有能でイケメンクズな夫は今日も浮気に忙しい〜あら旦那様、もうお戻りですか?〜
七十四話〜夫婦の対話〜
ユーリウスは畑の前で蹲み込み、ミルに散々話を聞いて貰った。
相手はモモンガだ。何を言ったところで理解などしてくれる筈はない。だが意外にもミルは地面に座り込むと、真っ直ぐにこちらを見て大人しく話をきいてくれていた。時々「シュウ、シュウ」と頷いてくれ、まるで本当に相談に乗って貰っている気分にすらなる。
特に何かが解決した訳ではないが、不思議と少し気持ちが軽くなった。
「ミル、世話を掛けたな」
シュウ〜〜。
気が済むまで話し終えたユーリウスはミルに礼を言う。するとミルはまるで「苦しゅうない」とでも言っているように見えた。普段ならば苛つくところだが、今は可愛く思える。
「今度礼をする」
シュウ!
ミルを手のひらに乗せ、ユーリウスはエレノラの部屋へと向かった。
「ミル、お帰りなさい」
シュウ!
エレノラの差し出した手にミルは嬉しそうに飛び乗る。その様子に少し羨ましく感じた。
自分も彼女を抱き締める事が出来るならどんなにいいか……。つまらない妄想が頭を過ぎった。
「ミルを送って頂いてありがとうございます」
「あ、いや……。用は済んだので私は戻る」
エレノラの声に我に返り、慌てて踵を返す。彼女の前だとどうしてこうも格好がつかないのだろうか。
醜態を晒さない内にさっさと立ち去ろうとするが、エレノラから「あのユーリウス様、少しお話しませんか?」と言われ足を止めた。
「ユーリウス様、座って下さい」
「あ、ああ……」
部屋に入り椅子を勧められ座ると、彼女の方はベッドに腰掛けた。
男を部屋に招き入れ更にベッドに座るなど危機感がなさ過ぎるだろう⁉︎ と思ったが、いや自分は夫なのだからこれくらいの事で動揺するなどおかしいだろうと懸命に気持ちを落ち着かせる。
「ユーリウス様」
「な、なんだ」
そんな事を考えている側から、名前を呼ばれただけで緊張のあまり少し声が上擦ってしまう。情けない……。
「私の事、どれくらいご存知ですか?」
「は?」
「ですから私の事をどれくらい」
「言い直さなくても聞こえている。そうではなく、何故そんな事を聞くんだ」
「書類上とはいえ一応夫婦ですから、お互いの事をもう少し知っておいてもいいんじゃないかなと思いまして」
「……」
てっきり先程の話の続きかと身構えていたが、エレノラは意外な事を口にした。
突然どうしたというのか。
これまで彼女からそんな事を言われた事は一度たりともない。
(まさかこの私を懐柔しようとでもしているのか? 妻の尻に敷かれる夫か……それも悪くないかもしれないな)
小さなため息と共に笑みが溢れた。
そもそも彼女と価値観が違う事は明らかだ。そんな二人が話し合ったところで、いつになっても話は平行線のままだろう。解決策は一つだ、それは歩み寄るしかない。
「エレノラ・フェーベル。フェーベル伯爵家の長子、十七歳。家族構成は父親、弟二人、母親は他界している。フェーベル家の領地であるユタンはグラニエ国の南西部に位置し、主な収入源は農産業で小麦が上位にくる。気候も安定しており作物を育てるのに適した環境だろう。足を運んだ事はないが、かなりの田舎だと聞いている」
淡々と話すと目を丸くする彼女に内心得意気になる。
書類上の夫とはいえ、流石にこれくらいの情報は頭に入っていて当然だ。
「他には何かありますか?」
「後はそうだな……誰に対しても優しく、公平さを持っている。前向きで逞しく、目的の為なら努力を惜しまない。それに笑顔が愛らしい」
調子に乗ったユーリウスはつい口が滑り本音がダダ漏れた。
「え……あ、あのっ」
エレノラを見ればかなり動揺している。
少し頬を赤らめている彼女を見て、なんだかこっちまで恥ずかしくなってきた。
(私は事実しか言っていないんだ。恥ずかしがる必要などない。それに夫が妻を褒めて何が悪い)
そんな中、エレノラがこちらをじっくりと頭のてっぺんからつま先まで見てくる。
「なんだ」
「もしかして、何か変な物でも召し上がりましたか⁉︎」
「は? なんの話だ」
「そうじゃないとおかしいんです! ユーリウス様が私を褒めるなんて、天地がひっくり返ってもあり得ません‼︎」
流石に言い過ぎだろう……と内心少しショックを受ける。
褒めただけでここまで言われるなど、エレノラの中の自分は相当冷淡な人間だと思われているに違いない。まあ否定はしないが。
「おかしいもなにも、私はただ事実を述べただけだ。悪いのか?」
