私の隣にいるのが俺じゃない理由を言え、と彼は言う

4

月曜日、出社して最初に聞こえてきたのは、なんてことのない雑談だった。

「え、マジで? 五十嵐さん結婚すんの?」

「うん、社外の人らしいけど。式は年内だって」

一瞬、時間が止まった気がした。

私はコピーを取りに行こうとしていた廊下で、足を止めた。
耳を疑った。
でも、その話題は周囲でごく普通に流れていて、どうやら“事実”であることに疑いはなさそうだった。

五十嵐先輩が、結婚。

……ああ、そうか。

土曜日の展示会であんなに舞い上がって。
日曜は先輩のことを思い返して、ふわふわして。
月曜になったら、これか。

胸の奥が、じんわりと痛くなった。
痛いほどじゃない。
でも、しみるみたいに、静かに沁みてきた。

あのとき――野田が言ってた。

「今の風花、ただの“推し活”って感じだし」
「本気で好きなら、行動に移してみたら?」



あの言葉の“含み”を、私はたぶん、軽く聞き流していた。
けど今なら、ほんの少しだけ分かる気がした。

野田は、知ってたのだろう。
五十嵐先輩がもう、誰かのものになるってことを。

そして、私が今こうやって立ちすくむ未来まで。

悔しいような、恥ずかしいような、どうしようもない気持ちを抱えたまま、私はその場からそっと離れた。

そのあと、デスクに戻る途中で、すれ違いざまに野田と目が合った。

彼は何も言わなかった。
でも、どこか――あの目だけが、“分かってた”ように見えた。
< 9 / 74 >

この作品をシェア

pagetop