秘めた恋は、焔よりも深く。
二人きりの静寂
金曜の夕暮れ、オフィス街のざわめきが去った後のロビー。
広いエントランスに、美咲のベージュのボストンバッグが静かに佇んでいた。
その横に置かれたのは、龍之介の漆黒のバッグ。
淡い色と濃い色、まるで二人の世界を象徴するように寄り添っている。
「これから一緒に……」
そう思うだけで、美咲の胸は期待と緊張で高鳴る。
二泊三日、仕事とはいえカップル限定のキャンピング。
バッグの色のコントラストに、彼と自分の関係が映し出されているようで、目が離せない。
ちょうどそのとき、重い自動ドアが静かに開く。
夜の気配を背負いながら現れたのは、黒のスーツに身を包んだ龍之介だった。
高い背と鋭い眼差し。その存在感に、美咲は思わず背筋を伸ばす。
視線が合った瞬間、彼の口元にわずかな笑みが浮かぶ。
その笑みが、美咲の胸を熱くする。
ロビーの自動ドアが音を立てて開き、涼しい夜風が一瞬吹き込む。
姿を現したのは、運転担当の若手社員だった。
「お待たせしました! お車、準備できております」
緊張気味の声がロビーに響く。
龍之介は小さく頷き、美咲の方へゆっくりと視線を戻した。
その黒い瞳に見つめられただけで、美咲の心臓が跳ねる。
「……じゃあ、行きましょうか」
「はい」
色違いのボストンバッグを、それぞれが手に取り、並んで立ち上がる。
すぐに駆け寄った運転手が、恭しく受け取って車のトランクへと詰め込んだ。
荷物が運ばれていくのを見送りながら、美咲はふと胸の奥に甘いざわめきを覚える。
“同じ形のバッグを、彼と並んで持っている”
その些細な事実が、仕事の出張であるはずのこの時間を、どこか恋人旅行のように錯覚させる。
龍之介が自然に歩調を合わせ、美咲の方へ一歩近づいた。
わずかに香るスーツの匂いに、心臓がまた早鐘を打つ。
運転手がボストンバッグを積み込み終えると、黒塗りの車のドアが静かに開いた。
龍之介は一歩前に出て、当然のように美咲の方へ手を伸ばす。
「どうぞ」
落ち着いた声色。
その仕草はあくまで上司としてのエスコートにすぎない。
美咲もまた、余計な感情を表に出すまいと、軽く会釈をして車内に身を滑り込ませた。
柔らかなシートに腰を下ろし、目の前の夜景に視線を向ける。
窓の外の街は、週末を待ちわびる人々でにぎわっているのに、車内は静かだ。
すぐ後から、龍之介が乗り込み、ドアが音を立てて閉まった。
その瞬間、わずかに空気が変わる。
エンジンが低く唸りを上げ、車がゆっくりと動き出す。
窓の外で流れ始めるネオンの光に視線を固定しながら、美咲は胸の奥にわずかな緊張を抱えていた。
隣に龍之介がいる。けれど、前席には運転手がいる。
それを意識するだけで、自然と背筋が硬くなる。
視線を交わすことすらはばかられ、代わりに窓ガラスに映る自分の横顔を見つめた。
龍之介もまた、シートに深く身を預けて黙っている。
余計な言葉は発しない。
ただ、組んだ腕越しに感じる気配が強すぎて、美咲の鼓動が落ち着かない。
沈黙が車内に満ちる。
けれど、それは決して気まずいものではなく、互いが“今はまだ上司と部下”であることを保つための沈黙だった。
龍之介は隣に座る美咲へ、ほんのわずかに視線を向ける。
表情は崩さない。
あくまで上司としての顔を貫く。
だが胸の内には、抑えようのない熱が渦巻いていた。
キャメルベージュのスーツに身を包み、背筋を伸ばして窓の外を見つめる姿は、どこまでも真面目な部下のそれだった。
けれど、彼にとっては違う。
秋の色を纏ったその横顔ひとつでさえ、抑えようのない愛しさを煽ってくる。
どうしてここまで、と思うほどに。
「……二人きりになるまでは」
低く、誰にも聞こえない声でつぶやいた。
あくまで上司として振る舞いながら、胸の奥では次に訪れる時間を待ちわびていた。
社用車は首都高を抜け、徐々に郊外の山道へと入っていく。
