有能でイケメンクズな夫は今日も浮気に忙しい〜あら旦那様、もうお戻りですか?〜

七十八話〜これからの話〜



「それで何故、泣いていたんだ」

「……分かりません、気付いたら涙が溢れていました」

 自分の話を聞いた彼女の瞳からは涙が流れ落ちた。まさか泣くとは思わず、ユーリウスは慌てる。だがそんな中でも、すみれ色の瞳から透明な雫が流れ落ちる様子は儚げで美しく見惚れてしまい、気付いたらハンカチを差し出していた。
 そして期待してしまう。私の為に泣いてくれたのかと。



「ただ、もしその時に知り合えていたなら、私がユーリウス様の友人になって「一人じゃないよ」って言ってあげたかったなとは思いました。すみません、決して同情している訳ではないんです」

 その言葉にやはりエレノラがユーリウスの為に泣いてくれたのだと確信を得た。

「私は同情されるのは好かない。またその逆も然りだ」

 詳しい事柄までは知られていないが、父が不倫の末に離縁し再婚した事は社交界では周知の事実だ。たまに「親がああだと、同じようになってしまうものだな。哀れだ」「折角公爵家の嫡男に生まれて本当なら順風満帆な人生なのに……これならうちの子の方が余程マシね」「若い頃は女遊びの一つや二つするものだが、彼は異常だ、恐らく病気だろう。可哀想に」
そう陰口を叩く者も少なくなかった。
 同情など上っ面だけで、本心は嘲笑っているのが丸分かりだ。

『私がユーリウス様を寂しさを癒して差し上げますわ』

 いつかのフラヴィの言葉を思い出す。
 周りからそんな風に言われる度に虚しくなり一人苛立っていた。
 だが不思議だ。エレノラになら同情されても構わないと思う。寧ろそれで彼女の気を引けるなら、いくらでも同情を買ってやる。

「今のユーリウス様の笑顔、とても素敵です」
 
 そんな幼稚な事を考えていると、エレノラが突拍子もない発言をした。
 これまで褒め言葉など飽きるほど言われてきた。その事に対して別段思う事もなければ一々反応などしてこなかった。
 何故ならそれ等の全てはご機嫌伺いだったり下心があるからだ。
 だが彼女はそうじゃないと分かる。
 仮にそうであっても喜ぶ自信がある自分はかなり重症だ。

「ユーリウス様、人生は山あり谷ありです。沢山辛い事があったとしてもずっとそれが続く訳ではない筈です」

「山あり谷ありか……。私はずっと谷底にいる気分だ」

 そして彼女の陳腐な慰めに、思わず情けない言葉が出てしまう。流石に呆れられるに違いない。だが彼女はあっけらかんと笑った。
 
「それなら大丈夫ですね」

「何が大丈夫だというんだ」

「だって谷底ならそれ以上下がる事は出来ませんから、後は這い上がるのみです!」

 彼女は今なんと言った?
 予想だにしない言葉に、思わず自分自身に問いかける。
 誰がそんな風に考えるだろうか。普通は山あり谷ありだからと諦め受け入れるものではないのか。
 それなのに彼女は「這い上がる」と言った。
 沸々と笑いが込み上げてくる。

「ユーリウス様、過去は変える事は出来ませんが、未来は自分次第で幾らでも変える事が出来ます。ですから、これからのお話をしましょう」

 軽やかにベッドから立ち上がると、ユーリウスの目の前に立ち笑顔で手を差し出してきた。
 少し躊躇うが、その小さな彼女の手に自らの手を重ねた……つもりだった。

シュウ!

 その瞬間、視界の端を影が横切りそれは彼女の手の上に収まった。

「なっ……」

 チラリとこちらを見るミルに、触んなやと言われている気がして思わず顔が引き攣る。

「あらミル、起きたの?」

シュウ〜!

 甘えるような声を上げエレノラに擦り寄る光景に羨ましく思いながら、もう少しで彼女の手を握れる筈だったと苛っとする。
 だが怒ったところで敵う気がまるでしない。大人しく諦め行き場をなくした手を落胆しながら下ろした。


「本当に宜しいんですね?」

「一体何回確認するんだ」

 改めて並んで座り直すと、エレノラの言った通りこれからの話をする。

「先程も話したが、既に彼女達には手紙で伝達は済んでいる」

 何度目か分からないエレノラからの確認に苦笑せざるを得ない。
 ここまでしつこいと余程信用されていないのだと感じ情けないやら悲しくなってくる。だがこれも全て自業自得だ。仕方がない。

「ですが、まだお返事はどなたからも返ってきていらっしゃらないんですよね?」

「ああ……」

「なるほど」

 一体何がなるほどなのかユーリウスは眉根を寄せる。そんな中、エレノラは顎に手を当て暫し考え込む。

「ユーリウス様さえ宜しければ、この件は私に任せて下さいませんか?」

「は? いや、流石にそれは……」

 彼女なりに考えがあるのだろうが、流石に愛人との縁切りを妻に任せるなど出来る筈がない。男として沽券に関わる。

「上手くいくかは分かりませんが、このままユーリウス様が対応されるより私がする方が円満になると思います」

 余程自信があるのか両手の拳を握り締めて見せてくる。

(反則だ、これは可愛い過ぎる……)

 不意打ちを食らったユーリウスは、その愛らしさに口元がだらしなく緩むのを感じた。

「やはりダメですか?」

「っ‼︎」

 更に上目遣いの追撃を食い、気付けば「分かった、任せる」と口にしていた。

「その代わり条件がある」

 普通に考えて条件を出せる立場ではない事は重々承知しているが、いい口実だとも思えた。

「条件ですか?」

「君が私の代わりに愛人達への対応をするなら、君の生家の再建を私に任せて貰いたい。このままでは私の夫としての面目は丸潰れだ」

 最後の言葉は彼女を納得させる為のものだ。
 エレノラから生家の話を聞かされ、現状のままでは何れ彼女が潰れてしまうかも知れないと思った。そして夫として見過ごす事は出来ない。だが彼女は理由が無ければユーリウスの介入を良しとはしないだろう。そこで些か強引ではあるが、交換条件を出した。

「……分かりました。宜しくお願いします」

 少し悩んだ素振りを見せたものの、意外にも彼女は了承をした。渋るかと思ったので拍子抜けをする。


「だが本当に任せてしまっていいのか? やはり私が……」

 ひと段落ついたにも拘らず、ユーリウスは話を蒸し返す。
 エレノラに任せる事に不安がある訳ではないが、彼女に尻拭いをさせてしまう事に躊躇いがある。

「大丈夫です! 必要な時はお声掛けしますから、ご心配なさらずに」

「分かった」

 観念してため息を吐いた。
 ただ頼り甲斐のある妻を見て自分の不甲斐なさを嘆いている場合ではない。
 自分が今すべきは先ずは優秀な人材探しと、ドニエ侯爵家に抗議文を送る事だ。

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