秘めた恋は、焔よりも深く。

交差する視線

ちょうどそのとき。
ホテルのロビーから出てきた真樹と美和子が、その光景を目にした。

「……松田さん?」
美和子が小さく首を傾げる。

隣で真樹も、夜の街に溶け込む圭吾の背中を、興味深げに見つめていた。
「……あれは、佐倉さんじゃないか?」

美和子は少し驚いたように目を瞬かせ、圭吾と同じ方向に視線を向けた。
タクシーの赤いテールランプが遠ざかっていく。

「珍しいわね、松田さんがあんな顔をするなんて。」
美和子がそっと言うと、真樹は視線を圭吾から外さず、無表情のまま瞬きを一度だけした。

口元には笑みも浮かべず、ただ静かに、その光景を記憶に刻みつけるように見つめている。
(……何かが動き始めている)
そんな気配だけが、彼の沈んだ瞳の奥に揺れていた。

二人は互いに短く視線を交わし、夜の街へと歩き出した。
圭吾はまだ、タクシーの消えた先を静かに見つめ続けていた。

マンションのエントランスを抜け、自宅のドアが静かに閉まる。
玄関の明かりに照らされた真樹は、ジャケットを脱いでもなお、外にいたときと同じ表情を崩さなかった。
靴を脱ぎ、リビングへ向かう途中も、彼はずっと黙っている。
美和子はその背中を見つめながら、キッチンへ行き、グラスに水を注いだ。

「……さっきから、ずっと黙ってるわね。」
差し出した水を受け取る真樹の横顔は、やはり何かを考えている。

「……そうか?」

「そうよ。あのホテルで見たこと、考えてるんでしょう?」

真樹はグラスを一口飲み、テーブルに置いた。
「松田さんが、佐倉さんを見送っていた。」

「ええ。あなた、ずっと見てたわね。」

真樹は窓の外に視線をやったまま、しばらく沈黙していた。
やがて、低い声でぽつりと口を開く。

「……美和子、知ってるか?」

「え?」

「龍之介のことだ。」

美和子は瞬きをし、少しだけ首を傾げた。
「……佐倉さんのこと?」

真樹は短くうなずく。
「そうだ。あいつは、彼女をただの部下とは思っていない。」

「……」

真樹は窓の外を見つめたまま、低い声で続けた。

「……俺はただ、龍之介が誰かと一緒に、今後の人生を幸せに生きていってほしいだけだ。」

美和子は少し驚いたように目を瞬かせる。
「それだけ……?」

「それだけだ。」
短く答えた後、真樹はわずかに目を細める。
「けど、その“誰か”が佐倉さんだとしたら……あいつにとっては悪くない選択だと思ってる。
だから余計に、松田さんとの関わりが気になる。」

その言葉に、美和子は静かに唇を閉じた。
真樹の横顔には、友を案じる思いと、何かを計るような冷静さが同居していた。
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