【SS投稿中】殿下、私を解放していただきます。〜 妹を選んだ王太子に婚約破棄された有能令嬢の、その後の人生 〜
52. アルヴィン様の想い
「え……? そ、そうだったのですね。存じ上げなくて。失礼いたしました」
「いやいや」
私がそう謝罪すると、伯爵は苦笑しながら軽く手を振った。
「お気遣いなく。今はこの領内で経営の勉強をしておりますよ。いや何、元気は元気なのです。特段大きな怪我をしたとか、そういうことではなく」
「そうなのですね」
(名誉あるお仕事なのに、辞めてしまわれるなんて。……これ以上聞かない方がいいのかしら。深い事情があるのかも……)
伯爵夫妻が言い淀んでいる気がして、私の胸に一抹の不安がよぎる。……まさか、キャロルが何かしたんじゃないでしょうね。
あの日、庭園でランカスター伯爵令息であるアルヴィン様を居丈高に呼びつけ強引に連れて行ったキャロルの姿が脳裏によみがえる。
「光栄なことに、セルウィン公爵夫人とは学園で同級生でしたものね。お会いになりますか? 今はちょうど、すぐ近くの河川工事に立ち会っておりますのよ」
「まぁ、そうなのですね。では、せっかくの機会ですから……少しお邪魔してまいりますわ」
伯爵夫人にそう答え、私はアルヴィン様の元を尋ねてみることにしたのだった。
◇ ◇ ◇
教えられた河川工事の場所は、ランカスター伯爵家の屋敷から馬車で十五分ほどのところで行われていた。
(……あ、いた。ランカスター伯爵令息様だわ)
馬車を降りるやいなや彼の姿を発見する。責任者らしき人と書類を見ながら話をしていて、私の姿を認めると目を丸くしてしばらく固まっていた。そしてすぐに笑みを浮かべ、こちらに歩いてくる。学園の制服でも王国騎士の制服でもないラフな服装の彼は、何だかとても新鮮だった。
「ハートネル……、いや、セルウィン公爵夫人。おいでになることは両親から聞いていましたが、まさかここまで足を運んでくださるとは」
「突然ごめんなさい、ランカスター伯爵令息様。お屋敷で伯爵ご夫婦から、こちらにいらっしゃることを伺ったものですから、ご挨拶にと」
「それはわざわざありがとうございます。……あ、それと、ご結婚おめでとうございます」
「あ、ありがとうございます」
それからしばらくの間、私と彼は他愛もない世間話をした。でも私が本当に話したいのは、もちろんそんなことではない。
少しの思い出話をして会話が途切れた瞬間、私は思い切ってアルヴィン様に尋ねてみた。……嫌な予感に胸がざわつく。
「あの、ランカスター伯爵令息様……。単刀直入に伺いますが、なぜ王国騎士団をお辞めに……? お父上はまだ現役で、領地経営に腕をふるっておられますし、急いで領地に戻ってくる必要は、おありにならなかったのでは……?」
おそるおそる見上げる私の目に、彼の明らかな狼狽が見てとれた。咄嗟に視線を逸らされ、直感めいたものにズン、と肩が重くなった。
「……キャロルなのですね。あの子があなた様に何か……」
私がそう口にすると、アルヴィン様はしばらくの間の後、覚悟を決めたように私の方を見た。
「……両親には言っていないのです。俺には王国騎士は荷が重く、勤めが辛くなったと。そんな風に誤魔化してあります」
「……あの子は、あなた様に一体何を……?」
アルヴィン様は気まずそうに再び視線を逸らすと、片手で口元を覆いながら逡巡し、ゆっくりと話しはじめた。
「……王妃陛下は学園に在籍していた頃から、何度も俺に愛を乞うてこられました。ですが俺は、あなたの姉上を想っているから受け入れることはできないと。心は痛みましたが、ずっとそうお断りしてきたんです」
「……っ、」
アルヴィン様がサラリと言った当時の私への想いに思わず動揺してしまい、反射的にそのお顔を見上げた。けれどアルヴィン様は表情を変えることなく話し続ける。
「彼女が王妃陛下として即位された後、俺はすぐに異動となり、彼女の専属護衛騎士に配属されました。……それからずっと、その、……王妃陛下は人目を忍んでは、俺を誘惑するように」
「な……」
(あの子ったら、何てことを……!!)
