有能でイケメンクズな夫は今日も浮気に忙しい〜あら旦那様、もうお戻りですか?〜
七十七話〜同情〜
「ーーそれから父は愛人だったロベルトの母親と再婚して、なっ、何故泣いているんだ⁉︎」
「え……」
エレノラは慌てているユーリウスの声で自分が涙を流している事に気が付いた。
そっと目元へ触れると濡れており驚いて指で拭おうとする。だがーー
「ユーリウス様⁉︎ 何をするんですか⁉︎」
いつの間にか目の前に立っているユーリウスに手を掴まれ制止させられた。
「擦るな。頬だけじゃなく、目まで腫れるぞ。拭うならこれを使え」
「あ、ありがとうございます……」
ポケットから取り出したハンカチを差し出され受け取るが、驚いた拍子に涙は止まっていた。
「あの……」
「なんだ」
「どうして隣に座られるんですか」
ユーリウスは椅子に戻らず何故かエレノラの隣に座った。肩が触れそうな程の距離なので少し気不味い。
「あ、いや、すまない……」
指摘されしゅんとしながら立ち上がろうとするので、思わず彼の袖を掴んだ。すると目を丸くしてこちらを見る。
「そのままで良いですよ」
「……それなら料金は後で」
「払わなくて良いです」
「は? それは、どういう……」
「ですから無料です」
余程驚いたのか訝しげな顔をしながら口を半開きにさせて固まっている。その姿が面白過ぎて思わず笑ってしまった。
「夫婦なら隣に座るなんて普通ですから」
「そ、そうか……そうだな」
落ち着かない様子で座り直すユーリウスの顔は今度はどこか照れているように見える。
そんな中、不意に彼の手がベッドに手を付いているエレノラのそれに触れてきた。
「ユーリウス様、余り調子に乗らないで下さいね?」
「痛っ‼︎」
腫れ上がっている右頬を人差し指で軽く突っついてやると小さな悲鳴が上がった。
「それで何故、泣いていたんだ」
「……分かりません、気付いたら涙が溢れていました」
人一人分空けて隣に座るユーリウスは怪訝な顔をする。ただ本当に分からないものは分からない。彼から指摘を受けるまで自分が泣いている事に本当に気付かなかった。
ただ悲しかったのだと思う。
淡々と他人事のように話しているのに、ユーリウスからは淋しさや悲しみ、苦しさが伝わってきた。だが本人はその事に気付いていないーー恐らく彼は自分自身が傷付いている事を理解していないのかも知れない。それが余計に悲しく思えた。
今もまだ胸の奥が苦しい。
そんな風に思う一方で、それでも彼を全肯定する事は出来ないと思う自分は冷たい人間なのかも知れない。
どんな事情があるにせよ、ユーリウスのこれまでの行いはクズだ。それは紛れもない事実であり変えることは出来ない。
例えば他の人間が彼と同じ立場になったとしても、皆が皆彼と同じようになる訳ではないだろう。
そう考えると、やはりユーリウス自身の責任は少なくはない。だがそうなってしまった事も理解出来るから苦しい。
「すみません、決して哀れみとかではないんです。ただ、もしその時に知り合えていたなら、私がユーリウス様の友人になって「一人じゃないよ」って言ってあげたかったなと考えていて、それで気付いたら涙が出ていたみたいです」
そう否定しながらも、結局同情している事に違いないと自己嫌悪する。
エレノラは同情をするのもされるのも好きではない。例え純粋な善意であろとう、勝手に価値観を押し付けたり押し付けられているようで嫌だ。どちらの立場でもあったからこそ余計にそう感じてしまう。
申し訳ないと思い俯いた。
「私は同情されるのは好かない。またその逆も然りだ」
まるでエレノラの心情を理解しているかのような言葉に反射的に顔を上げた。すると目が合った彼は笑っていた。
「だが君には許す。不思議と悪い気はしないんだ。それにあの時の私に言ってやって欲しいと思う。まあそうは言っても当時君はまだ二歳だがな」
「あ、確かにそうですね」
彼は茶化すように言う。
普段余り笑わないユーリウスは、笑う時はいつも人形のように綺麗な笑みを浮かべていた。だが今はーー
「今のユーリウス様の笑顔、とても素敵です」
「なっ、突然なんだ」
「ふふ、なんとなく思っただけです」
「意味が分からない」
素っ気なく顔を背けるが、その顔は少し赤らんで見えた。
「ユーリウス様、人生は山あり谷ありです。沢山辛い事があったとしてもずっとそれが続く訳ではない筈です」
「山あり谷ありか……。私はずっと谷底にいる気分だ」
彼の暮らしを考えると少し贅沢だなと思わなくもないが、人によって幸せの形が違うように苦難の感じ方も人それぞれだろう。
「それなら大丈夫ですね」
「何が大丈夫だというんだ」
「だって谷底ならそれ以上下がる事は出来ませんから、後は這い上がるのみです!」
「っーー」
「ユーリウス様、過去は変える事は出来ませんが、未来は自分次第で幾らでも変える事が出来ます。ですから、これからのお話をしましょう」
エレノラは立ち上がり、ユーリウスの前へ立つと手を差し出した。