秘めた恋は、焔よりも深く。
視線の行方
月曜の朝、始業のチャイムとともに、美咲はデスクに座ってタスクの整理をしていた。
社内はいつもよりざわついている。週末の新規提携先との連絡調整が入り、
部長から急ぎの報告資料をまとめるよう依頼されていたのだ。
黙々と作業を進め、11時前には報告書を完成させた。
部長宛のメールに添付しようとしたそのとき。
「佐倉さん、今、少しよろしいですか?」
声をかけられて振り返ると、そこに立っていたのは黒瀬だった。
(……黒瀬さん)
社長秘書である彼が、自分のところまで来ることは珍しい。
美咲の表情が、少しだけ引き締まった。
「この報告書、社長への提出前に確認させていただきたくて。
数値の部分、こちらの最新資料と齟齬がないか一度すり合わせをお願いしたいんです」
「……わかりました。すぐに確認します」
ふたりは会議室の片隅に移動し、パソコンを並べて画面を照らし合わせる。
会話は事務的。
でも、隣にいると、この間のときよりも“距離が近い”ことに気づく。
横顔が静かで、鋭いのに、どこか優しい。
なにより、美咲の発言を一つひとつ丁寧に聞いてくれる態度が、印象に残った。
「ここ、佐倉さんが先週出していた予測と、数字が近いですね。……正確な読みですね」
「いえ、たまたまです」
そう答えた自分の声が、思ったよりも柔らかくなっていたことに、美咲自身が驚いた。
ふと、龍之介が視線を横にずらし、美咲を見た。
「先週の懇親会、お疲れさまでした。……あの後、ぐっすり眠れましたか?」
唐突な言葉に、美咲の手が止まる。
「え……?」
「なんとなく、疲れていたように見えたので」
(気づかれてた……?)
言葉に詰まりそうになるのを誤魔化すように、パソコンの画面に視線を戻す。
「ええ。……ぐっすり、眠りました」
小さな嘘でも、大きな嘘でもない。
でも、思いがけず“自分を見ていた人がいた”ことに、美咲の胸の奥が少しだけ揺れた。
「そうですか、それはよかった。」
ごく事務的に、言葉を返す。
それだけの会話。必要最低限の温度。
誰が聞いていても問題のない、表面的なやりとり。
なのに。
(本当に、眠れたんだろうか)
あの夜の彼女は、少し疲れて見えた。
無理をして笑っているのが、どこか痛々しかった。
だが、こうしてオフィスで対面している彼女は、いつもどおりだ。
端整な横顔。癖のない、整った言葉遣い。
表情の陰に、何かを覗かせることはない。
(……さすがだな。やっぱり)
仕事は完璧。
感情は見せない。
それが佐倉美咲という女だ。
けれど、その瞼の奥に、ほんの少しでも影が揺れていたら。
たぶん、自分はまた、それに気づいてしまうだろう。
「これで問題ありません。社長にも共有しておきます」
そう言って、美咲が資料を閉じる。
すれ違いざま、ふわりと香った香水に、
思わず言葉にならない感情が、喉の奥に引っかかった。
(やれやれ……)
気づけば、目で追っている。
それに気づいて、ひとつ、息を吐いた。
(打算的な付き合いなんて、俺には無理だな、彼女に関しては、最初から)
社内はいつもよりざわついている。週末の新規提携先との連絡調整が入り、
部長から急ぎの報告資料をまとめるよう依頼されていたのだ。
黙々と作業を進め、11時前には報告書を完成させた。
部長宛のメールに添付しようとしたそのとき。
「佐倉さん、今、少しよろしいですか?」
声をかけられて振り返ると、そこに立っていたのは黒瀬だった。
(……黒瀬さん)
社長秘書である彼が、自分のところまで来ることは珍しい。
美咲の表情が、少しだけ引き締まった。
「この報告書、社長への提出前に確認させていただきたくて。
数値の部分、こちらの最新資料と齟齬がないか一度すり合わせをお願いしたいんです」
「……わかりました。すぐに確認します」
ふたりは会議室の片隅に移動し、パソコンを並べて画面を照らし合わせる。
会話は事務的。
でも、隣にいると、この間のときよりも“距離が近い”ことに気づく。
横顔が静かで、鋭いのに、どこか優しい。
なにより、美咲の発言を一つひとつ丁寧に聞いてくれる態度が、印象に残った。
「ここ、佐倉さんが先週出していた予測と、数字が近いですね。……正確な読みですね」
「いえ、たまたまです」
そう答えた自分の声が、思ったよりも柔らかくなっていたことに、美咲自身が驚いた。
ふと、龍之介が視線を横にずらし、美咲を見た。
「先週の懇親会、お疲れさまでした。……あの後、ぐっすり眠れましたか?」
唐突な言葉に、美咲の手が止まる。
「え……?」
「なんとなく、疲れていたように見えたので」
(気づかれてた……?)
言葉に詰まりそうになるのを誤魔化すように、パソコンの画面に視線を戻す。
「ええ。……ぐっすり、眠りました」
小さな嘘でも、大きな嘘でもない。
でも、思いがけず“自分を見ていた人がいた”ことに、美咲の胸の奥が少しだけ揺れた。
「そうですか、それはよかった。」
ごく事務的に、言葉を返す。
それだけの会話。必要最低限の温度。
誰が聞いていても問題のない、表面的なやりとり。
なのに。
(本当に、眠れたんだろうか)
あの夜の彼女は、少し疲れて見えた。
無理をして笑っているのが、どこか痛々しかった。
だが、こうしてオフィスで対面している彼女は、いつもどおりだ。
端整な横顔。癖のない、整った言葉遣い。
表情の陰に、何かを覗かせることはない。
(……さすがだな。やっぱり)
仕事は完璧。
感情は見せない。
それが佐倉美咲という女だ。
けれど、その瞼の奥に、ほんの少しでも影が揺れていたら。
たぶん、自分はまた、それに気づいてしまうだろう。
「これで問題ありません。社長にも共有しておきます」
そう言って、美咲が資料を閉じる。
すれ違いざま、ふわりと香った香水に、
思わず言葉にならない感情が、喉の奥に引っかかった。
(やれやれ……)
気づけば、目で追っている。
それに気づいて、ひとつ、息を吐いた。
(打算的な付き合いなんて、俺には無理だな、彼女に関しては、最初から)