秘めた恋は、焔よりも深く。

偶然の再会と新たな出会い

キャンプの達人たちによる講演会。
その文字に惹かれて、今夜、美咲は仕事帰りに足を運んでいた。
開演時間は夜の7時半。間に合うか不安だったが、なんとか滑り込みで会場に到着。

すでに前方の席は人で埋まっており、美咲は入り口付近、扉のすぐ近くの空席にそっと腰を下ろした。
壇上では、キャンプ歴30年というベテランたちが語る、ちょっとした失敗談やお気に入りの道具の話。
パネルディスカッションでは笑いが起きたり、相づちが飛んだり。
美咲もふと頬をゆるめながら、ひとつひとつの話に耳を傾けていた。

(……やっぱり、来てよかった)

そんなふうに思いながら、そろそろ40分が過ぎたころだった。
「すみません。隣、いいですか」

その声に、美咲はふと横を向いた。

返事をする間もなく、スーツ姿の男性が、すっと隣の席に腰を下ろした。

目を見開く。
黒瀬さん…⁈

「こんばんは。……驚いた?」
と、小さく囁くように笑ったその顔は、まさしく社長秘書・黒瀬龍之介その人だ。
視線を向けると、そこには仕事帰りらしく、ネイビーのスーツに身を包んだ黒瀬龍之介の姿があった。
ネクタイを少しゆるめていて、ワイシャツの襟元からは、ほんの少しだけ一日の疲れが滲んでいる。

「こんな偶然、あるんですね……」

戸惑いながらも、笑みがこぼれる美咲に、
「偶然……かもしれないし、そうじゃないかも」と、どこか含みを持たせるように呟く彼。

美咲は、その言葉の意味を咄嗟には掴めなかった
けれど、鼓動がひとつ、跳ねた気がした。

講演会が終わり、会場を出ると、夜風がほんの少しだけ肌寒く感じられた。

「……今日は偶然でしたね」
そう言って笑う美咲の隣を、龍之介は歩幅を合わせるように静かに並んで歩いていた。
駅までの道は、まだ話し足りない余韻を含んだ静けさ。

ふと、龍之介が足を止めて空を見上げた。
「……佐倉さん、飯、食いに行かないか?」

唐突すぎず、けれど迷いのない声音だった。

「え……?」
思わず立ち止まる美咲に、龍之介は穏やかに視線を戻す。

「晩メシ、まだでしょ? 俺も食ってない。
この近くに、静かでうまい店があるんだ。ひとりで入るにはちょっと気が引けてたけど……」

さらりと続けるその口調には、押しつけがましさは一切ない。
なのに、どこか断りにくい、静かな“男の温度”が滲んでいた。

「……いいんですか?」

「もちろん。さっきの講演の感想、もうちょっと聞きたいし」
それだけ言って、龍之介は歩き出す。

まるで、美咲がついてくることを信じているように。

美咲は一瞬だけ迷って、でもすぐにその背に歩を合わせた。
並んで歩く夜の道。
その距離は、ほんの少しだけ、前よりも近かった。
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