秘めた恋は、焔よりも深く。
新しい暮らしの扉
火曜日、無事に引っ越しを済ませた。
美咲のマンション退去に伴う手続きや、その他の諸手続きも来週中には整う予定で、
美咲はようやく肩の力を抜いてほっとしていた。
「ねえ……社長も、ここにお住まいなんでしょう? 本当にこれでいいの?」
ダンボールを片づけながら、美咲が不安そうに口にする。
龍之介は微笑んで首を横に振った。
「社内恋愛に関するルールはないぞ」
そして一呼吸置き、静かに言葉を重ねた。
「それに……真樹は俺の気持ちを知っている」
「え……?」
美咲が驚いて顔を上げる。
「俺が気づくよりも前に、あいつは分かっていたんだ」
龍之介の口元に浮かぶ笑みに、美咲の胸がまた高鳴った。
「ねえ、さっきの話なんだけれど……社長ってホント謎」
引っ越し祝いに訪れた中華料理屋〈○○軒〉で、美咲は熱々の餃子をふうふうしながら口に運び、もぐもぐとほおばりながら言った。
「謎? 真樹が?」
カウンター越しに手渡されたばかりのラーメンをすすりつつ、龍之介が軽く笑って返す。
そのとき、
「……誰が謎だって⁈」
背後から低い声が飛んできた。
驚いて振り向けば、そこには真樹と美和子が並んで立っていた。
不意の登場に、美咲は思わず箸を握ったまま固まってしまった。
「真樹、何でここにいるんだ?」
驚く龍之介に、真樹は肩をすくめて答えた。
「なんでって、近所だろうが。……たまにはって、美和子が言うからさ」
美咲は慌てて席を立ち、丁寧に頭を下げた。
「奥様、初めまして。佐倉美咲と申します」
美和子はにこやかに微笑み、軽く会釈を返す。
「初めまして。滝沢の家内の、美和子と申します」
店のざわめきの中で交わされた初めての挨拶。
「佐倉さん、今はプライベートだから……そんなに緊張しないで」
真樹の穏やかな声に、美咲は肩の力を少し抜いた。
「龍、隣いいか」
「ああ」
真樹は当然のように龍之介の隣に腰を下ろし、自然な流れで美和子が美咲の隣に座った。
四人が並んで腰かけた瞬間、テーブルの空気が一気に華やぎ、けれどどこか不思議な緊張感が漂った。
緊張している美咲を思いやってか、美和子がふわりと笑みを浮かべて口を開いた。
「ねえ、佐倉さん。“滝沢が謎”って……どういうことなのか、知りたいわあ」
茶目っ気たっぷりの声音に、美咲は思わず目を丸くする。
「えっ、それはですね……えーと……」
言葉を探そうとするものの、なかなか口から出てこない。
美咲はしばし言葉を探し、それでも真剣に口を開いた。
「もちろん、社員としてなんですが……」
一度視線を落とし、ゆっくりと言葉を紡いでいく。
「いつも見守られているような、といいますか……
大変お忙しくしていらして、龍之介さんみたいにそばにいるわけではないのに、
本当の姿を見ていただいているんだなあ、っていう安心感のようなものを、言葉の端々から感じるんです」
その率直な答えに、
美和子はふんわりと微笑んだ。
「そうなのね、うふふ」
茶目っ気のある声に、美咲の頬が赤らむ。
けれど、その柔らかな空気に包まれて、胸の奥の緊張がすっと解けていくのを感じていた。
四人で賑やかに食事を終え、ラーメン屋を出て夜風を受けながら歩き出した。
隣を歩く龍之介が、ふと真樹に向き直る。
「……真樹。美咲と、今日から一緒に暮らす」
真樹は一瞬目を細め、それから小さく頷いた。
「そうか」
「構わないか?」
龍之介の問いに、真樹は低い声で返す。
「社内恋愛は禁止ではないからな」
その声音には、親友としての静かな承認と責任ある社長としての冷静さが同居していた。
「それでは、おやすみなさい」
美咲が深々と頭を下げ、龍之介も短く言葉を添える。
「また明日」
真樹と美和子に見送られながら、二人はエントランスを抜け、エレベーターへと乗り込んだ。
扉が静かに閉まると、さっきまでの賑やかさが嘘のように静寂が訪れる。
美咲はふうっと小さく息を吐いた。
「……なんだか、すごく緊張した」
龍之介はその肩をそっと抱き寄せ、笑みを浮かべる。
「もう大丈夫だ。これからは二人きりだ」