窓の外には、夜の森。車内は静かだった。
広いエントランスに、美咲のベージュのボストンバッグが静かに佇んでいた。
その横に置かれたのは、龍之介の漆黒のバッグ。
淡い色と濃い色、まるで二人の世界を象徴するように寄り添っている。
「これから一緒に……」
そう思うだけで、美咲の胸は期待と緊張で高鳴る。
二泊三日、仕事とはいえカップル限定のキャンピング。
バッグの色のコントラストに、彼と自分の関係が映し出されているようで、目が離せない。
ちょうどそのとき、重い自動ドアが静かに開く。
夜の気配を背負いながら現れたのは、黒のスーツに身を包んだ龍之介だった。
高い背と鋭い眼差し。その存在感に、美咲は思わず背筋を伸ばす。
視線が合った瞬間、彼の口元にわずかな笑みが浮かぶ。
その笑みが、美咲の胸を熱くする。
ロビーの自動ドアが音を立てて開き、涼しい夜風が一瞬吹き込む。
姿を現したのは、運転担当の若手社員だった。
「お待たせしました! お車、準備できております」
緊張気味の声がロビーに響く。
龍之介は小さく頷き、美咲の方へゆっくりと視線を戻した。
その黒い瞳に見つめられただけで、美咲の心臓が跳ねる。
「……じゃあ、行きましょうか」
「はい」
色違いのボストンバッグを、それぞれが手に取り、並んで立ち上がる。
すぐに駆け寄った運転手が、恭しく受け取って車のトランクへと詰め込んだ。
荷物が運ばれていくのを見送りながら、美咲はふと胸の奥に甘いざわめきを覚える。
“同じ形のバッグを、彼と並んで持っている”
その些細な事実が、仕事の出張であるはずのこの時間を、どこか恋人旅行のように錯覚させる。
龍之介が自然に歩調を合わせ、美咲の方へ一歩近づいた。
わずかに香るスーツの匂いに、心臓がまた早鐘を打つ。
運転手がボストンバッグを積み込み終えると、黒塗りの車のドアが静かに開いた。
龍之介は一歩前に出て、当然のように美咲の方へ手を伸ばす。
「どうぞ」
落ち着いた声色。
その仕草はあくまで上司としてのエスコートにすぎない。
美咲もまた、余計な感情を表に出すまいと、軽く会釈をして車内に身を滑り込ませた。
柔らかなシートに腰を下ろし、目の前の夜景に視線を向ける。
窓の外の街は、週末を待ちわびる人々でにぎわっているのに、車内は静かだ。
すぐ後から、龍之介が乗り込み、ドアが音を立てて閉まった。
その瞬間、わずかに空気が変わる。
エンジンが低く唸りを上げ、車がゆっくりと動き出す。
窓の外で流れ始めるネオンの光に視線を固定しながら、美咲は胸の奥にわずかな緊張を抱えていた。
隣に龍之介がいる。けれど、前席には運転手がいる。
それを意識するだけで、自然と背筋が硬くなる。
視線を交わすことすらはばかられ、代わりに窓ガラスに映る自分の横顔を見つめた。
龍之介もまた、シートに深く身を預けて黙っている。
余計な言葉は発しない。
ただ、組んだ腕越しに感じる気配が強すぎて、美咲の鼓動が落ち着かない。
沈黙が車内に満ちる。
けれど、それは決して気まずいものではなく、互いが“今はまだ上司と部下”であることを保つための沈黙だった。
龍之介は隣に座る美咲へ、ほんのわずかに視線を向ける。
表情は崩さない。
あくまで上司としての顔を貫く。
だが胸の内には、抑えようのない熱が渦巻いていた。
キャメルベージュのスーツに身を包み、背筋を伸ばして窓の外を見つめる姿は、どこまでも真面目な部下のそれだった。
けれど、彼にとっては違う。
秋の色を纏ったその横顔ひとつでさえ、抑えようのない愛しさを煽ってくる。
どうしてここまで、と思うほどに。
「……二人きりになるまでは」
低く、誰にも聞こえない声でつぶやいた。
あくまで上司として振る舞いながら、胸の奥では次に訪れる時間を待ちわびていた。
社用車は首都高を抜け、徐々に郊外の山道へと入っていく。
窓の外には、夜の森。車内は静かだった。