衝撃のあまり言葉が出ない。アルヴィン様は向こうを向いたまま言葉を続ける。
「彼女ははっきりと言いました。俺を自分のものにするために王妃になったのだと。昼でも夜でも、俺を呼びつけては二人きりになろうとする王妃陛下の行動に、俺は周囲の人間の誤解を招くことを恐れました。何があっても断固として断り続けるつもりでいましたが、万が一俺が王妃陛下とやましい関係にあると一度でも噂が立てば、俺はもちろん、家族も無事ではいられない。そう思い、これ以上あの方からの要求がひどくなる前にと、退職し領地へ戻ってくることを決意したのです」
アルヴィン様の話を聞けば聞くほど、私は恥ずかしさと情けなさ、そして申し訳なさで、顔が上げられなくなってしまった。あの子に限ってそんなことをするはずが、なんて微塵も思えないのがまた悲しい。
王国騎士の一員となることがどれほど栄誉なことか。そこへ至るまでの道のりの険しさと、重ねてきたであろう努力の全てを無駄にされてしまったアルヴィン様の無念を思うと、涙がじわりとこみ上げる。
私は俯いたまま、両手で顔を覆い謝罪した。
「どのようにお詫び申し上げたらいいか……。不出来な妹が、この上ないご迷惑をおかけいたしました。謝っても謝りきれません」
「っ! いや、ちょっと待ってくださいエリッサ様! あなたのせいではありませんよ! そんな、あなたを泣かせるつもりなど全く…………うわぁっ!!」
突然私の両肩に手を添えて力説しはじめたアルヴィン様は、顔を上げた私と目が合った瞬間固まり、そして突風に吹き上げられたような勢いでズサササーーッと後ろに十歩ほど下がった。両手を万歳している。
「たっ! 大変申し訳ありません! さ、触って……決してわざとでは!! 違います! つい!」
さっきまで冷静に語っていた姿はどこへやら。アルヴィン様は私から距離をとったまま、耳を真っ赤にして額にじんわりと汗を浮かべながら、潔白を証明するかのように両手を顔の前でブンブンと振り回している。……可愛いな、などという思いが頭をよぎる。
「そ、それに、厚かましくもエリッサ様などと……。人前で呼んだことは、誓ってただの一度もございません!! 本当です!! ……どうか、お許しを」
(……どこで呼んでいたのかしら。心の中……?)
こんな話を聞いたばかりなのに、私はつい笑ってしまいそうになり、慌てて顔を引き締めた。
「構いません。我が妹の不埒で傲慢な行いこそ、いくら謝罪しても足りませんわ。……ごめんなさい、ランカスター伯爵令息様。あなた様の輝かしい経歴に傷をつけるような真似、どう詫びても足りません」
「いえ! ですから! 大丈夫です! 俺は嫡男で、どうせゆくゆくはここに腰を据えたはずなのですから! ……それよりも、あなたのそんなお顔を見る方が、俺はよほど苦しいです」
(……アルヴィン様……)
彼はようやく落ち着いたのか、いつもの温和な笑みを浮かべると、ゆっくりとこちらへ近付き私の前に立った。
「どうかお気になさらず。俺本当に、それほど気落ちしてはいませんので。それよりも、こうして今日あなた様と二人きりで話ができた喜びの方がはるかに大きいです。今夜は眠れそうにないな。はは」
……私への気遣いでこんなことを言ってくださっているのだろう。けれど、彼のその優しい笑顔は私の胸をますます締めつけ、そして彼に対する親愛の情を一層深めもしたのだった。
最後に伯爵夫妻に挨拶をしランカスター邸を後にした私は、馬車の中でキャロルに対する激しい怒りを滾らせていた。
気持ちを静めようと何度も深呼吸し、それでも収まらずこめかみを押さえる。向かいに腰かけていたミハが、気遣わしげに私を呼んだ。
「……奥様」
「……あの子の頬を思いっきりひっぱたいてやりたいわ、ミハ」
私の留守中にフルヴィオ陛下と密会めいた逢瀬を繰り返し、私から王家に嫁ぐ立場を奪った。もちろん、キャロルが一人で決めたことじゃない。陛下も陛下だけれど、まさかあの子が王妃の座を狙った理由が、アルヴィン様を好きにしたかったからだなんて……あまりにも短絡的で、身勝手で、馬鹿げている。その浅慮な我が儘のせいで、我が国は窮地に陥っているのだ。
アルヴィン様がキャロルにされたことを私に打ち明けてくださったのは、あの子が王妃に相応しくない人間であることを私に示したかったからではないだろうか。