ゆっくりと上昇していくエレベーターの中で、二人だけの時間が再び動き出していた。
美咲のマンション退去に伴う手続きや、その他の諸手続きも来週中には整う予定で、
美咲はようやく肩の力を抜いてほっとしていた。
「ねえ……社長も、ここにお住まいなんでしょう? 本当にこれでいいの?」
ダンボールを片づけながら、美咲が不安そうに口にする。
龍之介は微笑んで首を横に振った。
「社内恋愛に関するルールはないぞ」
そして一呼吸置き、静かに言葉を重ねた。
「それに……真樹は俺の気持ちを知っている」
「え……?」
美咲が驚いて顔を上げる。
「俺が気づくよりも前に、あいつは分かっていたんだ」
龍之介の口元に浮かぶ笑みに、美咲の胸がまた高鳴った。
「ねえ、さっきの話なんだけれど……社長ってホント謎」
引っ越し祝いに訪れた中華料理屋〈○○軒〉で、美咲は熱々の餃子をふうふうしながら口に運び、もぐもぐとほおばりながら言った。
「謎? 真樹が?」
カウンター越しに手渡されたばかりのラーメンをすすりつつ、龍之介が軽く笑って返す。
そのとき、
「……誰が謎だって⁈」
背後から低い声が飛んできた。
驚いて振り向けば、そこには真樹と美和子が並んで立っていた。
不意の登場に、美咲は思わず箸を握ったまま固まってしまった。
「真樹、何でここにいるんだ?」
驚く龍之介に、真樹は肩をすくめて答えた。
「なんでって、近所だろうが。……たまにはって、美和子が言うからさ」
美咲は慌てて席を立ち、丁寧に頭を下げた。
「奥様、初めまして。佐倉美咲と申します」
美和子はにこやかに微笑み、軽く会釈を返す。
「初めまして。滝沢の家内の、美和子と申します」
店のざわめきの中で交わされた初めての挨拶。
「佐倉さん、今はプライベートだから……そんなに緊張しないで」
真樹の穏やかな声に、美咲は肩の力を少し抜いた。
「龍、隣いいか」
「ああ」
真樹は当然のように龍之介の隣に腰を下ろし、自然な流れで美和子が美咲の隣に座った。
四人が並んで腰かけた瞬間、テーブルの空気が一気に華やぎ、けれどどこか不思議な緊張感が漂った。
緊張している美咲を思いやってか、美和子がふわりと笑みを浮かべて口を開いた。
「ねえ、佐倉さん。“滝沢が謎”って……どういうことなのか、知りたいわあ」
茶目っ気たっぷりの声音に、美咲は思わず目を丸くする。
「えっ、それはですね……えーと……」
言葉を探そうとするものの、なかなか口から出てこない。
美咲はしばし言葉を探し、それでも真剣に口を開いた。
「もちろん、社員としてなんですが……」
一度視線を落とし、ゆっくりと言葉を紡いでいく。
「いつも見守られているような、といいますか……
大変お忙しくしていらして、龍之介さんみたいにそばにいるわけではないのに、
本当の姿を見ていただいているんだなあ、っていう安心感のようなものを、言葉の端々から感じるんです」
その率直な答えに、
美和子はふんわりと微笑んだ。
「そうなのね、うふふ」
茶目っ気のある声に、美咲の頬が赤らむ。
けれど、その柔らかな空気に包まれて、胸の奥の緊張がすっと解けていくのを感じていた。
四人で賑やかに食事を終え、ラーメン屋を出て夜風を受けながら歩き出した。
隣を歩く龍之介が、ふと真樹に向き直る。
「……真樹。美咲と、今日から一緒に暮らす」
真樹は一瞬目を細め、それから小さく頷いた。
「そうか」
「構わないか?」
龍之介の問いに、真樹は低い声で返す。
「社内恋愛は禁止ではないからな」
その声音には、親友としての静かな承認と責任ある社長としての冷静さが同居していた。
「それでは、おやすみなさい」
美咲が深々と頭を下げ、龍之介も短く言葉を添える。
「また明日」
真樹と美和子に見送られながら、二人はエントランスを抜け、エレベーターへと乗り込んだ。
扉が静かに閉まると、さっきまでの賑やかさが嘘のように静寂が訪れる。
美咲はふうっと小さく息を吐いた。
「……なんだか、すごく緊張した」
龍之介はその肩をそっと抱き寄せ、笑みを浮かべる。
「もう大丈夫だ。これからは二人きりだ」
ゆっくりと上昇していくエレベーターの中で、二人だけの時間が再び動き出していた。