「お話は後に致しましょう? それより私は早くユーリウス様の温もりを感じたいですわ」
「フラヴィ、座ってくれ」
しつこく食い下がってくるが、いつになく深刻な面持ちのユーリウスに暫くして彼女は諦め向かい側へと腰を下ろした。
「それでお話とは何ですの?」
「単刀直入に言う。君との関係を終わりにしたい」
「っ‼︎ 」
その瞬間、彼女は目を見開き言葉にならない声を洩らす。
「無論、君とだけでなく他の女性とも関係を終わりにする」
「と、突然どうされたのですか⁉︎ もしかしてお芋様に何か言われたのですか⁉︎」
フラヴィは興奮した様子で立ち上がり、声を荒げながらテーブルに勢いよく両手をつく。
長年一緒に過ごしてきたが、こんなにも取り乱す彼女は初めて見た。
「そうじゃない、私が自分で決めた事だ」
真っ直ぐにフラヴィを見据える。
すると彼女は放心した様子でソファーに座り直した。
「……理由を、お伺いしても宜しいですか?」
「今更だが、エレノラと向き合いたいと思ったんだ。その為には誠実でなくてはならない」
「ーー」
ユーリウスの言葉にフラヴィは俯き両手でスカートを握り締める。まるでショックでも受けているかのようなその姿に眉根を寄せた。
これまでお互いに都合の良い関係だと思っていた。自分達はそれ以上でもそれ以下でもない。故に意外だった。
「……です」
「フラヴィ?」
「そんな事、嫌ですわ‼︎ どうしてですの⁉︎ あんなに芋娘だと仰って嫌がられていたじゃないですか⁉︎ あんな芋娘なら私の方がユーリウス様に相応しい筈ですわ! いっそ私がユーリウス様の妻に」
「君は以前、それを拒否した筈だ」
「そ、それはっ……ですが納得など出来ません! いいえ、そうだわ、そうに違いありませんわ。ユーリウス様は私を試されていらっしゃるんですね⁉︎」
「試す?」
「それしか考えられませんわ。あの芋娘と別れて私と結婚なさりたくてそのような事を仰るのでしょう? 分かりました、私の負けですわ。随分と遠回りしてしまいましたが、私達、結婚致しましょう」
目尻を吊り上げ怒りを露わにしたかと思えば、今度は目を細め微笑みを浮かべる。その笑みが醜く歪んで見えた。
昔からの付き合いだが、こんな顔をした彼女は初めて見た。そんな風に思うのに、いつもと変わらないようにも思える。
そもそもいつも彼女はどんな顔をしていただろうか……?
記憶を辿ってもよく思い出せなかった。
「正直、これまでは君のような女性が妻として相応しいと考えていた」
「ユーリウス様……」
その言葉にフラヴィの笑みは深まるが、ユーリウスの次の言葉にその表情は苦悶に変わった。
「だが今は微塵も思わない。私はエレノラが妻で良かったと思っている。私は、彼女の夫の立場を手放したくない。私は彼女を」
「嫌! やめてっ、やめて下さい‼︎ そんな言葉は聞きたくありませんわっ‼︎」
フラヴィは再び立ち上がると、今度は扉へと向かいドアノブに手を掛けた。
「フラヴィ」
「‼︎」
その瞬間、名前を呼ぶと彼女は即座に振り返りこちらを見る。そしてその顔は期待に満ちたものだった。
「これからは、私の妻を侮辱する発言は控えて欲しい」
「っ‼︎」
顔を真っ赤にして揺れる緑の瞳がこちらを睨み付けてくる。
「貴方が私だけを愛してくれていたなら、私だってこんな風になりませんでしたわっ‼︎‼︎」
部屋に彼女の甲高い声が響き渡る。
これまでフラヴィの鈴を転がしたように笑う声やお淑やかに話す姿は、貴族の令嬢らしく好感の持てるものだった。だが今はフラヴィには嫌悪感すら覚えた。そして思った。
私を捨てたあの人によく似ているとーー
「……フラヴィ、私は君を愛した事は一度もない。無論他の女性も同様に」
「っーー」
そんな事は当然だと必要性を感じずわざわざ口に出す事はなかった。何故なら彼女達も自分と同じだとずっと考えていた。
一瞬だけの快楽を与え合う存在、虚しさを埋め合う存在でありそこに愛情も恋情も存在などはしない。
「そんな事、うそ……」
「嘘じゃない。私はこれまで誰かを愛した事が一度もない。愛そうと思っても愛せなかった。君達だって、私を愛してなどいないだろう」
「いいえ、私はユーリウス様を心からお慕いしておりますわ」
「そういうのをなんというか知っているか? 戯言だ。君は私を愛してなどいない。君は私の容姿や肩書きに惹かれていただけだ。私もそうだったから分かる。君達を容姿や肩書きだけで判断していた」
「そ、それならエレノラ様も同じですわ‼︎ あの方はユーリウス様の事をお金でしか」
「そんな事、君などに言われずとも知っている。だから都合が良いとは分かっているが、一からやり直したいんだ。一人の男として、いや一人の人間として見て貰う為にも彼女と誠実に向き合う必要がある。正直、私が誰かを愛せるかは分からないが、それでもエレノラを愛したい。私は彼女から愛されたい」
「っーー」
今にもこぼれ落ちそうな涙を堪えながらフラヴィは静かに部屋を出て行った。
そしてユーリウスは、その翌日には愛人全員にこれまでの関係を解消する趣旨を書いた手紙を出した。