「い、いえ、悪くはないですけど……」
「それでどうなんだ」
「え……」
「他にもあるんだろう? 私の知らない君の事を聞かせてくれないのか?」
彼女は少し困り顔となり言葉を詰まらせた。
何を言ってもいつも淡々と言い返してくるのに珍しい。
(本当に、可愛いな……)
先程も顔を赤らめていたし、いつもと違う彼女に胸が高鳴るのを感じた。
「私の生家であるフェーベル家はとても貧乏で、使用人を数人雇うだけで精一杯なんです。毎日家族にご飯を食べさせるのがやっとで、お茶会もたまにしか出来ず甘い物も中々食べられませんでした」
躊躇いながらも、真っ直ぐにユーリウスを見据えながらエレノラは話し始めた。
「何故そこまで困窮しているんだ? ユタンは作物の発育も良く広さもある。それなりの収入が見込める筈だ」
確か彼女はそれなりのお金を支払う約束でブロンダン家に嫁いできたと聞いている。ただ些か疑問ではあった。
フェーベル家の領地ユタンは、ど田舎だが十分な広さもあり気候など環境も悪くなく作物の栽培も問題ない筈だ。その事から収益もそれなりにあると考えられる。それなのにも拘らず、そこまで困窮する理由が分からない。
「父がお人好しで、収入の半分を毎月教会に寄付したり貧しい人々に使ってしまうので足らないんです。それに、父がたまに人に騙されたりもするので……」
ふと遠い目をするエレノラを呆然と見る。
何を言われたのか理解が追いつかない。
(収入の半分を寄付などに使う? 一体なんの冗談だ……)
そもそも収入と言っても全て懐に入る訳ではない。領地の管理費から屋敷の維持費、使用人への給金なども必要となる。他にも食費やら雑費、エレノラを含めた子供達への教育費諸々、更に年頃の娘がいるなら身なりを整える為にドレス代などが掛かる。
以前見た情報を元にフェーベル家のおよその収益を頭の中で簡単に算出してみるが、それ等を収入の半分で賄うのは無理があるだろう。あり得ない。
「なので昔から森で薬草を採って売ったり、近隣の侯爵家で家庭教師をさせて貰いどうにか凌いできたんです。出来るだけ弟達には苦労を掛けたくなくて……」
一人で山に雑草を採りに行ったり、落ちたパンを拾って食べようとしたり、残飯を持ち帰ろうとしたりと理解し難い奇行の数々の意味が今ようやく分かった気がした。
それ等を見て奇人だと見下していた自分が恥ずかしくなる。それと同時に怒りも込み上げてきた。
「それは君がすべき事ではないだろう。伯爵は何を考えているんだ⁉︎ 支援は身を削ってまでするものではない。どうかしている」
少し感情的になり声を荒げてしまう。
するとエレノラはゆっくりと首を横に振った。
「母が私が五歳の時に亡くなってから、私がずっと弟達の母親代わりをしてきたので仕方がないんです。父は余り頼りにならないですし。それになにより家族が大切なので」
普通ならばこんな話をしているのだから悲壮感が漂っていてもおかしくないが、エレノラは何となしに笑ってそんな風に言った。
その事が余計に苛立ちを募らせた。
彼女は自らを犠牲にする事に躊躇いも疑念すら抱いていない。
「まさかそれで私に嫁いできたのか?」
「いえ、実は私が嫁ぐ少し前に父が知人の借金の保証人になって逃げられてしまったので、それを返済する為に……。公爵様から聞いていませんか?」
聞いているだけで頭痛がしてきた。
収入の半分を身勝手に寄付して家族を困窮させているだけでもあり得ない状況だが、更に借金の肩代わりに嫁いできたとは信じられない。それでは政略結婚ではなくただの身売りだ。
お人好しかどうかは知らないが、尻拭いを全て娘一人にさせているなど最低だ。それでも親なのか。
「いや、初耳だ。それに私は……父とは余り顔を合わせないんだ。なので詳しくは聞かされていない」
最後に顔を合わせたのはいつだったか……。
ブロンダン家で開かれた夜会の後、屋敷に帰るように説教を受けた時だったかも知れない。まあお互いに興味などないので仕方がない。
「そうなんですね……。では私のお話はここまです。次はユーリウス様の番ですよ」
「待て、まだ君の話が途中だろう。今のままでは」
「今はお互いを知るためにお話をしているのあって、解決策などを話し合いたい訳ではありません。ですから次はユーリウス様です」
別に話すとは一言も言っていないのに、当然のように言われ思わず肩をすくめた。
ただ真っ直ぐに見つめてくるこのすみれ色の瞳からは逃れられる気はしない。
「良いだろう。私はーー」
今度はユーリウスが自分の事を話しはじめた。