東雲家の御曹司は、わさびちゃんに首ったけ

010 side 紀糸



 ───土曜日がきた。

「朝早くから申し訳ありません。すぐに羽田へ向かわねばならないため、失礼を承知で伺いました」

 俺は羽田へ向かう前に、今日の見合い相手である宝城家の屋敷を訪ねた。

 家令から上がるように促されたが、時間がないので玄関先で失礼すると、伝えると、まさかの宝城家の当主本人が玄関まで現れた。

「驚いた。沙也加との見合いが待ち切れず、と言うわけでは無さそうだが……急な仕事か? 延期でもかまわないぞ」

「いいえ、見合いが待ち切れず参りました。見合いをさせて頂いた上で、この縁談をお断りさせて頂こうと思っております」

 とんでもなく失礼を働いている自覚はある。
 だが、こうでもしなければ、見合いを保留にした状態でわさびに気持ちを伝える事など出来ない。

「どういう事だ。会う前から断るとは随分な言いようだな。断るのなら、最初からしなければいいだろ」

「いいえ、見合いをするまで私の親は納得しません。こちらの都合で申し訳ありませんが、こうして出向かせて頂いた次第です」

 宝城家にもその娘にも、どう思われようがどうでもいい。失礼な奴、とでも思って、向こうからも俺など願い下げだと言ってくれれば尚いい。

「……わかった。今日の見合いは朝早くに行われ、縁がなかったということにしよう。私とて、娘との婚姻を望んでいない男に娘はやれんからな。帰っていいぞ、急いでいるんだろ」

「寛大な処置に感謝いたします。では、失礼いたし───」

「っ待って!」

 頭をさげ、去ろうとした時、奥から、襦袢姿の娘が飛び出してきた。
 着付けの途中だったらしい。この暑い中、申し訳ないことをしたな。

「これ沙也加! そんなはしたない格好で出てくるな!」

 宝城の当主が娘に注意するも、本人は気にしていないようだ。

「東雲 紀糸さん! 私、とてもあなたに興味がわいたわ! これから羽田でどちらへ行かれるの? 私もご一緒してよろしいかしら! お仕事なら、仕方ありませんけど」

「すみません、私に興味をもたれてもこの縁談はお断りさせて頂きます。では、失礼します」

 神楽 夢香とはまた違う面倒そうな娘だ。
 天真爛漫というか、悪気はなさそうというか……

 強引ではあったが、俺は再度当主と本人に深々と頭を下げ、玄関を出て、そのまま空港へ向かった。








「……なぜ、ここに?」

「気になったので、後をついてきてしまいました」

 なぜか、新千歳に宝城 沙也加(ほうじょう さやか)がいた。

 ただでさえ、間に合わず1本遅い便での到着となってしまったというのに……招かれざる客までくっついて来てしまった。

「失礼ですが、やり過ぎではありませんか。プライベートな用事ですので、このままお引き取り頂くか、お一人でお好きにどうぞ。私はこちらで失礼します」

 勝手についてきたのは向こうだ、俺の知った事ではない。宝城の娘を放置し、俺はタクシーに乗った。

 ───というのに、反対から宝城の娘もタクシーに乗ってきた。

「運転手さん出してください!」

「え、どちらまで?」

「さぁ? 紀糸さん、どちらまで?」

 なんて女だ。
 しかし、このままでは約束の時間に間に合わない。

「はぁ……───ノーザン・メモリアルパークまで大急ぎで頼む」



 運転手は確かに急いでくれたが、道中の約1時間、宝城の娘はずっと俺に自分の自己紹介をしていた。趣味はなんだの、恋愛経験はどのくらいだの、と、どうでもいい事をベラベラと……

 無口なわさびが、俺には合っていたらしい。
 うるさい女は本当に面倒で仕方ない。


 ようやく着いた。
 エントランスの奥の方には、乗馬スタイルのわさびが見えた。わさびのスタイルの良さが際立って、よく似合っている。

 しかし、隣の男はまさか……

「樋浦弁護士……か?」

 なぜあの男がいるのか。
 もしかして、彼がわさびと一緒にこの施設を立て直したのかもしれない、それならば納得だ。あの男一人いれば、相当な戦力だろう。

 だとしても、なんだか気に入らない。

 早く近くでわさびの姿が見たくて、車を降りようとすれば、宝城の娘が腕に絡みついて離れない。

 わさびに見られてしまう。
 見られた所で、わさびはなんとも思わないだろうが、俺が不快だ。

 しかしわさびは、出迎えてくれたはずだというのに、俺とは一度も目も合わさずに大型バイクに跨りあっと言う間に行ってしまった。

「あはは……ご無沙汰してます、東雲さん。樋浦です。詳しい話しは車の中で! ささっ! オーナーは飛ばすので、急いで追いましょう!」

「……ああ、わかった」

 わさびは先ほど、間違いなく樋浦弁護士を圭介(・・)と名前で呼んでいた。一体、どういう関係なんだ……


 
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