東雲家の御曹司は、わさびちゃんに首ったけ
第2部
011 side 紀糸
「父さん、母さん、結婚相手を決めました」
北海道から戻るなり、俺は形式上一番に両親に告げた。反対されようが、何だろうが、俺は必ずわさびと結婚するつもりだ。
そもそも、30歳になる男が親の決めた相手などというのがまずこのご時世にあり得ない。
「まぁ、それは良かった、相手は先日の宝城の娘さん?」
母親の言葉を聞くに、宝城側からはまだ連絡は来ていないのか、父が黙っているのかのどちらかだろう。
「いいえ、かつて俺の婚約者だった神楽 山葵です。先日正式に求婚し承諾を貰いましたので、近いうちに入籍するつもりです」
「……神楽って……あの、おかしな子?」
「……」
母親は寝耳に水、と言った様子できょとんとしているが、父親は何も言わないところを見ると、晴人か秘書の田中あたりから聞いていたのかもしれない。
「おかしな子ではありません。彼女は今、北海道で神楽 喜八氏から相続した大赤字の施設をたった2年で黒字に転換させ、施設規模を4倍にしてうまく回しています。もともと、星見台で主席という学力を持ち、卒業生代表挨拶をするような子でしたが、現在は経営者としても大変優秀です」
たった一つ、成功したからなんだ、と言われそうだが、実力主義の東雲ではいい判断材料となるだろう。
「まぁ、そうなの? それは驚いたわ。顔も綺麗な子だったわよね。でも紀糸、神楽はすでに吸収が済んでいるし、その子と結婚しても何の益も生み出さないのではない?」
「彼女が東雲に嫁いでくれることによる利益は、計り知れませんよ」
その理由は俺だけが知っていればいい。
「あなた、どうなさるの?」
「……あの妾腹の娘の事は以前から調べさせていた」
調べさせていた? なぜ父がそこまで……
「あの娘は、神楽 喜八の孫として一部の大物の間でよく知られていたから、気になってな」
「わさびが、ですか?」
俺の父親が大物、というくらいだ。相当な面々なのだろう。そんな話はお爺から聞いていない。
「ああ。あちこちの会合で、神楽を吸収したという話しから、梨園の者や馬主、海外の美術関係者から“わさびはどうしてる、会わせて欲しい”とあちこちから言われた」
「……会いたい理由は、お聞きになりましたか?」
「いいや。そこまで聞いては会わせなければならないだろう。だから、私は聞かなかった」
大物としてその地位を維持している人間ならば、それはおそらく、お爺がわさびに会わせた際に、わさびが気に入った人たちなのだろう。
「紀糸、あの娘に会えるか」
なるほど、父の方は大物達が注目する女性なら、嫁としてもいいかもしれない、と思ったようだな。
その考え自体は気に入らないが、結果がよければいい。
「彼女は今、北海道です」
「こちらに連れてこれないのか? 結婚したらどうするつもりだ」
「結婚後の生活についてはまだ話し合ってはいませんが、私が毎週末北海道に通うつもりです」
「子供ができたらどうするの?」
「それはその時に考えます。どちらにせよ、彼女は東京より北海道の空気が合っています」
わさびはこちらには戻って来たくないはずだ。
なんなら、本当に北海道に支社を構えて俺が引っ越したっていい。
今の時代、リモートでなんとでもなるのだから。
「わかった……母さん、北海道に行くぞ」
「まぁ、あなたと二人で出かけるなんて久しぶりね」
「待ってください、俺にもスケジュールが」
全く、せっかちだな。父は昔から、納得出来ない事は何が何でも自分の目ですぐにでも確かめないと気がすまない男なのだ。
「お前は来なくていい。私と母さんだけで行ってくる。あともう一人、しつこい男がいるから、その者も一緒にな」
「しつこい男? ……誰ですか」
いくら父親といえど、わさびの所に変な男を連れて行くのは許さない。
「……とある国の大使だ」
「大使?! なぜそんな方がわさびに? どこの国ですか!」
「ドワイアン……つまり外交団長だ。神楽 喜八氏とも親しい友人だったらしくてな……」
わさび……そんな方にまで会わせてもらっていたのか。知ってか知らずか……度胸があるわけだ。
今の外交団長は御年70歳を超える方だろうから、わさびに何かすることはないだろう。
「ですが、SPなどを引き連れて大人数で仰々しく行かないでください」
「公式訪問でもないんだ、ごく少数で行くから心配するな」
───心配だ……
念の為、俺は樋浦氏に連絡を入れておく事にした。わさびに伝えた所で、誰ですか? と言って済まされそうだ。
間違っても、馬房で寝て起きた状態で迎えるなんて事がないようにだけしてもらわなければ……