私の隣にいるのが俺じゃない理由を言え、と彼は言う

【おまけ】ついに…♥️

その日は、朝から少しだけ体が重かった。
疲れがたまってるのかな、と思いながら仕事をこなしていたけれど──

「うっ……」

急に胃の奥からせりあがるような気持ち悪さに襲われて、私は思わず手を口に当てて立ち上がった。
デスクを離れて、駆け込むようにトイレへ向かう。
洗面台に手をついて、深呼吸を繰り返す。
落ち着いて。大丈夫、大丈夫──そう言い聞かせながら。

でも、心のどこかでピンときていた。

……まさか。

数日前から、微妙な体調の違和感があった。
月に一度のものも、いつの間にか来ていない。
それに、ここ最近の眠気や、胸の張り。

気になって、お昼休みに近くのドラッグストアでこっそり購入した検査薬を、鞄の奥から取り出す。
少し震える手で、それを使って──

数分後、細く浮かび上がった二本目の線。

一瞬、思考が止まった。

……うそ、ほんとに? これって──

「……できちゃったんだ」

小さな声が、トイレの静寂に落ちる。
涙がにじみそうになるのを、私は慌てて手のひらでおさえた。
でも、あふれてくるのは、不安よりも──

うれしい、という気持ちだった。

野田の顔が浮かんでくる。
あのとき、私の手をぎゅっと握って「家族会議しようか」なんて笑ってた彼。

本当に、家族になるんだ。
私たちのところに、命がきてくれた。

お腹には、まだほんの小さな点のような命。
でも確かに、ここにいる。

私はお腹をそっと撫でた。

仕事を終えて帰宅すると、台所からいい匂いがした。
「おかえり、ちょうど煮物できたとこ」
エプロン姿の野田が振り返って、優しく笑った。

その笑顔を見た瞬間、言わなきゃ、と思った。
でも、胸の奥が妙にざわざわして、どう切り出せばいいかわからなくて。
私はコートを脱ぎながら、そっと息を吸った。

「ねえ、ちょっと話したいことがあるの」

その一言で、野田は箸を置いて、私の前にきちんと座った。
まっすぐな目。
誠実で、まるで全部受け止めるよ、と言ってくれているみたいな目。

私の鼓動はどんどん早くなっていた。

「……さっき、病院行ったの。ちょっと気分悪くなって」

「えっ、大丈夫?」

「うん。あのね……」
私は、鞄の中から、検査結果の紙を一枚、そっと取り出して差し出した。

野田は黙って受け取り、それを見て──

数秒、固まった。

そして、目を大きく見開いて、顔を上げた。

「……これ……ほんとに……?」

私は小さくうなずいた。
「……うん、妊娠してるって。まだ初期だけど」

瞬間、野田の目が潤んだ。

「──風花……」

私の名前を呼ぶ声が、震えていた。

「……ほんとに……? ほんとに、俺たちの……?」

「うん」

たったそれだけの言葉で、彼の目から、涙がぽろっとこぼれた。

「……やば……やばいな、俺、泣くとか……」

目元をこすって、少し笑って、それでも涙が止まらないみたいで。
私はその顔を見て、胸がいっぱいになった。

「ごめん、泣かせるつもりじゃなかったのに」

「泣かせたんじゃなくて……泣けたんだよ。こんなに嬉しいなんて……思ってなかった」

そう言って、野田は私の手を取って、指先に口づけた。

「ありがとう。風花、ほんとに、ありがとう」

抱き寄せられた胸の中で、私も、そっと目を閉じた。

「こちらこそ……ありがとう」

二人の間に、あたたかくて、やさしくて、涙がにじむほど幸せな時間が流れていた。
< 73 / 74 >

この作品をシェア

pagetop