有能でイケメンクズな夫は今日も浮気に忙しい〜あら旦那様、もうお戻りですか?〜
七十一話〜苦悩〜
それから数日後の今朝ーー
いつも通りユーリウスは出仕し執務室で仕事をしていた。するとブロンダン家からの使いがやってきて「フラヴィ・ドニエ様が屋敷にいらして騒いでおります」と耳打ちをされた。
「ユーリウス、何か急用か?」
「はい。つきましては、早退の許可を頂きたいのですが」
「そうか、分かった。今日は帰るといい」
「ありがとうございます」
本来は明確な理由を述べるべきだが、内容が内容だけにアンセイムには知られたくない。理由を聞かれたら適当に言い繕うつもりだったが、意外にもあっさり承諾を貰えた。
(一体どういうつもりだ⁉︎ まさかエレノラに何かするつもりか⁉︎)
恐らくユーリウスが不在である事を知りながらフラヴィは乗り込んできたに違いない。そしてその目的はエレノラであり、先日の腹いせの可能性が高いだろう。
執務室を出たユーリウスは、城内の廊下を走った。あり得ない事をしている自覚はあるが、速度を落とすつもりは微塵もなかった。
暫く社交界で噂の的になるだろうが今はそんな事はどうでもいい。
息を切らしながら外へ出ると馬車に乗り込み急ぎ屋敷へと向かった。
ユーリウスが屋敷に到着をした時には既にフラヴィの姿はなかったが、兎に角エレノラの元へ急いだ。そして勢いよく応接室の扉を開けると、目の前には信じられない光景が広がっていた。
エレノラは侍女に頭を掴まれ氷水に無理やり顔を入れられそうになっている。しかも彼女の左頬は赤く腫れ上がっていた……。
その瞬間、自分の知らない所でまさか使用人達に虐めを受けていたのかと頭が真っ白になり、自制が効かず生まれて初めて人を殴ろうとした。だがーー
「全ての責任はユーリウス様にあります。ですから殴るなら、どうぞご自分を‼︎」
何故かエレノラからはそうのように言われた。
冷静になり取り敢えず座って彼女から事の顛末を聞き激しい怒りが込み上げる。それはフラヴィに対するものと自分自身へ向けたものだ。
いくら納得がいかず腹が立ったとはいえ、まさかエレノラにその矛先を向けるとは思わなかった。見通しが甘過ぎた自分が腹立たしくて仕方がない。
今直ぐにフラヴィを問いただしたい気持ちはあるが、先にすべき事がある。
「私を殴ってくれ」
彼女のいうように先ずは愚かな自分を殴らなくてはならない。ただ不慣れな自分では無意識に手加減をしてしまう可能性が高い。それでは意味がない。
また本来は被害者であるエレノラに殴られて然るべきだが、慈悲深い彼女は胸を痛ませるに違いない。それならば彼女の大切にしているミルに代役をと思った。結果ーーミルは見事に成功を収めた。
「そういえば、ユーリウス様は私と離縁されたいんですか?」
そんな中、エレノラはさらりととんでもない事を言い出した。
慌てふためきながらハッキリ否定をすると、どうにか理解して貰えた様子に胸を撫で下ろす。心臓に悪い……。
「それで、フラヴィ様とは一体何があったんですか?」
本当は方がついた後に話すつもりだったが、こんな事になった以上説明しない訳にはいかないだろうと、ユーリウスは数日前にフラヴィとの間に何があったかを話した。ただエレノラとの話は平行線だったーー
「彼女達のこれまでの振る舞いは決して褒められたものではなく、正直自己責任です。ですがユーリウス様の責任も同等に、いえそれ以上に大きいと思います。私は嫁いできてまだ半年程なので、ユーリウス様やフラヴィ様方との実際の関係がどのようなものなのかはよく分かりません。ですが必要としなくなったらお金を渡してそれで終わりにするのは余りにも酷です」
エレノラの話している意味がユーリウスには理解が出来なかった。
そもそも本気で夫の愛人達の今後の事まで心配をしている彼女が信じられない。しかもつい先程その愛人の一人に頬を叩かれたというのに……。
「……君が言っている事が理解出来ない。フラヴィや他の女性達も、向こうから私と身体だけの関係を望んできたんだ。私はただそれに応じていただけだ。会う時も私から誘った事など一度もない。私はただ女性を抱きたかった、彼女達はユーリウス・ブロンダンという価値ある男に抱かれたかったそれだけだろう。そこに愛などはなく、謂わば利害の一致だ。互いに不要になれば終わる希薄な関係に過ぎない」
ユーリウスは淡々と事実を述べた。だが彼女は困惑した顔をして何か言いたげにこちらを見る。真っ直ぐなすみれ色の瞳が、まるでユーリウスを責めているように感じた。
「っーー頭を冷やす」
「ユーリウス様⁉︎」
耐えきれなくなったユーリウスはエレノラを一人残し部屋を出た。
「ミル……」
応接間の部屋の前で侍女の手に乗せられているミルと出会した。
「こちらで待たれたそうにされたおりましたので」
どうやらエレノラが心配だったらしい。
生意気だが飼い主思いのモモンガだ。
それに先程の蹴りはかなりの威力だった。お陰で、ユーリウスの右頬は絵に描いたように腫れ上がっている。
手加減しない所が憎たらしくもあり、中々見込みがありそうだとも思う。
シュウ!