「……もう引きずり下ろしてやりたいわ。王城から引っ張り出して、どこか遠い国にでも放り捨ててやりたい」
「……お腹には御子が」
ミハは短い言葉で、それは無理だと暗に伝えてきた。もちろん分かってる。陛下の子を身籠っているキャロルを粗末に扱うことなど許されない。
(……それ、本当に陛下の子なんでしょうね)
つい今しがたアルヴィン様から聞いた、あの子の裏の顔。
王妃でありながら、陛下以外の殿方に淫らに近付き、誘惑するふしだらな女。
ふと脳裏をよぎったその疑問に背筋がぞくりと粟立ち、私は身震いしたのだった。
「いやいや」
私がそう謝罪すると、伯爵は苦笑しながら軽く手を振った。
「お気遣いなく。今はこの領内で経営の勉強をしておりますよ。いや何、元気は元気なのです。特段大きな怪我をしたとか、そういうことではなく」
「そうなのですね」
(名誉あるお仕事なのに、辞めてしまわれるなんて。……これ以上聞かない方がいいのかしら。深い事情があるのかも……)
伯爵夫妻が言い淀んでいる気がして、私の胸に一抹の不安がよぎる。……まさか、キャロルが何かしたんじゃないでしょうね。
あの日、庭園でランカスター伯爵令息であるアルヴィン様を居丈高に呼びつけ強引に連れて行ったキャロルの姿が脳裏によみがえる。
「光栄なことに、セルウィン公爵夫人とは学園で同級生でしたものね。お会いになりますか? 今はちょうど、すぐ近くの河川工事に立ち会っておりますのよ」
「まぁ、そうなのですね。では、せっかくの機会ですから……少しお邪魔してまいりますわ」
伯爵夫人にそう答え、私はアルヴィン様の元を尋ねてみることにしたのだった。
◇ ◇ ◇
教えられた河川工事の場所は、ランカスター伯爵家の屋敷から馬車で十五分ほどのところで行われていた。
(……あ、いた。ランカスター伯爵令息様だわ)
馬車を降りるやいなや彼の姿を発見する。責任者らしき人と書類を見ながら話をしていて、私の姿を認めると目を丸くしてしばらく固まっていた。そしてすぐに笑みを浮かべ、こちらに歩いてくる。学園の制服でも王国騎士の制服でもないラフな服装の彼は、何だかとても新鮮だった。
「ハートネル……、いや、セルウィン公爵夫人。おいでになることは両親から聞いていましたが、まさかここまで足を運んでくださるとは」
「突然ごめんなさい、ランカスター伯爵令息様。お屋敷で伯爵ご夫婦から、こちらにいらっしゃることを伺ったものですから、ご挨拶にと」
「それはわざわざありがとうございます。……あ、それと、ご結婚おめでとうございます」
「あ、ありがとうございます」
それからしばらくの間、私と彼は他愛もない世間話をした。でも私が本当に話したいのは、もちろんそんなことではない。
少しの思い出話をして会話が途切れた瞬間、私は思い切ってアルヴィン様に尋ねてみた。……嫌な予感に胸がざわつく。
「あの、ランカスター伯爵令息様……。単刀直入に伺いますが、なぜ王国騎士団をお辞めに……? お父上はまだ現役で、領地経営に腕をふるっておられますし、急いで領地に戻ってくる必要は、おありにならなかったのでは……?」
おそるおそる見上げる私の目に、彼の明らかな狼狽が見てとれた。咄嗟に視線を逸らされ、直感めいたものにズン、と肩が重くなった。
「……キャロルなのですね。あの子があなた様に何か……」
私がそう口にすると、アルヴィン様はしばらくの間の後、覚悟を決めたように私の方を見た。
「……両親には言っていないのです。俺には王国騎士は荷が重く、勤めが辛くなったと。そんな風に誤魔化してあります」
「……あの子は、あなた様に一体何を……?」
アルヴィン様は気まずそうに再び視線を逸らすと、片手で口元を覆いながら逡巡し、ゆっくりと話しはじめた。
「……王妃陛下は学園に在籍していた頃から、何度も俺に愛を乞うてこられました。ですが俺は、あなたの姉上を想っているから受け入れることはできないと。心は痛みましたが、ずっとそうお断りしてきたんです」
「……っ、」
アルヴィン様がサラリと言った当時の私への想いに思わず動揺してしまい、反射的にそのお顔を見上げた。けれどアルヴィン様は表情を変えることなく話し続ける。
「彼女が王妃陛下として即位された後、俺はすぐに異動となり、彼女の専属護衛騎士に配属されました。……それからずっと、その、……王妃陛下は人目を忍んでは、俺を誘惑するように」
「な……」
(あの子ったら、何てことを……!!)
