東雲家の御曹司は、わさびちゃんに首ったけ
013 side 紀糸
なんとかわさびを言いくるめ、事実婚は回避できた。わさびの気が変わらないうちに、さっさと入籍を済ませてしまいたい。
それにしても、日に日にわさびの可愛さが増していく。愛情表現が豊かでハッキリしている彼女は、恥ずかしげもなく言葉で伝えてくる。
したくなったら言えとは言ったが、わさびは会うたびに俺に抱かれたがった。
男としては最高に有り難い話しだが、飽きられた時が恐ろしい気もする。マンネリしないようにしなければ……
「───EO……CEO……?」
ついわさびの事を考えてしまっていたが、今は会議中だった。
「なんだ」
「ご意見を伺いたいのですが……」
俺が声を出すたびにビクビクする部下達。いつも思うが、別に俺は怒っているわけではない。威圧的に振る舞っているつもりもない。
「いいだろう。まずこの事業計画だが……これは計画とは言わない。ただの理想を書いたただの何かだ、計画とは現実的に実行可能な最大目標に基づき作成しろ。次、予算編成だが君たちは人件費の計算も出来ないのか、これでは二、三人しか雇用出来ないぞ。次───……以上、やり直し。会議は終わりだ」
静まり返る会議室。
間違った事は言っていない、きちんとヒントも与えた。なんなんだ、ここまで言ってわからない無能は辞めてしまえ。
しかし、俺が席を立ちドアに手をかけた時……
「ありがとうございますCEO! 頂いたご指摘をもとに再度企画書を作り直しますので、次回、またお願いいたします!」
リーダーと思われる男が俺に頭を下げると、部下も頭を下げた。
今まではあまり見なかった光景だ。
「ああ……企画自体は悪くない、次に期待してる」
俺はドアを半分開きながら一言声をかけ、会議室を出た。
「……驚いた、なんだよお前、随分と丸くなっちゃって」
「なんだ、忙しい。何か用か」
「……俺に対しては変わらないのな……はいはい、東雲家ご当主夫妻から伝言です」
「……お前は電報屋か何かに転職したのか?」
「お前がいつもお二人からの連絡を無視するから、だろ! 俺だって嫌だよ!」
「伝言はなんだ、早く言え」
「“神楽 山葵との結婚を認めるから、事実婚だけはやめろ。挙式披露宴は絶対に成功させろ。招待客のリストは追って渡す”以上」
「……」
東雲の跡継ぎが事実婚だなんて事は、絶対に避けたいようだな。いずれにせよ、二人が認めると言うならそれはそれでいい。
「晴人、伝言を頼む。“わかった”……以上だ」
「……それくらい自分で伝えたらどうだ」
「忙しいと言っているだろ、もういいか?」
俺は今、毎週金曜日に北海道に飛ぶために未だかつてないほどに効率よく仕事をこなせている。
今までの自分は無能だったのではないかと思うほどに、わさびと再会して以来頭がさえていた。
集中を途切れさせたくない。
「聞いたぞ、毎週北海道に行くために仕事を金曜の午後までにこなしてるって。大丈夫なのか? 無理してるなら───」
仕事量が減ったわけではないため忙しくはあるが、秘書課をこれまで以上に活用し、少しずつ俺の業務も減らしている。
「無理どころか、絶好調すぎて困るくらいだ。わさびと過ごす週末の時間は間違いなく俺の身体的・精神的疲労回復及び深層心理の癒しに繋がっている。つまり、俺にとっても会社にとってプラスでしかない」
文句は言わせない。
「全く……東雲家の御曹司はわさびちゃんに首ったけ、ってか」
「そうだ、悪いか」
「……おっと、聞こえていましたか」
晴人は手をひらひらさせて部屋を出て行った。
「ふぅ───……先に入籍を済ませるか……さすがに盆は嫌だからな……わさびに聞いてみるか」
戸籍謄本も必要だが、あいつは本籍は北海道なのだろうか、そのあたりは樋浦氏に任せたほうがよさそうだな。
こうして、着々と俺たちの結婚が現実味を帯びてきた。