「なっ……」
そんな風に考えていると突如ミルがユーリウス目掛けて飛び上がり、肩に乗ってきた。
「何をしているんだ、降りろ」
最近はミルからの好感度を上げようと必死に努力していたが、流石に今はそんな気分にはなれない。
そう思いながら肩からミルを降ろそうとするが、ピッタリと貼り付き取れない……。
「降りろ」
シュウ。
「降りるんだ」
シュウ。
「降りてくれ……」
……。
全く言う事を聞かないミルにユーリウスはため息を吐く。これ以上争う気力もない。
「エレノラに、暫くミルを借りると伝えておいてくれ」
「か、かりこまりました」
困惑している侍女にそれだけ告げると踵を返し外へと向かった。
頭を冷やす為に外出でもしようと馬車へ向かったのはいいが、外に出て足を止めた。
右頬がズキズキと痛むのを感じる。
こんな顔では流石に外出は出来ないと思い直し、仕方なく方向転換した。
「……雑草ばかりだな」
シュウ?
結局自室に戻る気分にもなれず、かといって外出も出来ないので庭へとやってきた。
畑の前に蹲み込み呆然と眺める。
ふとエレノラが嬉々として耕していた事を思い出す。あれから二ヶ月、畑には雑草が青々と生い茂っている。
手入れの行き届いた洗練された空間に、突如現れた生命力溢れる雑草軍団。
不釣り合いでおかしいと思うのに、悪くないと思う自分がいる。
それに、その逞しさが彼女みたいだと少し笑えた。
シュウ!
「どうした」
何を思ったかミルは畑から雑草を一本引き抜くとユーリウスに差し出してくる。
「なんだ、くれるのか?」
シュウ!
言葉は分からないが、まるで慰めて貰っている気分になった。
シュウ、シュウ!
「は? ……まさかこれを私に食べろと言っているのか?」
シュウ〜!
どう見ても雑草にしか見えないそれを、食べるように要求してくるモモンガ。
あり得ない、何かの罠か⁉︎ と思うが、ここで頭ごなしに突っぱねれば好感度が上がる所かマイナスになリ兼ねない。
ふと確か動物について書かれた本に、稀に木の実や虫などの贈り物をする習性がある動物がいるとあった事を思い出す。
シュウ……。
雑草を手に考えあぐねていると、ミルはしゅんとなり落ち込んでしまった。
「わ、分かった、今、食べからそんな顔をするな!」
自棄になり一気に雑草を口に押し込んだ。
「ーーんっ⁉︎」
すると、とてつもなく苦かった。余りの苦さに目を見開き固まると口から吐き出してしうまう。
シュウ〜! シュウ〜!
そんな中、ミルはといえば楽しそうに笑っているように見え、その様子に一気に怒りが込み上げてくる。揶揄われたのだと理解した。
(このネズミっ、いやモモンガか……いや今はそんな事はどうでもいい! それより先程のは演技か⁉︎)
「ミルっ!」
シュウ?
「あ、いや、何でもない……」
流石に我慢ならず説教をしようとしたが、不意に先程のエレノラの顔が浮かび口を噤み項垂れた。
自分なりに考えた結果だったが、彼女は快く思わなかったみたいだ。
「ミル……。私はどうすればいい?」
シュウ?
モモンガに相談するなど遂に自分は頭がおかしくなってしまったと大きなため息を吐いた。