衝撃のあまり言葉が出ない。アルヴィン様は向こうを向いたまま言葉を続ける。
「彼女ははっきりと言いました。俺を自分のものにするために王妃になったのだと。昼でも夜でも、俺を呼びつけては二人きりになろうとする王妃陛下の行動に、俺は周囲の人間の誤解を招くことを恐れました。何があっても断固として断り続けるつもりでいましたが、万が一俺が王妃陛下とやましい関係にあると一度でも噂が立てば、俺はもちろん、家族も無事ではいられない。そう思い、これ以上あの方からの要求がひどくなる前にと、退職し領地へ戻ってくることを決意したのです」
アルヴィン様の話を聞けば聞くほど、私は恥ずかしさと情けなさ、そして申し訳なさで、顔が上げられなくなってしまった。あの子に限ってそんなことをするはずが、なんて微塵も思えないのがまた悲しい。
王国騎士の一員となることがどれほど栄誉なことか。そこへ至るまでの道のりの険しさと、重ねてきたであろう努力の全てを無駄にされてしまったアルヴィン様の無念を思うと、涙がじわりとこみ上げる。
私は俯いたまま、両手で顔を覆い謝罪した。
「どのようにお詫び申し上げたらいいか……。不出来な妹が、この上ないご迷惑をおかけいたしました。謝っても謝りきれません」
「っ! いや、ちょっと待ってくださいエリッサ様! あなたのせいではありませんよ! そんな、あなたを泣かせるつもりなど全く…………うわぁっ!!」
突然私の両肩に手を添えて力説しはじめたアルヴィン様は、顔を上げた私と目が合った瞬間固まり、そして突風に吹き上げられたような勢いでズサササーーッと後ろに十歩ほど下がった。両手を万歳している。
「たっ! 大変申し訳ありません! さ、触って……決してわざとでは!! 違います! つい!」
さっきまで冷静に語っていた姿はどこへやら。アルヴィン様は私から距離をとったまま、耳を真っ赤にして額にじんわりと汗を浮かべながら、潔白を証明するかのように両手を顔の前でブンブンと振り回している。……可愛いな、などという思いが頭をよぎる。
「そ、それに、厚かましくもエリッサ様などと……。人前で呼んだことは、誓ってただの一度もございません!! 本当です!! ……どうか、お許しを」
(……どこで呼んでいたのかしら。心の中……?)
こんな話を聞いたばかりなのに、私はつい笑ってしまいそうになり、慌てて顔を引き締めた。
「構いません。我が妹の不埒で傲慢な行いこそ、いくら謝罪しても足りませんわ。……ごめんなさい、ランカスター伯爵令息様。あなた様の輝かしい経歴に傷をつけるような真似、どう詫びても足りません」
「いえ! ですから! 大丈夫です! 俺は嫡男で、どうせゆくゆくはここに腰を据えたはずなのですから! ……それよりも、あなたのそんなお顔を見る方が、俺はよほど苦しいです」
(……アルヴィン様……)
彼はようやく落ち着いたのか、いつもの温和な笑みを浮かべると、ゆっくりとこちらへ近付き私の前に立った。
「どうかお気になさらず。俺本当に、それほど気落ちしてはいませんので。それよりも、こうして今日あなた様と二人きりで話ができた喜びの方がはるかに大きいです。今夜は眠れそうにないな。はは」
……私への気遣いでこんなことを言ってくださっているのだろう。けれど、彼のその優しい笑顔は私の胸をますます締めつけ、そして彼に対する親愛の情を一層深めもしたのだった。
最後に伯爵夫妻に挨拶をしランカスター邸を後にした私は、馬車の中でキャロルに対する激しい怒りを滾らせていた。
気持ちを静めようと何度も深呼吸し、それでも収まらずこめかみを押さえる。向かいに腰かけていたミハが、気遣わしげに私を呼んだ。
「……奥様」
「……あの子の頬を思いっきりひっぱたいてやりたいわ、ミハ」
私の留守中にフルヴィオ陛下と密会めいた逢瀬を繰り返し、私から王家に嫁ぐ立場を奪った。もちろん、キャロルが一人で決めたことじゃない。陛下も陛下だけれど、まさかあの子が王妃の座を狙った理由が、アルヴィン様を好きにしたかったからだなんて……あまりにも短絡的で、身勝手で、馬鹿げている。その浅慮な我が儘のせいで、我が国は窮地に陥っているのだ。
アルヴィン様がキャロルにされたことを私に打ち明けてくださったのは、あの子が王妃に相応しくない人間であることを私に示したかったからではないだろうか。
「……もう引きずり下ろしてやりたいわ。王城から引っ張り出して、どこか遠い国にでも放り捨ててやりたい」
「……お腹には御子が」
ミハは短い言葉で、それは無理だと暗に伝えてきた。もちろん分かってる。陛下の子を身籠っているキャロルを粗末に扱うことなど許されない。
(……それ、本当に陛下の子なんでしょうね)
つい今しがたアルヴィン様から聞いた、あの子の裏の顔。
王妃でありながら、陛下以外の殿方に淫らに近付き、誘惑するふしだらな女。
ふと脳裏をよぎったその疑問に背筋がぞくりと粟立ち、私は身震いしたのだった。