東雲家の御曹司は、わさびちゃんに首ったけ
007 side わさび
「オーナー……またですか……」
「すみません……またやってしまいました」
「何度言ったらわかるんですか! ここは馬たちが寝る場所です! オーナーのお休みになる場所ではありません!」
朝から怒声の響き渡るここは、ノーザン・メモリアルパーク(Northern Memorial Park)。
北海道・日高地方の小高い丘の上に広がる、面積50ヘクタールの牧場だ。
周囲はラベンダー畑と白樺林に囲まれ、遠くに太平洋を望める大自然を感じる事ができる場所。
今は亡き、神楽 喜八が出資設立した法人で、元調教師の夫婦を雇用し中心として、競走馬や行き場を失った馬たちの余生を守るために経営している。
“もう走らなくていい、ただ風の中で生きればいい”を掲げている。
わさびは今、そこにいた。
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「まず、当施設の特徴からご説明します」
ここは、広大な放牧地を活かし、1頭ごとに性格や相性を見て小規模な群れを作らせている。
冬は防風林と温水ヒーター付きの馬房で保護しているので、馬にとっては超快適。
メモリアルガーデンを併設しており、亡くなった馬の蹄鉄や名札を刻んだ石碑が並び、花が絶えないようにきちんと管理されている。
ファンや元馬主が訪れやすいよう、展望デッキと東屋、ベンチが設置され、心穏やかな時を過ごす事ができる。
そして、一年前には交流ハウスが開設した。
そこでは、馬たちを間近で見られる見学スペースや本格的なカフェスペースが設けられており、大人も子供も誰でも乗馬体験などが出来る。
香り高い本格コーヒーや窯焼きピッツァ、季節のジェラートなどが名物だ。特に、オレンジジュースは絶品だと口コミで高評価。
もちろん、冬や天候の悪い日にも楽しめるよう、馬のための図書館があり、年配の方に人気だ。
競馬史や馬術、獣医学の書籍のほか、馬をテーマにした絵本や写真集が所蔵されており、来場者が馬について学び、次世代に知識をつなぐことを目的としている。
「主要設備についてはこんな感じです。続いて、現在の代表的な入居馬ですが───」
サウスウィンド号(牡28歳)
ダート重賞3勝。気性は荒かったが、今では一番の甘えん坊。
リリーベル号(牝25歳)
G1未勝利だがファン投票上位常連。来場者に顔を近づけてくれる癒やし系。
ノクターンブルー号(セン22歳)
誘導馬を長年務めた元名馬。イベントで子ども乗馬体験の先導をすることもある。
巨大ディスプレイに写真と共に映しだされる、入居馬達のプロフィール。
「会いに行きますか?」
「そうだな、せっかくだ。かつての名馬を拝んで行こうか」
「ええ、是非会いたいわ」
わさびは、間もなく引退する競走馬の引き取り先を探しているという神代様という馬主のご夫婦を案内している。
「あなたは随分お若いけど、オーナーさんというのは本当なの?」
「はい、私は祖父から譲り受けただけの名ばかりオーナーです。実際の運営はベテランが行なっていますので、ご安心ください」
わさびはもうすぐ21歳になる。
マリッジブルーで失踪したわさびは、紀糸が毎月くれていたお小遣を元手に、あちこちで増やして、飛行機に乗った。
お爺がわさびに遺してくれた、馬たちの終の棲家を目指したのだ。
あっちこっちフラフラしていたせいで、ここに着いたのは紀糸のマンションを出てから3ヶ月後だった。
チビチビ増やしたお金は、いつの間にか1億になっていた。
───わさびは今、結構お金持ちです。
なんて思っていたが……
ノーザン・メモリアルパークは赤字だった。
だから、わさびはその1億をもう少し増やして、10億にした。
そのお金で施設の古くなった部分を綺麗に直して、交流ハウスを作って、待遇を改善して、本当に信頼出来る人だけを雇用した。待遇を良くした事で、優秀な人材も呼べた。
おかげで、今期の決済は利益を計上できる見込みだ。
優秀な人材の中には、樋浦弁護士もいる。
どうやら樋浦弁護士は訳ありで、お爺に大変な恩があるとかで、何故かわさびを追いかけてきたのだ。
今では、わさびの良き相棒として一緒にお金を増やしたり、使ったりして楽しんでいる。
「今、プラネタリウムを建設中なんです。天然の星空と、プロジェクションマッピングを融合させた大迫力の素晴らしいものになる予定ですので、完成したらご招待させて頂きますね」
「それはまた、斬新だね。新しい観光スポットになるんじゃないか?」
「そうなると、いいです」
赤字の時は30頭が限界だったが、今では120頭以上が入居している。
でもまだ足りない。もっといっぱいお金を増やして、いっぱい受け入れて、殺処分される馬が少しでも減るといい。
わさびは今、楽しい。