秘めた恋は、焔よりも深く。

頬に落ちた約束

早めの夕食だったせいか、店に着くとすぐに個室へ通された。
広すぎず落ち着いた照明の部屋は、ふたりの距離を強く意識させる。

焼き肉屋へ向かう道すがらも、龍之介はずっと美咲の手を握っていた。
「もう大丈夫ですから」
恥ずかしさに耐えきれず、美咲が小声で言った。

だが、彼は一顧だにせず、その大きな手をほどこうとしない。
「……何が大丈夫なんだ?」
低い声がすぐそばで響き、心臓が跳ねる。

理由なんて言えない。ただ、人目が気になっていただけ。
でも、そんな言葉は喉につかえて出てこなかった。

結局、美咲は黙ったまま、その温もりに引かれるように歩き続けていた。
まるで、その手に導かれて個室にたどり着いたかのように。


扉を開けた途端、香ばしい炭火の香りがふわりと漂い、美咲の胃がきゅうっと鳴る。

網の上で焼かれていく肉のジュウッという音が、すぐ隣の部屋からも聞こえてきた。
煙と一緒に立ちのぼる甘辛いタレの匂いは、食欲を一気に刺激してくる。
席につくと、すでに炭火の入った七輪が用意されていた。
赤々と燃える炭の熱気が、ほんのりと頬を温める。

「……いい匂い」
思わずこぼれた美咲の声に、龍之介が満足そうに口角を上げた。

「まずはビールなんてどうだ?」
トングを手にしたまま、龍之介が何気なく言った。

「えっ……ビールですか?」
思わず聞き返した美咲の声は、少し上ずっていた。
「普段はあまり飲まないんですけど……」

「焼肉にビールは鉄板だぞ。ほら、最初の一杯くらい付き合え」
言い切る声は揺るぎなく、拒む隙を与えてくれない。

「……じゃあ、一杯だけ」
そう答えると、龍之介はすぐに店員を呼び、二人分のビールを頼んだ。

ほどなくして運ばれてきたジョッキは、冷えたグラスの表面に細かな水滴をまとっていた。
黄金色の液体の上には、白い泡がふわりと盛り上がっている。

「ほら」
龍之介が差し出したジョッキに、美咲もおずおずと手を伸ばした。

「……乾杯」
グラスが軽く触れ合った瞬間、微かな音が小さな個室に響いた。

「ここの特上コースはうまいぞ。足らなきゃ追加もできるし……これでいいか」
龍之介がメニューを閉じる。

「はい。……おいしそうですね、お願いします」

「焼肉は好きなのか?」

「好きですね」
美咲は迷いなく答え、少しだけ照れくさそうに笑った。
「最近は、一人焼肉にも行きます」

「……え? 一人で?」
意外そうに眉を上げた龍之介の声が、少し大きく響いた。

「はい。おいしいものは我慢したくないので」
美咲は肩をすくめて、あっけらかんと告げる。

一瞬の沈黙のあと、龍之介の口元がゆるんだ。
「……強いな。いや、可愛いっていうべきか」

「からかわないでください」
頬が熱を帯びていくのを感じ、美咲は視線をそらした。

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