■□ 死 角 □■
レクイエムが聞こえる
■レクイエムが聞こえる
陽菜紀が死んだ―――と言うニュースはあっという間に広がった。連日連夜テレビのワイドショーで報道されていたし、私の親はもちろん、SNSなんかを頼って次々とかつての同級生たちが連絡を寄越してきた。
そのほとんどが『ねぇ陽菜紀が殺されたって本当!?灯理何か知ってる!?』と言うものだったが、私は何も知らないし、陽菜紀から知らされていない。ただでさえショックなのに、まるで話題に飢えたハイエナのように話題と言う獲物を狙うさまに、いっときうんざりして電源を落としていた程だ。
陽菜紀が死んで四日後、彼女のお通夜が開かれることを知ったのは、前日に職場に掛かってきた私の母親からの電話だったぐらい。
その日は小雨が降り、三月も終わりだと言うのに、まるで忘れてきた寒さを引き連れてきたかのように、冷え込んでいた。
この日私は相も変わらず、専用機種の解約作業に追われていたが、ごっそりそのまま残して定時に仕事を上がり、駅のトイレで慌てて喪服に着替えてきた次第だ。
「この度は……お悔やみ申し上げます…」と方々で囁き声のような声が聞こえ、そのほとんどが陽菜紀のご主人や陽菜紀のご両親に向けられたものだった。その挨拶がまるで鎮魂歌のように聞こえる。
ハンサムなご主人は、最後に会ったとき生き生きとして精悍な様子だったのに、だいぶ痩せ、一気に老けたように思えた。頬がげっそりとこけていて不健康そうである。時折嗚咽を堪えているように見えて痛々しかった。
当然よね。愛する妻が何者かによって殺されたんだもの。
お式は生前の陽菜紀の華やかさを称えるように、同じぐらい煌びやかで豪華なものだった。
お坊さんの読経を聞きながら、私はご主人に会釈だけをして焼香をした。焼香をする際、祭壇の上、遺影の中の陽菜紀と向き合う形になった。
遺影の写真はここ一年程前に撮られたものだと言うことに気づく。それはいつかのSNSで陽菜紀が郊外にあるバラ園に行ったときに撮っていたものである。何故そこまで詳しいのか。
だって私と陽菜紀、二人でその場に行ったもの。
『ねぇ灯理~ここに行きたいの』とある日そのバラ園のHPのURLをくっつけて私にメールを寄越してきた。
『ここ郊外だし遠いよ。私も陽菜紀も車持ってないじゃん。ご主人と行けば?』と返したのを覚えている。
その答えが
『私は灯理と行きたいの』と言う相変わらず一方的な我儘と言えばそうだった。
けれど私は休日、電車をわざわざ乗り継いでまで陽菜紀が行きたがっていた薔薇園まで一緒に足を運んだのだ。
薔薇園はHPに掲載されていた程の規模ではなく正直言ってチャチな感じさえしたが陽菜紀は楽しそうだった。薔薇味のソフトクリームも二人で食べたね。どこら辺が薔薇?と感じたけれど、陽菜紀はそれはおいしそうに食べていた。
遺影の下を見ると白い四角の棺桶に横たわった陽菜紀が視界に映った。
お坊さんの読経が耳の中を通り抜ける。
ふと気づくと棺桶の淵に白い手が乗っかっていた。
「苦しい……」
棺桶の中の“陽菜紀”は呟いた。
「苦しいの、灯理。
どうして四角なの―――?
どうして私は“ここ”に収まらなければならないの?」
どうして
私が聞きたいよ、陽菜紀。
私はぎゅっと目を閉じてしっかりと手を合わせた。数珠の擦れる音がやけに大きく響いた。
どうして私を置いて先に陽菜紀は死んじゃったの―――?